2018年03月31日

259 笹森古墳 群馬県甘楽町 106(101)m

 群馬県の史跡に指定されています。古墳は笹森稲荷神社の境内にあり、心が清らかでないおっさんも神聖な気持ちになります。「古墳の全長約101m、前方部幅約61m、後円部径やく60m、高さ約10m。埋葬施設は後円部にあり全長16mの横穴式石室で、県内で2番目に大きい規模です。」と「群馬県埋蔵文化財調査事業団」のHPの「笹森古墳(ささもりこふん)」の項目で述べられています。

 甘楽町教育委員会の説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部端全景。東から。
                                         以上2016年11月撮影。

 前方部から後円部。前方部端全景。
                                       以上2011年10月撮影。  


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2018年03月31日

258 稲荷山古墳 千葉県富津市 106m

 関東屈指の大古墳群である「内裏塚古墳群」のナンバー3です。前にも書きましたが、ランキング84の内裏塚古墳、144の三条塚古墳に次ぐ規模があり、他に九条塚古墳・青木亀塚古墳と100mを超える古墳が5基もあります。ただ内裏塚古墳を除いて、全長の割に墳丘の高さはなく迫力はありません(あくまで個人の感想ですが)。この古墳もその例外に漏れず、外観は美しいですが、内部はかつて人家があり改変されています。富津市の史跡に指定されています。

 説明板。



 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 全景。右が前方部、左奥が後円部。南西から。


 全景。右が後円部、左が前方部。南東から。
  


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2018年03月31日

257 雷塚古墳(森1号墳) 大阪府交野市 106m

 森古墳群の中で最大の古墳です。箸墓古墳と同形の「バチ形」をしているので、出現期の古墳と考えられています。1980年に、小学生が発見した二重口縁の土器を契機に、古墳群の存在が明らかになったそうです。ただ、古墳群は、交通量の少ない細道が通る山中にあるので、今だったら子ども達だけでは立ち入らないように学校から注意を受けそうな場所にあります。

 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 前方部端全景。
  


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2018年03月31日

256 川南11号墳 宮崎県川南町 106m

 「川南古墳群」として国の史跡に指定されています。ランキング187の39号墳に次いで、2番目に大きな古墳です。古墳群の南西に位置しており、遠くからでもその巨大な姿を目にすることができます。39号墳の項目でも書きましたが、古墳群全体が非日常の別世界の雰囲気があり、一度は訪れてみたい古墳群のひとつです。

 川南町教育委員会の説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。後円部墳頂から見る前方部。


 前方部から後円部、東から。前方部右隅から後円部。


 全景。右が後円部、左が前方部。北東から。
  


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2018年03月31日

255 勝負山古墳(玉手山3号墳) 大阪府柏原市 106(約110)m

 「玉手山古墳群」のひとつで、この3号墳のほかに、1号墳・7号墳の墳長が100m以上あります。柏原市のHPの「玉手山3号墳」の項目で「前方部の南半分は過去に削られ、崖になっていますが、北側面から前面については、墳丘斜面がよく残り裾部も明瞭です。ただ後円部の西北方は、果樹園として開墾されたため、もともとの斜面が一段低くなっており、墳丘にもおよんでいます。また墳頂には、盗掘後のくぼみが残っていました。  後円部は改変が多く、発掘調査ができない部分もあって墳端は検出できていません。そのため直径は不明で、墳丘長もおそらく約110mと考えられますが、確定していません。」と述べています。墳丘へは、老人福祉センター「やすらぎの園」から上ることができます。

 柏原市教育委員会の説明板。



 後円部右側。左側。

 前方部。前方部から後円部。


 後円部墳頂2つ。
                                            2014年1月撮影。
                                            2008年11月撮影。  


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2018年03月30日

254 女体山古墳 群馬県太田市 106m

 東日本最大の規模の26太田天神山古墳の北東隣に位置しています。「女体山古墳は、天神山古墳の東の平坦地に造られた、墳丘の長さ106m、円丘部84m、高さ7m、造り出し部幅18m、長さ16mの帆立貝形古墳(または造出付き円墳です。隣接する男体山(天神山古墳の別名)に対して女体山と呼ばれています。」と太田市のHPの「女体山古墳」の項目で述べられています。国の史跡に指定されています。

 石柱。太田市教育委員会の説明板。



 前方部から後円部。南西から。


 全景。南西から。


 全景。西から。


 全景。東から。
  


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2018年03月30日

253 小盛山古墳 岡山県岡山市 106m(円墳 径95m 、全長 108m)

 73佐古田堂山古墳の北東約600mのところに位置しています。円墳(造り出し付き)という見方もできますが、帆立貝式前方後円墳と考えておきます。近くに、伏見・豊川とともに三大稲荷といわれる最上稲荷があります。余談ですが、最上稲荷の隣にある温泉施設「稲荷山健康センター」の「漢方勵明薬湯」はやばいです。入浴してしばらくすると、あそこがヒリヒリしてたまらなくなります。豊橋のおっさんは、これ以上の薬湯は経験したことがありません。

 全景。北西から。


 全景。右が前方部。西から。
            以上2014年3月撮影。
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2018年03月30日

[252] 法華寺垣内古墳 奈良県奈良市 復元全長107m

 2005年に発見された埋没古墳です。佐紀盾列古墳群に属し、法華寺の東、コナベ古墳の南約200mのところにありました。この古墳の存在を最初に報告した文書(「埋もれていた佐紀の大型古墳」奈良市埋蔵文化財調査センター速報展示資料 №.21 奈良市教育委員会 平成17年7月発行)では、「この古墳は、新発見の古墳で、土地の字名から仮に法華寺垣内古墳とよぶことにします。 この古墳は、葺石を検出した位置から推測すると、後円部を北にした南北方向を主軸とする前方後円墳になると考えられます。全体の規模はわかりませんが、前方部の前端幅は約65mになりそうです。」と述べ、別のところで「新発見の法華寺垣内古墳は、前方部の幅から推測すると全長が100mをこえると思われ」とも述べています。また「佐紀古墳群では、平城宮・平城京造営の際に壊された古墳が、発掘調査で、いくつかみつかっています。(中略)おそらく、法華寺垣内古墳もそれら(おっさん註 平塚1号墳や2号墳、木取山古墳)と同じく、平城京造営の際に削平されたものと思われます。」ということだそうです。

 跡地2つ。北西から。北から。
  


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2018年03月30日

252 天王山塚古墳 埼玉県久喜市 107m

 埼玉県の史跡に指定されています。昔のしょぼい絵で、しかもどこを写したかよくわからなくてすみません。

 石柱。菖蒲町教育委員会の説明板。



 後円部墳頂か。

 後円部の薬師堂。

 前方部か。


 前方部の横か。くびれ部の横か。後円部の横か。


 前方部端か。
  


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2018年03月30日

251 岩原双子塚古墳 熊本県山鹿市 107m

 国の指定史跡「岩原古墳群」の中心的な古墳です。周辺は公園として整備され、双子塚古墳は優美な姿を誇っています。一度は訪れたい古墳のひとつです。また、公園内に「熊本県立装飾古墳館」があり、県内の主要な装飾古墳の実物大レプリカが展示されており、一見の価値があります。熊本県は装飾古墳の宝庫ですが、保存のため春と秋の一般公開日しか実物が見られない古墳が多いだけに、古墳館の存在は貴重です。

 標識。説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 全景。右が後円部、左が前方部。南西から。


 ほぼ全景。左手前が前方部、右奥が後円部。西から。


 全景。右手前が前方部、左奥が後円部。北から。
  


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