2019年12月31日

追加178 石櫃山古墳 福岡県久留米市 115m

 消滅古墳です。古墳の前方部跡が高良内町にある半井病院、後円部跡がその駐車場や住宅地になっています。前回が駐車場の絵しかなかったので、8年ぶりに訪問しました。今回は、前方部端跡と前方部左隅跡から後円部跡の絵が古墳らしいものになっています。
 久留米市教育委員会の「BUNKAZAI」の「西峰・高良内校区遺跡一覧表」の「石櫃山古墳」の項目で、「全長115mの前方後円墳で、管玉や鉄器や埴輪などが見つかっています。墳頂部に家形石棺がありました。現在は残っていません。」と記されています。


 後円部跡。北西から。

 前方部跡。北から。


 前方部端跡。西から。

 前方部左隅跡から後円部跡。南から。
            以上2019年12月撮影。  続きを読む


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2019年12月30日

追加786 沖出古墳 福岡県嘉麻市 70→(68)m

 その優美な姿を見たくて5年ぶりに再訪しました。墳丘の劣化は若干認められるものの、その姿は相変わらず絵になる美しさでした。ただ、石室内の石棺が水滴で見えにくいのが残念でした。1997年に福岡県の史跡に指定されています。
 墳丘に関するデータについては、前回のブログ(2018年8月31日)と同じですので割愛します。   


 石碑。説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂。前方部端の復元家形埴輪。


 石室入口。石室内の石棺。


 全景。右が後円部、左が前方部。
            以上2019年12月撮影。  続きを読む


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2019年12月29日

追加880 桂川天神山古墳 福岡県桂川町 67→(68)m

 古墳は、西側くびれ部に社殿が建立され削られているものの、墳丘だけでなく幅の広い周溝や周堤がよく残っていました。また、社殿付近は、イチョウの落ち葉による黄色の絨毯が鮮やかでした。訪問後に知ったことですが、今年の9月に町教委と九州大学大学院の考古学研究室が範囲確認の発掘調査をしており、そのため墳丘上の草木が刈られており、いい絵が撮れました。また、前回の訪問時、遠景の絵を撮り損ね後ろ髪を引かれる思いだったのでリベンジを果たした気分でした。
 桂川町教育委員会教育長 大庭公正、九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室の「福岡県桂川町・天神山古墳 発掘調査のご案内」(令和元年9月4日)で、「(前略)今年度におきましては,桂川町大字豆田所在の天神山古墳(全長約68mの前方後円墳)において,墳丘および周堤について,範囲確認を目的としたトレンチによる発掘調査を下記の通り実施いたします。(後略)」と記されています。
 約700m北西に、壁画古墳で著名な桂川王塚古墳(ランキング563位)があります。


 案内板。説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 後円部墳頂。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。


 周溝。


 くびれ部の社殿。


 全景。右が後円部、左が前方部。

 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。西側の国道200号線上の陸橋から。


 遠景。南西から。
            以上2019年12月撮影。  続きを読む


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2019年12月28日

補遺[553-1] 金比羅山古墳 福岡県桂川町 (約81)m

 未訪問古墳でした。前項目の山ノ神古墳の所在地確認を進めていく中で、下記の辻田論文でこの古墳の存在を知りました。感謝申し上げます。
 辻田淳一郎さんは、「山の神古墳の研究:『雄略朝』期前後における地域社会と人制に関する考古学研究:北部九州を中心に」の「概要」の中で、「また嘉穂地域の地域社会の基盤を考える上で重要な遺跡である桂川町金比羅山古墳の調査を行った結果,約81mの前期前方後円墳であることが判明した。」と述べています。また、「・全長81mの前方後円墳であり、地山削り出しを基本として後円部西側に一部盛土を施す形で構築されている。 ・周溝・葺石・埴輪を持たず、墳頂部に壺形土器を立て並べるといったあり方も認められない。 ・後円部3段・前方部2段の段築をもつ。 ・後円部がやや大きく、前方部が細長く伸びる形態であり、特に後円部については旧地形の影響で左右非対称で完成された可能性がある。」(p.182)と本文で詳述しています。
 墳丘上の木々の幾つかに、近隣に所在する桂川王塚古墳(ランキング563位)の装飾壁画の一部分のコピーが括りつけてありました。また、地域の方との会話でもこの金比羅山古墳が話題となり、森浩一さんの「考古学は地域に勇気を与える」という言葉を思い出しました。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。


 後円部墳頂の石柱「金比羅旧祭之地跡」の銘。三角点。鳥居。


 墳丘上の木にくくり付けられた王塚古墳の壁画図2つ。前者は馬と人、転回した後者は靫。
            以上と以下も2019年12月撮影。

 遠景。
  


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2019年12月27日

追加589 山ノ神古墳 福岡県飯塚市 80m

 消滅古墳です。前回のブログ(2018年6月23日)では、誤った場所の絵を掲載したと思い込んで、5年ぶりに再訪しました。ところが、後日前回のブログを見てみると、同じ場所の絵を撮っていたではありませんか。「事前にしっかり確認しりん」。
 辻田淳一郎さんは、「山の神古墳の研究:『雄略朝』期前後における地域社会と人制に関する考古学的研究:北部九州を中心に」の「概要」の中で、「1933年に発見された山の神古墳の出土遺物について,当時の墳丘や横穴式石室に関する情報とともに整理・報告を行った。その結果,山の神古墳が約80mの前方後円墳で,TK47型式期前後に初葬,TK10型式前後に追葬が行われていることが明らかとなった。」と述べています。この論文にある古墳の測量図と現在の地図を重ね合わせた図(図2-13、p.31)がなければ、この場所にたどり着くことができませんでした。感謝申し上げます。


 後円部付近。飯塚市枝国588-1付近。西から。

 後円部付近。枝国594-1付近。東から。

 くびれ部付近。枝国527-39付近。北から。


 前方部端付近。枝国527-46付近。西から。

 前方部右隅から後円部付近。枝国527-46付近。北から。
            以上2019年12月撮影。  


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2019年12月26日

追加636 那珂八幡古墳 福岡県福岡市 75→(86)m

 前回のブログの絵がイマイチだったので、9年ぶりに訪問しました。後円部は神社の社殿で改変され、前方部はほとんど削平されています。前回よりいい絵を撮ることができましたが、下記の現地説明会資料にあるように、前回のブログの記述内容の変更が必要になってきました。 
 福岡市経済観光文化局埋蔵文化財課の「那珂八幡古墳確認調査(那珂遺跡群第175次調査)現地説明会資料」(平成31年2月16日(土))によると、「調査の成果」として、「①以前の発掘調査や試掘調査では不明確だった前方部周溝の形状や規模がより明確になり、古墳全体の規模,形状がより正確に推定できるようになった。②推定される古墳の規模は,全長86.0~86.4m,後円部径51.5~52.5m,前方部長34.0~34.4m,前方部前端幅32.0~32.7mである。(全長は前方部前端線(周溝下端)の判断が難しく,推定値。)③古墳全体の形状は,当初推定されたいわゆる『纒向型』(後円部径:前方部長=2:1)ではなく,後円部径:前方部長=8:5の,北部九州に多い類型である。④前方部南側側縁部の形状は直線的ではなく,後円部から一度細くくびれて隅角部に向かってゆるやかに広がる。この形状は比較的古い古墳に多い。⑤前方部前端の形は直線的ではなく,おおむね弧状を描くと考えられる。これは,出現期の古墳に多い特徴である。⑥前方部南側隅角は,稜線の南側(側縁側)に数段の平坦面があり,上部の狭いテラスには柱穴列があることから,その下の平坦面は『通路』とも考えられる。前方部ないし『突出部』に通路状の施設を持つものは,出現期の前方後円墳や弥生時代後期後半~終末期の『墳丘墓』にある。那珂八幡古墳が『弥生墳丘墓』から『古墳』への過渡期に築造されたことを示唆している。⑦前方部南側周溝外縁部は,斜面途中に平坦面がある2段掘りで,後円部南側周溝外縁部で確認された状況と類似している。」と述べられています。難解なので要点だけ意訳すると、従来75mとされていた全長が約86mであり、寺沢薫さんの定義する「纏向型前方後円墳」と墳形が異なる出現期の古墳ということでしょうか。


 福岡市教育委員会の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側跡。左側跡。


 後円部墳頂。


 全景。手前が前方部跡、奥が後円部。南西から。

 全景。右が後円部、左が前方部跡。南南西から。
            以上2019年12月撮影。  


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2019年12月25日

追加649 東光寺剣塚古墳 福岡県福岡市 75m

 前回の絵がイマイチだったので9年ぶりに訪問しました。その筋の人の中ではよく知られているようですが、この古墳はアサヒビール博多工場の敷地内にあります。前回のように、守衛所で古墳見学の希望を伝えると「数年前の台風の影響で見学は中止している」との返答。日頃、スーパードライを飲んでいないタタリが・・・。仕方がないので、工場の塀の外から絵を撮りましたがイマイチでした。「酒でも飲まなきゃやってられんだらー」。
 墳丘に関するデータは、前回のブログ(2018年7月12日)に書きましたので割愛します。


 2つで全景。後円部。前方部。


 遠景。林の右端が後円部。北東から。
            以上2019年12月撮影。  続きを読む


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2019年12月24日

追加645-1 山ノ鼻2号墳のおまけの「山ノ鼻1号墳」 福岡県福岡市 50→(37)m 

 この古墳は5年ぶりの訪問です。その時は整備中で墳丘に行くことができず、下から見上げることしかできませんでした。2015年に整備されて、現在は「山ノ鼻古墳公園」として墳丘に立ち入ることができるようになりました。ただ、史跡公園としてではなく都市公園として整備されたためか、今宿大塚古墳(ランキング963位)のような美しい姿を期待していましたが、古墳のモニュメントのようでおっさん的には「ど×××」でした。子どもの遊び場としてはいいのかもしれませんが・・・。
 福岡市教育委員会が1992年に発行した発掘調査報告書『山ノ鼻1号墳』では、「墳丘規模は、前方部東縁の隅角が不詳ながらも全長50m、後円部径22~23m、前方部長28.5m、前方部幅17m、くびれ部幅8.5mに復原できる。ただし、くびれ部は東西で若干のずれがあり、くびれ部角から起算した前方部隅角までの長さは、東側が28.5m 、西側が30.5mになる。そのために後円部も正円ではなく、南北に圧縮された形状で俯瞰はやや歪んでいる。」(p.22)と述べられています。ただし、2016年に福岡市によって後円部上に設置された説明板では、「墳丘の長さ約37m、後円部の径約21m」と表示されています。ここでは、その後の調査で数値が確定されたと理解し、後者の37mと表示します。この古墳は、「今宿古墳群」を構成する古墳のひとつとして、2004年に国の史跡に指定されています。


 福岡市の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 全景(横から)。右が後円部、左が前方部。
            以上2019年12月撮影。  


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2019年12月23日

追加645 山ノ鼻2号墳 福岡県福岡市 75m

 消滅古墳です。現在は住宅地となり、古墳の痕跡すら全く見られません。東方約150mに位置する1号墳が、復原されて国の史跡に指定されているのと対照的に。
 前回のブログでは地上からの跡地の絵でしたが、今回は1号墳のある高台からの絵です。
 福岡市教育委員会の発掘調査報告書『山ノ鼻2号墳』では、「このことを総合すれば、山ノ鼻2号境の規模は全長75m、前方部長31.5m、前方部幅25.5m、くびれ部幅18m、後円部径51mに復原しうる。この規模は、糸島平野から今宿平野の前方後円墳の中ではやや大きな部類に属する。墳丘の軸線の方位はN-7°-Eで、前方部をほぼ真北に向ける。今回の調査によって復原した墳丘規模と従前の復元値との間には差異が生じ、従来の見解を見直す必要があるものと思われる。」(p.23)と述べられています。


 山ノ鼻1号墳から見る2号墳跡。東から。
            グラウンド奥の住宅地が跡地。            2019年12月撮影。    続きを読む


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2019年12月22日

追加1162 峯(峰)古墳 福岡県福岡市 60→(56)m

 2019年2月14日のブログで紹介していますが、この時は未訪問古墳でした。ようやく訪問することができたので紹介します。5年前に同じ九州大学伊都キャンパス内にある元岡池ノ浦古墳(ランキング1065位)を訪問した時、この古墳の存在は前項目の塩除古墳同様に全く眼中になく、その後未訪問古墳として胸中に棘のように突き刺さっていました。後述の「基本計画」によると、この古墳も塩除古墳と同じく全長60mではなく、「ブルータスお前もか」の気分ですが、他の古墳群とともに「ん年後」に本格的整備される予定だそうです。その時まで、元気だったら再訪したいと思っています。余談ですが、従来の古墳名は「峯古墳」となっていましたが、最近では「峰古墳」と表記されているようです。
 「九州大学伊都キャンパス文化財整備基本計画」の「(13)峰古墳」の項目で、「遺構:前方後円墳 ・全長約56m、後円部径約33~34m、後円部平坦面径約6m、前方部長さ約23m、前方部最大幅約14.8m、くびれ部幅約18m ・電気探査によると、横穴式石室を持つ古墳である可能性が高い ・段築は、後円部2段、前方部1段と想定される ・石ケ原古墳に近接するか、それより古い時期に築造されたと考えられる」(p.14)と記されています。
 

 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 2つで全景(横から)。後円部。前方部。


 杭。


 遠景。
            以上2019年12月撮影。  


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