2019年05月31日

1293-1 御所八塚山4号墳のおまけの「御所八塚山古墳群」 石川県金沢市

 御所八塚山古墳群で最大規模の4号墳を挟むようにして、3号墳と6号墳があります。前項目でも書きましたが、前方後円墳の4号墳は、かつて2基の円墳の4号墳と5号墳と考えられていたため、現在5号墳は欠番となっているそうです。また、御所八塚山古墳群はその名のように8基の古墳で構成されていますが、激しい雨のため3基の絵しか撮ってありません。「ダメじゃん」。

 古墳群の木柱。


  ① 3号墳 円墳 径20m

 標識。


 やや全景。


  ② 6号墳 方墳 辺27m

 標識。


 やや全景。
            以上2014年6月撮影。  


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2019年05月31日

1293 御所八塚山4号墳 石川県金沢市 57m

 HP.「北村さんちの遺跡めぐり」の「石川の遺跡・加賀編」の「金沢市 御所八塚山古墳群」の項目で、「4号墳 前方後円墳 全長57m・高さ6m 後円部径37m・前方部高さ4m」と記されています。かつては、4号墳・5号墳として2基の円墳と考えられていたそうです。
 古墳群は、あの星稜高校の東側の裏山に位置しています。訪問時は全く気が付きませんでしたが・・・。古墳群の南側にある式内社の加茂神社の駐車場を利用させてもらい、北に向かって古墳群をめざしました。ただ、途中から雨が激しくなり、焦ってピンボケになってしまいました。古墳のくびれ部付近に祠が祀られていますが、かつてはこの場所に「弁財天堂」があり、現在は加茂神社に遷座されているそうです。
 約2.5km北に吉原親王塚古墳(ランキング[824-5]位)がありました。

 標識。


 後円部右側。左側。

 前方部。


 前方部から後円部。


 後円部端近景。
            以上2014年6月撮影。  


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2019年05月30日

1292-1 念南寺古墳のおまけの「角塚(つのづか)古墳」 岩手県奥州市 46(45)m

 角塚古墳は、最北端に位置する前方後円墳として「ど有名」な古墳で、国の史跡にも指定されています。古墳は、前方部の大部分が削平され、後円部の裾の一部も道路で削られています。訪問時、古墳周辺には菜の花?が咲き誇り印象的でした。余談ですが、後円部に背の高い木が一本あり、これが角のように見えることから「角塚」と名付けられるようになったと妄想してしまいましたが、実際はどうでしょうか。また、余談の余談ですが、道路の北側の公園に駐車場があり、確か公園内に古墳の模型が設置されていた記憶があります。
 文化庁の「国指定文化財等データベース」の「史跡名勝天然記念物:角塚古墳」の項目で、「詳細解説 北上川の中流域、北上盆地のやや南寄りで、西から合流する胆沢[いさわ]川が形成した扇状地に、角塚古墳が築かれている。(中略) 古墳は、前方部を南に向けた前方後円墳である。墳丘の全長約45メートル、後円部の径約30メートル、高さ約4.5メートルを測り、前方部は前端幅約20メートル、くびれ部幅約13メートル、高さ約1.5メートルと復原され、後円部は2段に築成されている。(中略) この古墳は、前方部が短く狭い特色ある形態をとっているが、周濠、埴輪等の状況からみて6世紀の前半に属するものと考えられている。造営についても企画性があり、本格的に築造された古墳である。岩手県内には、本例を除くと終末期の古墳しかなく、以南の地域でも南方約70キロの宮城県大崎平野まで前方後円墳等の存在が認められないだけに極めて注目される(後略)」と記されています。
 また、辻秀人さんは、「角塚古墳の墳丘構造や埴輪については、藤沢敦が宮城県色麻町念南寺古墳や仙台市裏町古墳、兜塚古墳、名取大塚山古墳と共通する特色があることを指摘している[藤沢 一九九八]。宮城県大崎平野では五世紀後半の頃に集落から黒曜石製の石器などが多く出土しており、東北北部との関係を深めていく様子がうかがえる。角塚古墳は、古墳の北西約二キロ近くにある中半入遺跡の人々が築いた可能性が指摘されている。この勢力は、仙台平野から大崎平野、胆沢扇状地にわたる広域の人の交流を背景に、宮城県域の複数の勢力との政治的な関係のなかで、前方後円墳にかかわる情報と技術を入手し、古墳を築いた可能性が高いのだろう。」(「十 東北南部」 広瀬和夫・和田晴吾編『講座 日本の考古学7 古墳時代上』 p.499)とダイナミックな仮説を述べています。

 標柱。奥州市教委の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。
 


 前方部から後円部。南から。


 後円部墳頂。


 後円部端全景。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。西から。
            以上2017年5月撮影。


  おまけのおまけ 中半入遺跡

 跡地付近。西から。


 跡地付近。西から。
            以上2017年5月撮影。  


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2019年05月30日

1292 念南寺(ねやじ)古墳 宮城県色麻町 57→(56)m

 宮城県のHP.の「指定文化財〈県指定史跡〉念南寺古墳群」の項目で、「鳴瀬川右岸の標高約40mの小丘陵上に所在する古墳群で、主軸長約52mの前方後円墳1基と径10m前後の円墳22基からなる。前方後円墳は小丘陵の頂部にあり、墳頂からは北側に広がる大崎平野を一望することができる。 各古墳は保存が良く、平成9年7月に実施した前方後円墳の発掘調査によって、本県では1906年以来93年ぶりに家型石棺が発見された。前方後円墳では朝顔形・円筒埴輪が採集・出土し、古墳時代中期(5世紀頃)を中心とした時期に、この地域の首長層の墓として築造されたと考えられる。 大崎平野周辺は本格的な古墳が築造された北限の地域であり、本古墳群は単に地域の古墳文化の解明のみならず、北辺域の古墳文化の実態を解明するうえでも重要な位置を占めている。」と記されています。ただし、宮城県教育委員会の『壇の越遺跡 念南寺古墳』では、「墳丘 墳丘の規模は、周壕底の墳麓線での計測によると、長軸約56m、後円部径39m、前方部長21m、前方部幅21m、後円部高7m、前方部高2mである。」と記されています。ここでは、報告書のデータを基本に考えたいと思います。この古墳は、上記のように「念南寺古墳群」を構成する主墳として、宮城県の史跡に指定されています。
 県道156号線の北側に「念南寺古墳 入口」の大きな標識があり、これが目印となります。北進して、突き当りの墓地を右折する場所にも「800m」の標識があります。東に進むと三差路に出て砂利道を鉄塔方向に直進しますが、ここにも「これより300m先」の標識があり迷うことはありません。古墳は、林の中にあり静謐な空気に包まれていました。かつては、後円部の墳頂に神社が建立されていたということで、その名残で小高い部分が残されています。参道になっていたためか、前方部から後円部にかけて中央はかなり凹んでいますが、それ以外の墳丘部分はよく残っています。神社は、墳丘の南側に遷座されています。
 余談ですが、最北の地に築造された前方後円墳として岩手県奥州市の角塚古墳が著名ですが、これは1基のみの単独墳です。上記のように、前方後円墳築造地域という視点で見れば、大崎市の青塚古墳(ランキング290位)・石ノ梅古墳(ランキング1134位)、色麻町の熊野神社古墳(ランキング1003位)などの大型古墳が見られる宮城県大崎平野周辺地域が北限と考えられると思います。
 

 標柱。説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。東から。


 後円部墳頂。
            中央の高まりは神社跡。

 墳丘の南側に遷座された神社。
            以上2017年5月撮影。



     追記

 2022年4月15日のブログに、「追加1292 念南寺(ねやじ)古墳」として、新しい絵を掲載しています。  


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2019年05月30日

1291 権現山古墳 佐賀県小城市 57m

 未訪問古墳です。墳丘長60m以上の古墳の追っかけをしていたので、この古墳をパスしていました。訪問し次第掲載したいと思います。
 佐賀県のHP.にある「佐賀県文化財detabase」の「佐賀県史跡の部」の中の「佐賀県史跡 権現山前方後円墳及び2号墳(円墳) (ごんげんやまぜんぽうこうえんふんおよび2ごうふん(えんぷん))」の項目で、「天山山系の東端、高取山から南東に派生する丘陵頂部に並んで築造される。権現山古墳は自然地形を利用した前方後円墳で、全長約57m、後円部径約40m、前方部長約17m、前方部幅10m。これまで調査が行われておらず内部主体や副葬品等は不明であるが、墳形や立地の特徴から5世紀代の築造と推定される。」と記されています。「権現山前方後円墳及び2号墳(円墳)」という名称で、佐賀県の史跡に指定されています。


     追記

 2019年12月14日のブログに「追加1291 権現山古墳」として、訪問時の絵を掲載しています。
  


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2019年05月29日

1290-1 井ノ奥4号墳のおまけの「井ノ奥1号墳」 島根県松江市 方墳 (32×29m)

 よっちゃんさんのブログ『よっちゃんの文明論』の「出雲の中期古墳」(2016-01-14)の項目で、「石屋古墳の南東0.5kmほどの丘陵(標高/比高40m)に『井ノ奥古墳群』(松江市矢田町井ノ奥)がある。『1号墳』は辺[32m×29m]の方墳で、円筒・形象埴輪の破片を検出した。石屋古墳に先立つ5世紀初の築造と推定。住宅団地内に保存されている。」と記されています。
 約300m南に井ノ奥4号墳(ランキング1290位)がありました。

 説明板。


 墳頂。


 近景。


 全景。南から。
            以上2016年3月撮影。  


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2019年05月29日

1290 井ノ奥4号墳 島根県松江市 57m

 消滅古墳です。古墳跡地は、山陰自動車道「矢田」IC.北東にある青葉台住宅団地となっており、その南端付近に墳丘がありました。住宅団地の建設にともなって4基の古墳が発見されましたが、方墳の1号墳のみ破壊をまぬがれて保存されています。
 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「井ノ奥4号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段、後円部:2段 墳長:57m 後円部:径42m 高7.5m 前方部:幅27m 長17m 高4.7m 特記事項【造出】なし。【周濠】あり(馬蹄形)。【周堤】あり。【その他】破壊、現存せず。」と記されています。

 跡地付近か。西から。
            松江市青葉台22-33付近。

 住宅の奥が古墳の跡地付近か。南東から。
            松江市青葉台22-22付近。           以上2016年3月撮影。  


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2019年05月28日

1289-1 つじの山古墳のおまけの「五條猫塚古墳」 奈良県五條市 方墳 辺32m

 つじの山古墳より小ぶりな方墳ですが、冑や甲、帯金具など豪華な出土品があり、奈良県の史跡に指定されています。明確に二段築成とわかり、美しい墳形を見せてくれる方墳です。

 奈良県教委の説明板。


 全景。北西から。


 全景。
            以上2014年6月撮影。  


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2019年05月28日

1289 つじの山古墳 奈良県五條市 方墳 辺57(52)m

 巨大方墳です。下記の説明板では、「一辺52m、高さ9mの方墳」、「墳丘の東部に東西5.5m、南北20mに造り出しを有する」と記されています。
 古墳は、県道705号線が京奈和自動車道と立体交差する「西河内町」交差点の約300m北に位置しています。ただし、直通する道はないので、一つ西側の信号交差点「西河内町西」から北に入ることになります。オフシーズンの6月に訪問したので、わかりにくい絵となっていますが、肉眼では二段築成を確認することができました。ただ、一段目は、部分的に住宅が建てられています。
 約500m南東に大型円墳の近内鑵子塚古墳(ランキング483位)、約500m南に方墳の五條猫塚古墳があります。

 五條市教委の説明板。


 墳頂部分。2つ。
 


 東側造出。


 全景。南から。
            以上2014年6月撮影。  


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2019年05月27日

1288 一日市(ひといち)古墳 岡山県岡山市 57(55)m

 「おかやま全県統合型GIS」の「埋蔵文化財(遺跡)」の「遺跡名 一日市古墳」の詳細情報で、「遺跡概要1 尾根上。全長55mの前方後円墳。後円部径24m、後円部高3.5m、前方部幅20m、前方部高2.5m。葺石あり。前方部一部削平。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「一日市古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:55(57) 後円部:径24~28m 高4m 前方部:幅18m 長28~32m 高3m 特記事項【その他】後円部側に丘陵との堀切が認められる。」と記されています。 
 古墳は吉井川右岸の丘陵尾根上にに立地しています。国道2号線の「西祖」交差点を北上し、三差路を右折して用水路を渡り、さらに民家の間の小道を北にむかうと道がなくなり林の中に入ります。しばらく進むと、墳丘らしき高まりに盗掘坑の窪みがあり、古墳であると確信しました。ただし、墳丘上には草木が生え墳形を確認することは困難でした。
 約1km西に浦間茶臼山古墳(ランキング104位)があります。

 後円部右側。左側。
            「薮ばっかでわからんじゃん」。

 前方部。


 後円部墳頂。


 2つで後円部端全景。前者が右側、後者が左側。
            以上2014年3月撮影。  


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