2023年07月31日

番外 長野県の古墳②ー3 大室243号墳[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径約18m

 「エントランスゾーン」で、244号墳の次に目にすることができる古墳です。下記のように、盗掘抗から見える石室内の「244」という数字が印象に残っています。
 風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 243、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) 径約18、外表施設 土師・須恵・底部穿孔壺、埋葬施設 横穴式石室(無袖)、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
 長野市のHP.にある「大室古墳群」の「243号墳」の項目で、「整備前は墳丘の約半分が失われ、横穴式石室が露出していました。また、石室の奥壁近くでは壁の石を抜き取った盗掘坑が開いていて、崩壊寸前の危険な状態でした。このため、墳丘を保護盛土によって復元し、表面には保護盛土流失防止のためにコグマザサを植栽しました。また、奥壁付近の盗掘坑から石室の内部が見学できるように、整備を行なっています。 盗掘坑から石室内をのぞくと、正面の壁面に白ペンキで書かれた「243」の文字が残っています。これは、昭和24年から27年にかけて、栗林紀道先生を調査責任者として寺尾中学校によって実施された分布調査の際に付けられたものです。すでに多くの古墳で失われていますが、エントランスゾーンでは本墳と239号墳でみることができます。」と記されています。
 「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。


 長野市教委の説明板。


 石室内部。


 全景。
        以上2016年4月撮影。


 表示板。


 石室入口。

 石室内部。

 全景。

 全景。
         以上2011年5月撮影。  


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2023年07月29日

番外 長野県の古墳②ー2 大室235号墳[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径約15m

 古墳は、「エントランスゾーン」に位置し、ガイダンス施設の「大室古墳館」の北東側に隣接しています。下記のように半壊状態なので、墳丘への立ち入りはできませんでした。
 風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表①」では、「古墳名 235、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) 径約15、外表施設 土師・須恵、埋葬施設 横穴式石室(無袖)、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.32)と記されています。
 長野市のHP.にある「大室古墳群」の「235号墳」の項目では、「史跡指定時には、斜面上方側となる東側半分の墳丘が失われて、横穴式石室の側壁裏側が完全に露出している状況でした。さらに、羨道天井石や奥壁の一部が取り外されていましたが、現況を最大限に活かした保存整備を実施し、西側半分は本来の姿、東側半分は横穴式石室の横断面が観察できるようにしました。」と記されています。
 「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。


 表示板。


 ほぼ全景。


 ほぼ全景。

 ほぼ全景。


 「大室古墳館」。
         以上2011年5月撮影。  


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2023年07月27日

番外 長野県の古墳②ー1 大室23号墳[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径18×13m

 前回に続いて、積石塚古墳です。ただし、今回は、多数の積石塚古墳が見られ、中には合掌形石室という珍しい古墳もある大室古墳群です。おっさんは、密かに積石塚古墳群界の「大関」だと思っています。
 ちなみに、「横綱」は、香川県高松市の石清尾山古墳群です。今まで、石清尾山猫塚古墳(ランキング334位)・鏡塚古墳(ランキング805位)・稲荷山北端古墳(ランキング補遺[835]位)・石船塚古墳(ランキング1306位)などを掲載しています。
 最初の訪問では、大室古墳群は下記のように5つの支群に分かれる大規模な古墳群という認識はなく、駐車場付近の「エントランスゾーン」エリアの古墳を5基ほど見学しただけでした。二度目は意を決して、お目当ての合掌式石室の168号墳や唯一の前方後円墳の18号墳などを訪問しました。
 この23号墳は、上信越自動車道建設にともなう発掘調査後、約150m南の現在地(「エントランスゾーン」)に移設・復元されたそうです。新しい説明板では、「□墳形 円墳(18m×13m) □埋葬施設 横穴式石室(両袖形) □年代 7世紀前半」と記されています。  
 長野市のHP.の「大室古墳群」の中の「大室古墳群の保存整備」の「大室古墳群について」の項目で、「大室古墳群は、長野市南部の松代町大室に所在する、古墳時代の5-7世紀代に築造された総数約500基の古墳群です。奇妙山から派生する3つの支脈尾根上とそれに挟まれた2つの谷部に立地し、約2.5km平方の範囲に密集して分布しています。古墳の分布状態とその地形条件などから大小5つの支群に大別され、うち大室谷支群の一部が国史跡に指定されました。 北山支群は、大星山の尾根上を中心として22基の古墳により構成されています。山頂近くに位置する18号噴は大室古墳群唯—の前方後円墳(全長56m)です。 大室谷支群は、大星山の支脈と中央支脈とに挟まれた谷部に分布し、古墳数241基を数えます。古墳の分布範囲は谷入ロの標高360mから最深部の660m地点までの総延長2kmに達し、著しく細長い帯状の分布を示しています。継続的な学術調査が実施されてきた地区であり、国史跡に指定されました。霞城支群は、中央支脈の先端部尾根上に分布しています。大室集落を眼下に見る位置にあり、16基の古墳により構成されています。なお分布範囲に重複して中世段階に霞城が構築されたため一部の地形の改変がみられます。 北谷支群は、中央支脈と、尼厳山の支脈である金井山(標高495m)とに挟まれた谷部に位置し、古墳総数208基を数えます。支群内はさらに、谷裾の緩斜面と上部の4支谷に立地条件が細分されます。 金井山支群は、金井山の尾根上を中心として分布しています。鳥打峠周辺を含めて18基の古墳により構成されています。」と記されています。
 また、「大室古墳群の特徴」の項目で、「積石塚が古墳群全体の8割を占めていること。 日本全国で約40例しかない合掌形石室が、25基も確認されていること。 渡来系集団との関わりが考えられること。 馬の生産との関わりが考えられること。」の4点が指摘されています。
 余談ですが、群馬県前橋市にも同名の「大室古墳群」があります。このブログでも、中二子古墳(ランキング201位)・前二子古墳(ランキング363位)・後二子古墳(ランキング494位)などを取り上げています。


 長野市教委の「史跡」説明板。

 長野市教委の説明板。


 石室入口。

 全景。
        以上2016年4月撮影。

 標柱。

 長野市教委の説明板。


 石室入口。

 石室内部。

 全景。
         以上2011年5月撮影。  


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2023年07月25日

番外 長野県の古墳① 針塚古墳 松本市 円墳 径20m

 10年以上前なので、訪問時の記憶が全く残っていない古墳です。
 松本市のHP.の「針塚古墳」の項目で、「針塚古墳は以前から積石塚古墳として知られていました。積石塚古墳とは土のかわりに石をもって封じ、墳丘を造った古墳で、高句麗(こうくり 朝鮮半島北部の古代国家)に多い墓制であることから渡来人との関係を指摘する声もあります。 平成元年度(1989年)から3次にわたって発掘調査が行われました。その結果は、幅約2mの周溝をめぐらした円墳で直径約20m、高さは約2mが確認できました。埋葬施設は墳頂部に長さ約2m、幅約1mの竪穴式石室、東側の周溝内に長さ約2m、幅35センチメートル、深さ33センチメートルの竪穴式石室、東南側周溝内に木棺墓(もっかんぼ)が発見されました。このうち墳頂部の竪穴式石室内からは内行花文鏡(ないこうかもんきょう)をはじめ、鉄斧(てっぷ)、鉄鏃(てつぞく)、刀子(とうす 小刀)、ガラス小玉、滑石製紡錘車(かっせきせいぼうすいしゃ 糸をつむぐときに使用するはずみ車)、かこ(かねへんに交+具 例えば馬に鞍を取りつけるためのベルトを固定する金具)が発見されました。そのほかに南西部の周溝内から埋葬に際して行われた「おまつり」に使用された土師器(はじき)、須恵器(すえき)がまとまって見つかっています。 この発掘調査では、まずこの古墳が方形3段積みの古墳ではなく、円墳であったこと、「おまつり」に使用された土器から古墳の築造年代は古墳時代中期の5世紀後半であること、古墳の墳丘は、周溝の土を盛り上げその上に薄川の石を積みあげて造った積石塚古墳であることなどがわかりました。」と記されています。
 古墳は、長野県の史跡に指定されています。


 石柱。

 説明板。


 墳頂。


 ほぼ全景。


 全景。

 全景。
         以上2012年8月撮影  


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2023年07月23日

番外 山梨県の古墳⑧ 竜塚古墳 笛吹市 方墳 辺56m

 訪問時、古墳は南側と北側で墳丘上の色が異なっており、奇異な印象を受けました。
 また、その時は意識していませんでしたが、東日本の前・中期の方墳としては最大規模だそうです。確かに、今まで掲載した千葉県栄町の竜(龍)角寺岩屋古墳(ランキング554位)・千葉県山武市の駄ノ塚古墳(ランキング1027位)・群馬県前橋市の総社愛宕山古墳(2019年4月16日に掲載)や宝塔山古墳(2019年4月15日に掲載)は、いずれも前方後円墳の築造が見られなくなった7世紀前半に造られた終末期の方墳でした。 
 笛吹市のHP.の「市内文化財ガイドブック」にある笛吹市教育委員会文化財課による「竜塚古墳」の「竜塚古墳の概要と調査」の項目で、「竜塚古墳の墳丘は基底部平面が一辺56mの正方形で、頂部も一辺21mの正方形をしています。古墳の造られている平坦面は北にゆるく傾斜しているため、南の端では1.6mほど高くなっています。 また、墳丘の周囲には幅10~15mの周溝が認められます。(中略)墳丘頂上と周溝中からは5世紀前半頃の土師器片が見つかっていますので、竜塚古墳はこのころ築造されたと推定されています。」と記されています。
 古墳は、山梨県の史跡に指定されています。また、小さな谷をへだてて、約600m東に岡銚子塚古墳(ランキング374位)があります。
 余談ですが、上記「竜塚古墳」には、下の遠景とほぼ同じ場所で撮られた「岡・銚子塚古墳から西の竜塚を見る」と題した写真が掲載されており、びっくりしました。


 説明板。


 墳頂。


 全景。南西から。

 ほぼ全景。北北西から。

 全景。南から。


 遠景。東の岡銚子塚古墳付近から見る。右端にリニア実験線が見える。
        以上2015年12月撮影。  


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2023年07月21日

番外 山梨県の古墳⑦ 八代狐塚古墳 笛吹市 50m

 古墳は、中央自動車道「笛吹八代」スマートICの約300m北東に位置しています。ただし、このスマートICは、訪問時には開通していませんでした。
 古墳は、果樹園(ブドウ畑)の中にあり、後円部の墳丘は意外に高かった記憶があります。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「狐塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:50m 後円部:径35m 高6m 前方部:幅11m 高3m 特記事項【周濠】あり(推定)。【その他】墳丘規模は現存値。副葬品はすべて前方部より出土。形態は不明だが、前方部と後円部とに主体部の存在が推定される。」と記されています。
 余談ですが、説明板では、「全長二六・00メートルで(中略)後円部は径二六・00メートル」と記されており、「レレレのレ」となってしまいました。
 古墳は、「狐塚古墳」という名称で、笛吹市の史跡に指定されています。


 説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 後円部墳頂。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。
        以上2015年12月撮影。  


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2023年07月19日

番外 山梨県の古墳⑥ 馬乗山1号墳 笛吹市 円墳 径13m

 消滅古墳です。現在は、中央自動車道境川PA上りの駐車場となっています。東に隣接して、前方後円墳の馬乗山2号墳(八乙女塚古墳)(ランキング1131位)がありましたが、これも消滅しています。
 ただし、この1号墳の石棺は、曽根丘陵公園内に移築・保存されています。「めでたし、メデタシ」。
 山梨県教育委員会・日本道路公団の『八乙女塚古墳(馬乗山1号・2号墳)・口開遺跡』では、「(おっさん註 馬乗山1号墳の)墳形は 、方形に近い円墳と考えられる 。周溝内側上面で南北約13m、東西は東側の推定位置まで約12mであ った。(中略)また墳丘の高さは周構内側上面から南側で0.8m、北側で 1.6mであった。」(P.9)と述べられています。 
 約200m北に、表門神社古墳(ランキング[1055-4]位)があります。


 跡地付近。

 跡地付近遠景。
        中央自動車道境川PA上り。

 曽根丘陵公園内(山梨県立考古博物館の東側)の説明板。


 移築石棺。右が1号棺、左が3号棺。


 移築石棺。手前が1号棺、奥が3号棺。


 移築石棺。手前が2号棺、右奥が3号棺、左奥が1号棺。
        以上2015年12月撮影。  


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2023年07月17日

番外 山梨県の古墳⑤ 姥塚古墳 笛吹市 円墳 径40m

 古墳は、中央自動車道の「一宮御坂」ICの約1.2km西、南照院の境内に位置しています。下記のように、「東日本随一の規模」の石室とありますが、小心者のおっさんは、石室入口前のバリケードを見て入室は断念しました。「石室マニアからは、白眼視じゃん」。
 笛吹市のHP.の「市内文化財ガイドブック」にある笛吹市教育委員会文化財課の「姥塚と群集墳」の「姥塚」の項目で、「姥塚は、6世紀後半に造られた横穴式石室を持つ円墳で、現存する部分だけでも石室長約18m、古墳直径も40m、高さ10mを測り、東日本随一の規模を誇ります。古墳の周囲には幅約10mの溝(周溝)が巡ります。(後略)」と述べられています。
 古墳は、山梨県の史跡に指定されています。


 山梨県教委・笛吹市教委の説明板。


 石室入口。


 全景。北から。

 全景。東から。

 全景。南東から。

 全景。南西から。
        以上2015年12月撮影。  


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2023年07月15日

番外 山梨県の古墳④ 伊勢塚古墳 市川三郷町 円墳 径36m

 三珠大塚古墳(ランキング790位)訪問途中に見つけた古墳です。この古墳から、約300m北東に大塚古墳があります。
 市川三郷町のHP.の「伊勢塚古墳」の項目で、「市川三郷町大塚、北原古墳群中の一基で、大塚地区の古墳群中もっともよく原型を残して、一般からも親しまれているのがこの伊勢塚である。基底は径36m、高さ8m、頂点の径18mである。頂点には伊勢大神を祠る石祠があり塚の名称の由来となっている。封土上には数本の大木があったがすべて伐採され、今は草地となっている。 一説には江戸末期に発掘を試みたが、崇りを恐れて原形に復し石祠を建立したといわれている。」と記されています。
 古墳は、町の史跡に指定されています。


 市川三郷町教委の説明板。


 墳頂。


 全景。南南西から。


 全景。南南東から。
        以上2015年12月撮影。  


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2023年07月13日

番外 山梨県の古墳③ 加牟那塚古墳 甲府市 円墳 径45m

 訪問時、思いがけず富士山に出会えたことが印象に残っている古墳です。ただし、肉眼でははっきりと確認できましたが、墳頂から撮った絵は残念ながら逆光で・・・です。「バッドタイミングだらー」。
 今まで何度も書いてきましたが、古墳の築造にあたって、富士山や筑波山・大山などその地域の「神奈備山」を眺望できる場所が選定されたと妄想しています。例えば、静岡県富士市の浅間古墳(ランキング301位)・神奈川県逗子市の長柄桜山2号墳(ランキング442位及び追加442位)・千葉県木更津市の祇園大塚山古墳(ランキング補遺[316-5]位)のブログでその点を指摘しています。
 山梨県のHP.にある「埋蔵文化財センター」の「遺跡トピックスNo.0383加牟那塚古墳[甲府市〕」の項目で、「加牟那塚古墳のデータ」として「呼び名:『山梨県史資料編1.』1998(p532)の標記では「かむなづかこふん」ですが、一般的に「かんなづかこふん」と呼ばれています。  場所:甲府市北西部の方山と湯村山との山裾を南東に流れる荒川の左岸で、甲府市千塚3丁目7番地に所在しています。  標高:295mです。  墳丘の規模:墳丘の測量図から直径40~45mと思われます。  墳丘の高さ:推定で7mです。  周溝の有無:本古墳の周辺は宅地化が進み、調査を実施することは困難な状況となっているため周溝(しゅうこう)の存在は不明です。  墳丘:2段に築かれていて、円筒埴輪(えんとうはにわ)、太刀(たち)、盾(たて)、馬形埴輪、武人(ぶじん)埴輪などが立てられていたことが、山梨県史(資料編1.1998)に記載されています。(後略)」と記されています。
 古墳は、「加牟那塚」という名称で、山梨県の史跡に指定されています。


 標柱。

 山梨県教委・甲府市教委の説明板。


 石室入口。内部。


 墳頂。中央の屋根の左端の上に富士山が・・・。


 全景。
        以上2015年12月撮影。  


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