2023年05月30日

番外 千葉県の古墳⑨ー2ー2 柏熊6号墳[柏熊古墳群] 多古町ではなく香取市 円墳 径16m

 前回のブログでも書きましたが、2023年2月21日のブログで「番外 千葉県の古墳⑨ー2 柏熊5号墳・6号墳」として取り上げた古墳です。そして、この古墳も、行政地域としては香取市に属していました。地図上の破線が気になって確認したら、細い道路を隔てて西側が多古町でした。柏熊古墳群の中で、5号墳と6号墳以外は多古町に属しているようです。
 5号墳と隣接しているので、ひょっとしたら5号墳と混同しているかもしれません。「もっとしっかりしりん」。
 古墳の墳丘データについては割愛します。


 墳丘裾の石像群。


 全景。北から。


 全景。西から。
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月28日

番外 千葉県の古墳⑨ー2ー1 柏熊5号墳[柏熊古墳群] 多古町ではなく香取市 円墳 径16m

 2023年2月21日のブログで「番外 千葉県の古墳⑨ー2 柏熊5号墳・6号墳」として掲載した古墳です。そのブログでは、5号墳の絵が一枚しかなく、隣接する6号墳との違いを明確にするために、再訪しました。
 ただし、墳丘は木々が繁茂し古墳の墳形が明らかな絵は撮れませんでした。前回の絵の方が墳丘の様子が分かりやすかったです。
 墳丘規模などのデータは割愛しました。
 余談ですが、この5号墳と6号墳は行政地域としては香取市に属していました。柏熊古墳群に属していたので、多古町と思い込んでいました。そのためタイトルを「多古町ではなく香取市」と変更しました。


 墳丘裾の五輪塔・石像群。


 墳頂。


 全景。北から。


 全景。北東から。
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月26日

番外 千葉県の古墳⑨ーX 柏熊4号墳→八幡神社 多古町 円墳X

 2023年2月19日のブログ「番外 千葉県の古墳⑨ー1 柏熊2号墳?・3号墳?」でも書きましたが、平家蟹さんのブログ(下記に再録)を参考に、柏熊1号墳に向かう山道に2号墳から4号墳があるということで訪問しました。
 円墳状の小高い箇所に祠が建立されており、これが4号墳と思い込んで絵を撮りました。ただし、平家蟹さんのブログをよく読み返してみると、この絵は4号墳ではなく、八幡神社のようです。
 古墳と思い込んで、絵を撮ってしまったことを反省する意味で掲載しました。

 平家蟹さんの「古墳のお部屋ブログ館」の「柏熊古墳群」の項目で、「(見学記) 2,3,4号 小さな神社(八幡神社)から1号に至る山道の左側に3基並んでいます。径は10~16m、高1m前後と小さく,特に2号は0.7mと小さいですから見落とさないように。これと1号の間はかなり広い平坦面になっていますが,どうしてこちらに造らなかったんでしょうかね。何らかの儀式を行ったか,それとも1号墳の主に遠慮したか。」と記されています。(再録)


 八幡神社


 八幡神社


 八幡神社
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月24日

追加[519] 柏熊1号墳(おけ塚古墳)[柏熊古墳群] 千葉県多古町 84m

 2018年6月4日のブログで掲載した古墳です。ただし、前回の訪問時(2016年11月)、撮った絵が古墳か否か自信がなかったので再訪しました。
 前回と同じような場所をウロウロしましたが、途中から笹薮が激しくなり一度あきらめて、別の場所を探しました。しかし、発見できず、最初の場所に戻り、「急傾斜地崩壊危険区域」という標識付近から笹薮に突っ込み、ようやく後円部らしき高まりを見つけました。ただし、前方部らしき部分は確認できず、ひょっとしたら違うかも・・・という思いが頭をよぎりましたが、1号墳と思い込むことにしました。
  
 前回のブログの文章をそのまま再録します。
 「いつもお世話になっているHP.「埼群古墳館」の「多古町おけ塚古墳」の項目で、「2014年に刊行された報告書『柏熊遺跡』(多古町教育委員会)によると、墳丘長84mの前方後円墳と判明したとのこと。」と述べられています。従来は、42m×48mの円墳と考えられていました。
 柏熊古墳群を構成する古墳のひとつで、杓子塚古墳(8号墳)が千葉県の史跡に指定され有名ですが、このおけ塚古墳は荒れた山林内にあり、訪問時墳丘を確認するのは困難でした。」


 墳丘近くの標識。


 後円部?中央。右側。左側。


 後円部?。


 遠景。東から。
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月22日

追加182 大堤権現塚古墳[大堤古墳群] 千葉県山武市 115m

 三重の周溝を有する千葉県を代表する100m超級の大型古墳です。3度目の訪問ですが、来るたびに、その存在感に圧倒されます。後円部墳頂付近には大きな盗掘抗、前方部端は神社の社殿によって削られていますが、墳丘の大部分は良好に残されています。また、墳丘の周囲には周堤が巡っており、その名に恥じない大規模なものです。
 千葉県のHP.の「大堤権現塚古墳(おおづつみごんげんづかこふん)」の項目で、「概要 大堤権現塚古墳は九十九里平野に面する標高41mの台地上に所在する古墳である。周辺には他に6基の古墳が存在し、大堤古墳群を形成しており、また南側にも、かつて2基の円墳が所在していた。 大堤権現塚古墳は前方後円墳で、墳丘前方部には箱根神社が建てられており、墳丘は一部削平されている。平成3・4年度(1991・1992)に実施された確認調査で、墳丘の規模は全長115m、後円部径55m~60m、前方部幅53m、高さは後円部12m、前方部10mであることが確認された。墳丘の周囲には三重の盾形周溝が巡らされているが、三重目の周溝の外端で計測すると全長174mになる。二重目の周溝は上端幅3m~5.5m、三重目の周溝は上端幅2.8m~6.2mで、部位によって幅が異なる。最も内側の周溝と二重目の周溝の間には明瞭な周堤が残っている。」と記されています。
 古墳は、千葉県の史跡に指定されています。
 余談ですが、畿外の大規模な周堤を有する前方後円墳としては、栃木県壬生町の茶臼山古墳(ランキング383位)も印象に残っています。

 
 千葉県教委・山武市教委の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂の盗掘抗。


 前方部墳丘と周堤。


 前方部端全景。
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月20日

補遺[1227-32] 滝ノ口向台8号墳 千葉県袖ヶ浦市 前方後方墳 60m

 この古墳も、HP.『古墳探訪』に記載されていなかった「ランキング古墳」です。
 訪問時、自分の身長以上の笹薮や木々が生い茂る丘陵地を、ケモノ道を頼りに下を向きながら進むと、時々トゲトゲ木に出くわしイタタタタ。おまけに墳丘らしき高まりは見つけられず、あきらめかけて最初の場所に戻ろうとしたところ、人が通ったような小道に至り、傷ついた体と心に鞭を打って進むと石碑群を発見。その奥に墳丘的な高まりがあり、墳頂部に盗掘抗らしき窪みがあり、後方部と確信しました。ただし、くびれ部から前方部らしき箇所は不明で、石碑群がくびれ部付近に建立されて墳丘が削られたと思いました。
 田中裕さんは、「比較的古相の前方後方墳は、高部古墳群のほか、村田川流域の市原市草刈A99号墳(27m)、小櫃川流域の袖ヶ浦市滝ノ口向台8号墳(60m)、木更津市鳥越古墳(25m)、小糸川流域の君津市沖入SZ001(19m)等が知られる。(中略)滝ノ口向台8号墳は手焙形土器と墳丘形状から出現期古墳と目され、周囲に小規模方墳を伴う。」(「千葉県域の前期古墳と集落・土器群の動向」p.146、『野本将軍塚古墳と東国の前期古墳』所収)と述べています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「滝ノ口向台8号墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後方 墳長:48m 後円(ママ)部:径(ママ)33m 高5m 前方部:幅14m 長16m 高1m」と記されていますが、前者のデータを参考にしました。
 余談ですが、当初前方後方墳の9号墳も訪問するつもりでした。上記データベースでは、「滝ノ口向台9号墳」として、「墳丘 形状:前方後方 墳長:24m 後円部:径18.5×16m 高2m 前方部:幅4m 長4.5m 特記事項【周濠】あり(各辺が中膨らみで北西辺中央部に陸橋部をもつ)。【その他】1988~89年調査。消滅。」と記されており、跡地付近の絵でも撮ろうと思っていました。ところが、例のトゲトゲ攻撃で気力が失せてしまい訪問をあきらめました。帰宅後、寺沢薫さんの『卑弥呼とヤマト王権』を斜め読みしていたら、この9号墳が高部30号墳と同じく出現期の前方後方墳との記載を目にしました。(「図3 纏向型規格の前方後方墳と初期の大形定形化・定形型前方後方墳の分布と規模」(p.386)の中で、「庄内式新段階併行期」として「滝ノ口向山(ママ)9号」として図示) 「逃した魚は大きいだらー」。


 後方部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。

 後方部墳頂。


 全景。手前が前方部、奥が後方部。


 遠景。
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月18日

追加1071 真里谷13号墳[真里谷古墳群]木更津市 61→65m

 7年半ぶりの訪問となりました。2019年1月6日のブログでも書きましたが、「発見困難古墳」でした。現在は、グーグルマップに「真里谷13号墳」と青色のピンが立っているので、「永井公会堂」からU字あるいはV字状の山道を上っていくとたどり着くことができます。
 ただし、おっさんは前回の成功体験で、山道を上って直ぐ左手側に古墳があったという記憶のみで墳丘に向かい、途中で「こんなに遠くなかった」と思い公会堂に引き返してしまいました。グーグルマップで確認しましたが、混乱状態だったので、一本南側の道からが正解だと思い込んでチャレンジしましたが、結局ダメで公会堂へ。再び、山道の左手側(北側)斜面を息を切らせながら登り、なんとか墳丘にたどり着くことができました。「公会堂」が「後悔道」になってしまいました。そのため、別ルートで真里谷28号墳と29号墳を訪問予定でしたが、他の古墳訪問に体力を温存するため断念しました。    
 前回のブログでは、ランキングの参考にさせていただいているHP.『古墳探訪』に従って全長61mとしましたが、今回は下記の概要(案)を参考に、65mと訂正しました。ただし、混乱を避けるため、ランキングの順位はそのままです。
 木更津市指定文化財候補概要(案)の「真里谷13号墳の概要」の項目で、「木更津市真里谷の丘陵地に所在する、真里谷古墳群内の前方後円墳である。 標高90mの丘陵頂部に立地し、丘陵の裾部の水田面との比高差は約50mで、あり古墳の周囲からは東京湾方面を一望することができる景観等を考えると、前期古墳にふさわしい立地といえよう。 古墳の規模は、全長65mであり、前方部高3.0~3.5m・後円部高5.0m~6.0mである。築造の時期については4世紀後半と推定されるが、確認調査で検出した遺物(土器3点)のみでは確定的な時期の判明には至っていない。」と記されています。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂。

 墳丘上の杭。


 3つで全景(横から)。前方部。くびれ部。後円部。
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月16日

補遺[899-5] 町原17号墳 千葉県木更津市 66m

 ランキングの参考にさせていただいているHP.『古墳探訪』(註1)に掲載されておらず、今まで見逃していた大型古墳です。
 丘陵地にある「日泉化学千葉工場」の北側に「従軍馬追悼の碑」(註2)が建てられています。東に進むと、途中から舗装道路から砂利道になり、さらに進むと大規模な太陽光パネルの入口にたどり着きます。その手前の小山に古墳はありました。ただし、墳丘の大部分は笹藪で覆われて、古墳らしい絵は撮れませんでした。それでも、墳丘からの眺望には癒されました。
 田中裕さんは、「(おっさん註 小櫃川の中流域にある)小櫃地区のやや下流、平地への出入口にあたる馬来田地区には、町原17号墳(66m)、真里谷13号墳(62m)、真里谷28号墳(75m)といった60~70m級の前方後円墳が複数存在している。」(「千葉県域の前期古墳と集落・土器群の動向」p.150 『野本将軍塚古墳と東国の前期古墳』所収)と述べています。 

 (註1)残念ながらHP.『古墳探訪』は、現在閉鎖され閲覧できません。おっさんの手元に、そのコピー用紙があるのみです。
 (註2)「従軍馬追悼の碑」は、日清戦争・日露戦争・馬頭観音に関わる三碑が建立されていました。再び、このような惨禍が起こらないことを願うばかりです。  


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 後円部墳頂。


 墳丘上の杭。


 全景。右が前方部、左が後円部。


 墳丘から北西方向を見る。



 おまけ 「従軍馬 追悼の碑」
 説明板。


 石碑。
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月14日

追加1212 下郡古墳 千葉県木更津市 60m

 2019年3月12日のブログで取り上げた古墳です。そこでも書きましたが、事前準備不足で古墳の場所を特定できず、周辺をウロウロするだけで結局見つけることができませんでした。今回は、その反省を踏まえて、古墳の位置を書き込んだ地図を手にして訪問しました。
 古墳は、「千葉県農林総合研究センター 森林研究所上総試験地」の入口北側にありました。後円部墳頂には、盗掘抗?と思われる窪みがあり、古墳と確信しました。ただ、くびれ部から前方部にかけて通路状に削られており、前方後円墳らしさは感じられませんでした。
 7年ぶりの訪問でリベンジを果たし、ノドに刺さったトゲがようやく抜けた気分でした。「メデタシ、メデタシだらー」。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「下郡古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円? 墳長:60m」と記されています。
 ただし、ちば情報マップの「埋蔵文化財包含地」の該当する場所には、「滝台古墳群 第1号墳 円墳 3×1.5m」とあるのみで、「下郡古墳」の記載はありませんでした。下郡古墳から約100m南にある円墳状の高まりが「滝台古墳群 第1号墳」ではないかと思い、「おまけ」として掲載しました。  


 「森林研究所上総試験地」


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。
 後円部墳頂。


 ほぼ全景(横から)。右が前方部、左が後円部。
        以上2023年2月撮影。


 おまけ
        以上2023年2月撮影。  


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2023年05月12日

番外 千葉県の古墳①ー4 城山2号墳[城山古墳群] 香取市 45m

 小見川高校の入口の北側に位置している古墳です。墳丘の北側の部分は、高校の敷地内となっています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「城山2号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:45m 特記事項 市史跡」と記されています。ただし、香取市の史跡に指定されているのは、浄水場内にある4号墳なので、上記「市史跡」の記載は誤りだと思われます。
 余談ですが、碑にある「興世王」は、平安時代の皇族で、平将門と関係が深い人物ということなので、古墳の被葬者としては・・・です。


 前方部からくびれ部の石碑など。

 「興世王墳墓の碑」とその部分。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 手前が前方部左隅、奥が後円部。


 全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
        以上2023年2月撮影。  


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