2018年06月29日

609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m

 古墳ではなく弥生時代後期の墳丘墓です。足守川を見下ろす丘陵の頂部に位置しています。現状では、高さがあまりない円(楕円)丘状ですが、発掘調査により、長方形の突出部が南西側と北東側に2つあることが明らかとなりました。また、円丘頂部には、最大3.5m以上の立石が5つ建てられていることが特徴的です。そして、この墳丘墓から出土したと考えられている「弧帯文石」は、代々ご神体として楯築神社に伝えられ、現在は、「施帯文石」という名称で重要文化財に指定され、墳丘墓近くの収蔵庫に保管されています。墳丘墓も、「楯築遺跡」として国の史跡に指定され、周辺地域は「王墓の丘史跡公園」として整備されています。
 楯築弥生墳丘墓発掘調査団の『倉敷市楯築弥生墳丘墓 第Ⅴ次(昭和60年度)・第Ⅵ次(昭和61年度)発掘調査概要報告』では、「以上により、楯築弥生墳丘墓の遺跡現存部の全範囲は、北東から南西にかけて最長約78m、推定最大幅は円丘部東西の53mとなる。」(p.22)と述べています。
 寺沢薫さんは、この墳丘墓の意義について次のように述べています。「最も重要な点は、楯築墳丘墓が巨大な円丘の突出部をもった弥生時代最大の墳丘墓であり、その墳形こそ、私が最古の前方後円墳と考える『纏向型前方後円墳』の原型であることだ。(おっさん感想 ちょと飛躍があるだらー)(中略) 次には、のちに前方後円墳に立て並べる円筒埴輪の起源ともなった巨大な特殊器台・壺が編み出され、初めてキビの『王のなかの王』の死に際しての『秘儀』で立て並べられ、後で破砕されたことである。(中略)さらに、特殊器台・壺と同様の文様を付けた大きい方の弧帯石もここから出土した。」(『日本の歴史02 王権誕生(文庫版)』pp.243~244)

 倉敷市教委の説明板3つ。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m


 南西突出部跡。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m


 北東突出部跡。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m


 円丘部。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m


 円丘頂部の立石。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m


 収蔵庫内の弧帯文石。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m
            以上2014年3月撮影。      「ガラスに顔が写って見えんじゃん」。


 円丘部。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m


 円丘頂部の立石。
609 楯築弥生墳丘墓 岡山県倉敷市 双方中円墳 78m
            以上2008年9月撮影。



Posted by じこま at 08:18│Comments(0)
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