2020年12月31日
898-3 天王山古墳のおまけの「亀塚古墳」 滋賀県野洲市 35→(45以上)m
この亀塚古墳も、「大岩山古墳群」として国の史跡に指定されています。ただし、今まで紹介した甲山古墳・円山古墳、そして天王山古墳は「桜生史跡公園」内に保存・整備されているのに対し、その約800m北西に位置しています。また、前方部は削平され、後円部も裾部が削られています。ただし、周濠跡がカラー舗装されており、墳形は容易に確認することができます。
桜生史跡公園案内所のパンフレット「国指定史跡 大岩山古墳群 -滋賀県野洲市所在ー」の「亀塚古墳」の項目で、「大岩山丘陵の北西に広がる自然堤防上に築造されており、周辺には古冨波山古墳や冨波古墳が所在しています。江戸時代には後円部の墳丘の亀に似た形から、字名に亀塚の名前が生まれました。古くから土取り場となり、後円部のみに墳丘が残存していました。2007年の保存整備に伴う試掘調査により周濠が発見され、後円部の墳丘は径33m前後で、西へ伸びる前方部があり、全長45m以上の帆立貝形または前方後円墳と推察されます。(後略)」と記されています。
滋賀県教委の説明板。野洲市教委の説明板。

後円部残存部。前方部跡。

前方部跡から後円部残存部。
ほぼ全景。手前が前方部跡、奥が後円部残存部。
以上2015年12月撮影。
滋賀県教委の旧説明板。
後円部残存部(横から)。
ほぼ全景(横から)。右が後円部残存部、左が前方部跡。
以上2009年6月撮影。
桜生史跡公園案内所のパンフレット「国指定史跡 大岩山古墳群 -滋賀県野洲市所在ー」の「亀塚古墳」の項目で、「大岩山丘陵の北西に広がる自然堤防上に築造されており、周辺には古冨波山古墳や冨波古墳が所在しています。江戸時代には後円部の墳丘の亀に似た形から、字名に亀塚の名前が生まれました。古くから土取り場となり、後円部のみに墳丘が残存していました。2007年の保存整備に伴う試掘調査により周濠が発見され、後円部の墳丘は径33m前後で、西へ伸びる前方部があり、全長45m以上の帆立貝形または前方後円墳と推察されます。(後略)」と記されています。
滋賀県教委の説明板。野洲市教委の説明板。
後円部残存部。前方部跡。
前方部跡から後円部残存部。
ほぼ全景。手前が前方部跡、奥が後円部残存部。
滋賀県教委の旧説明板。
後円部残存部(横から)。
ほぼ全景(横から)。右が後円部残存部、左が前方部跡。
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2020年12月30日
898-2 天王山古墳のおまけの「円(圓)山古墳」 滋賀県野洲市 円墳 径37→28m
前回の甲山古墳と同じく「桜生史跡公園」内に整備・保存されている古墳です。この古墳も、甲山古墳と同様に石棺の石材には「阿蘇ピンク石」が使用されています。また、奥壁近くのもう一つの石棺の石材は「二上山白石」ということです。真の継体大王の墓と考えられている今城塚古墳からも、この2種類の石材を含む3種類の石材(兵庫県高砂産の竜山石)が出土しています。
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の「№023 大岩山古墳群」の中の「円山古墳」では、「この古墳も桜生地区にあり、築造年代は甲山古墳よりやや新しい時期と考えられています。昭和57年に実施した測量調査からの知見では、墳丘の北東側に幅約15m、長さ約10mの方形に近い造出し状の突起が見られることから、帆立貝形の古墳と考えられていました。しかし、近年行った発掘調査では、この部分が、造出し部とは考えがたい状況が見つかったことから、直径が約28m、高さが約8mの円墳とすることが適当と考えられます。 主体部は、甲山古墳と同様な構造の横穴式石室で、玄室の長さ約4.3m、奥壁幅約2.4m、高さ約3.1mの規模があり、床面には玉石が敷き詰められていました。玄室の手前寄りには、長さが2.83m、最大幅1.47m、高さ1.8mの、これも甲山古墳と同じ、熊本県宇土半島産阿蘇溶結凝灰岩で造られた、内外面を真っ赤に塗った刳抜き式の家形石棺が納められていました。また、この石棺の背面には、奈良、大阪の県境にそびえる二上山の凝灰岩で造られた、組合わせ式の石棺が安置されていました。(後略)」と述べられています。
1941年に国の史跡に指定されていましたが、近隣の7基の古墳とともに「大岩山古墳群」という名称で再指定されています。
石柱。?教委の説明板。

石室入口。石室内部。

墳頂。
ほぼ全景。
以上2015年12月撮影。
全景。
2009年6月撮影。
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の「№023 大岩山古墳群」の中の「円山古墳」では、「この古墳も桜生地区にあり、築造年代は甲山古墳よりやや新しい時期と考えられています。昭和57年に実施した測量調査からの知見では、墳丘の北東側に幅約15m、長さ約10mの方形に近い造出し状の突起が見られることから、帆立貝形の古墳と考えられていました。しかし、近年行った発掘調査では、この部分が、造出し部とは考えがたい状況が見つかったことから、直径が約28m、高さが約8mの円墳とすることが適当と考えられます。 主体部は、甲山古墳と同様な構造の横穴式石室で、玄室の長さ約4.3m、奥壁幅約2.4m、高さ約3.1mの規模があり、床面には玉石が敷き詰められていました。玄室の手前寄りには、長さが2.83m、最大幅1.47m、高さ1.8mの、これも甲山古墳と同じ、熊本県宇土半島産阿蘇溶結凝灰岩で造られた、内外面を真っ赤に塗った刳抜き式の家形石棺が納められていました。また、この石棺の背面には、奈良、大阪の県境にそびえる二上山の凝灰岩で造られた、組合わせ式の石棺が安置されていました。(後略)」と述べられています。
1941年に国の史跡に指定されていましたが、近隣の7基の古墳とともに「大岩山古墳群」という名称で再指定されています。
石柱。?教委の説明板。
石室入口。石室内部。
墳頂。
ほぼ全景。
全景。
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2020年12月29日
898-1 天王山古墳のおまけの「甲山古墳」 滋賀県野洲市 円墳 径34(30以上)m
天王山古墳がある「桜生(さくらばさま)史跡公園」内に位置する円墳です。横穴式石室の内部には石棺が残されています。下記のように、当時としては、現代のくまモン以上のブランド力のある「阿蘇ピンク岩」を使用しています。
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の「№023 大岩山古墳群」の中の「甲山古墳」では、「大岩山から北西に延びる丘陵の先端付近に築造された、横穴式石室を主体部とする円墳です。この地域は桜生(さくらばさま)と呼ばれる場所で、近接して、天王山古墳、円山古墳が立地します。墳丘の直径は30m以上、周囲の水田と墳頂部の比高差20m程もある、名前のとおり「甲(かぶと)」を伏せたような形をしています。主体部は、墳丘の中心に造られた、全長が14.2mにおよぶ大型の横穴式石室で、羨道の天井は、一石ごとに階段状に低くなっています。玄室の規模は、長さ6.8m、幅2.8m、高さは3.3mもあり、床面には玉石が敷き詰められていました。玄室の中央には、中が真っ赤に着色された長さ2.6m、最大幅1.6m、高さ約1.8mの大きさの刳り抜き式の家形石棺が納められていました。この赤い顔料の成分は、水銀朱と、ベンガラ(酸化鉄)の両方が用いられていることがわかっています。この石棺の石材は、熊本県宇土半島産阿蘇溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)であることもわかりました。(後略)」と記されています。
1941年に国の史跡に指定されていましたが、近隣の7基の古墳とともに「大岩山古墳群」という名称で再指定されています。
野洲市教委の桜生史跡公園についての説明板。
説明板。
ほぼ全景。
石室入口。石室内部。
以上2015年12月撮影。
墳頂。
石室入口。
以上2009年6月撮影。
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の「№023 大岩山古墳群」の中の「甲山古墳」では、「大岩山から北西に延びる丘陵の先端付近に築造された、横穴式石室を主体部とする円墳です。この地域は桜生(さくらばさま)と呼ばれる場所で、近接して、天王山古墳、円山古墳が立地します。墳丘の直径は30m以上、周囲の水田と墳頂部の比高差20m程もある、名前のとおり「甲(かぶと)」を伏せたような形をしています。主体部は、墳丘の中心に造られた、全長が14.2mにおよぶ大型の横穴式石室で、羨道の天井は、一石ごとに階段状に低くなっています。玄室の規模は、長さ6.8m、幅2.8m、高さは3.3mもあり、床面には玉石が敷き詰められていました。玄室の中央には、中が真っ赤に着色された長さ2.6m、最大幅1.6m、高さ約1.8mの大きさの刳り抜き式の家形石棺が納められていました。この赤い顔料の成分は、水銀朱と、ベンガラ(酸化鉄)の両方が用いられていることがわかっています。この石棺の石材は、熊本県宇土半島産阿蘇溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)であることもわかりました。(後略)」と記されています。
1941年に国の史跡に指定されていましたが、近隣の7基の古墳とともに「大岩山古墳群」という名称で再指定されています。
野洲市教委の桜生史跡公園についての説明板。
説明板。
ほぼ全景。
石室入口。石室内部。
墳頂。
石室入口。
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2020年12月28日
補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m
古墳が築造されている山津照神社の南側には、旧中山道・名神高速道路・東海道本線、東側には北陸自動車道が通り、文字どおり交通の要衝に立地しています。また、付近には「息長(おきなが)」という地名が残り、古墳の被葬者は、継体大王の妻や敏達大王の皇后を出した氏族「息長氏」と関連する人物が有力視されています。
米原市教育委員会の「米原市遺跡リーフレット7 県指定史跡・考古資料 山津照神社古墳」では、「横山丘陵南端尾根上にある前方後円墳(六世紀前半)で、東に後円部、西に前方部をもつ全長46mの古墳です。明治15年(1882)、神社の社殿の移転造営の伴い境内の拡張工事がおこなわれた際に、後円部に設けられた横穴式石室不時発見されました。(中略)古墳は滋賀県の指定史跡、明治15年の出土遺物は指定文化財〔考古資料〕になっています。」と記されています。
ただし、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課による「学習シート№061 山津照神社古墳」では、「山津照神社古墳は、前方部端と後円部端が削平を受けており、正確な規模は不明ですが、全長が約63m程度で、前方部の幅が後円部の直径より大きな、典型的な後期の前方後円墳です。主体部は横穴式石室で、内部に石棺が納められていると考えられています。」と記されています。
下の絵の説明板でも、米原市教委は「古墳の全長は46.2m」、滋賀県教委は「全長約六十三メートルと推定できる」と書かれています。ここでは、現状の全長が46m、復元した場合の推定全長が約63mという理解で、ランキングしました。
石柱。石碑。

滋賀県教委の説明板。米原市教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
2つで全景(横から)。前方部。後円部。

やや全景。(横から)。
以上2016年3月撮影。
米原市教育委員会の「米原市遺跡リーフレット7 県指定史跡・考古資料 山津照神社古墳」では、「横山丘陵南端尾根上にある前方後円墳(六世紀前半)で、東に後円部、西に前方部をもつ全長46mの古墳です。明治15年(1882)、神社の社殿の移転造営の伴い境内の拡張工事がおこなわれた際に、後円部に設けられた横穴式石室不時発見されました。(中略)古墳は滋賀県の指定史跡、明治15年の出土遺物は指定文化財〔考古資料〕になっています。」と記されています。
ただし、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課による「学習シート№061 山津照神社古墳」では、「山津照神社古墳は、前方部端と後円部端が削平を受けており、正確な規模は不明ですが、全長が約63m程度で、前方部の幅が後円部の直径より大きな、典型的な後期の前方後円墳です。主体部は横穴式石室で、内部に石棺が納められていると考えられています。」と記されています。
下の絵の説明板でも、米原市教委は「古墳の全長は46.2m」、滋賀県教委は「全長約六十三メートルと推定できる」と書かれています。ここでは、現状の全長が46m、復元した場合の推定全長が約63mという理解で、ランキングしました。
石柱。石碑。
滋賀県教委の説明板。米原市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
2つで全景(横から)。前方部。後円部。
やや全景。(横から)。
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2020年12月27日
353-15 長浜茶臼山古墳のおまけの「息長陵及び息長陵附属地」 滋賀県米原市
横山丘陵上に築かれている「横山古墳群」とその西側の平地に位置する「長浜古墳群」の古墳を紹介してきました。
今回は、横山丘陵の東側に位置する「古墳」を再び紹介します。この地域は、現在の行政区では米原市となっているので、同一古墳群として扱われないことがありますが、横山丘陵の北側先端部に築かれている長浜茶臼山古墳(ランキング353位)から約1km南東に位置し、姉川左岸水系なので、ここでも取り上げました。ただ、米原市に位置する古墳を「長浜古墳群」に位置づけることに違和感を感じるのも理解できますが・・。
宮内庁が敏達天皇皇后の広姫と治定する「息長陵」は、明治時代初期に径7.5mの円墳状に築かれた近代の「偽古墳」です。そして、「息長陵」の南東に隣接する光運寺境内にある、「息長陵付属地」として宮内庁が管理している小円墳状の高まりが、村居田古墳の後円部の一部とおっさんは思っています。詳細は、「1203 村居田古墳」の項目(2019年3月7日掲載)で書きましたので割愛します。
また、「村居田古墳」の項目の「おまけ『息長陵』」の中では、2010年8月に撮った古い絵しか載せてなかったので、今回は制札が新しくなった絵を掲載しました。
余談ですが、この新しい制札の文字は、直筆ではなくフォント文字で書かれているという意見を目にしました。どおりで、整い過ぎているようです。ただし、宮内庁が宣化天皇と治定する鳥屋ミサンザイ古墳(ランキング103位)の制札の直筆文字は、おっさん的には「不敬罪だらー」ですが・・・。
① 「息長陵」
制札。
全景。
② 「息長陵附属地」
石柱。

全景。
全景。
以上2016年3月撮影。
今回は、横山丘陵の東側に位置する「古墳」を再び紹介します。この地域は、現在の行政区では米原市となっているので、同一古墳群として扱われないことがありますが、横山丘陵の北側先端部に築かれている長浜茶臼山古墳(ランキング353位)から約1km南東に位置し、姉川左岸水系なので、ここでも取り上げました。ただ、米原市に位置する古墳を「長浜古墳群」に位置づけることに違和感を感じるのも理解できますが・・。
宮内庁が敏達天皇皇后の広姫と治定する「息長陵」は、明治時代初期に径7.5mの円墳状に築かれた近代の「偽古墳」です。そして、「息長陵」の南東に隣接する光運寺境内にある、「息長陵付属地」として宮内庁が管理している小円墳状の高まりが、村居田古墳の後円部の一部とおっさんは思っています。詳細は、「1203 村居田古墳」の項目(2019年3月7日掲載)で書きましたので割愛します。
また、「村居田古墳」の項目の「おまけ『息長陵』」の中では、2010年8月に撮った古い絵しか載せてなかったので、今回は制札が新しくなった絵を掲載しました。
余談ですが、この新しい制札の文字は、直筆ではなくフォント文字で書かれているという意見を目にしました。どおりで、整い過ぎているようです。ただし、宮内庁が宣化天皇と治定する鳥屋ミサンザイ古墳(ランキング103位)の制札の直筆文字は、おっさん的には「不敬罪だらー」ですが・・・。
① 「息長陵」
制札。
全景。
② 「息長陵附属地」
石柱。
全景。
全景。
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2020年12月26日
353-14 長浜茶臼山古墳のおまけの「北山塚古墳」 滋賀県長浜市 前方後円墳 29m以上
横山丘陵上に位置する古墳を「横山古墳群」とし、その支群として多くの古墳を紹介してきました。しかし、平地にも多数の古墳が造られており、丘陵上の古墳群と区別するために、おっさんは勝手に「長浜古墳群」と定義します。「区別する意味がある? 『横山』でも『長浜』でも、どっちでもいいだらー」。
上記の定義による「長浜古墳群」の古墳として、今まで、丸岡塚古墳(ランキング125位)、垣籠古墳(ランキング[1227-1]位)を紹介しています。ここでは、新たに北山塚古墳を紹介します。
現状では、円墳状の大きな高まりがあるのみですが、南側の住宅地が前方部跡のように思えます。HP.「遺跡ウオーカーβ」の「北山塚古墳」の項目でも、「遺構概要 古墳(円墳)。map96:古墳(前方後円墳)。〈立地〉丘陵。〈現況〉山林」と記され、円墳説と前方後円墳説があるようです。
また、「滋賀県立長浜北高等学校 歴史部」のブログの「長浜の歴史5 古墳時代の長浜」(投稿日:2015年10月30日)の「(二)主な古墳」の項目で、「北山塚古墳 堀部町の北東に存在する、周囲約330メートルの古墳である。大きな雑木が茂り、遠くからでもすぐそれとわかる。頂上には高さ約2メートルのお堂が存在する。その基礎石は古墳の石を利用したもののようである。昔は穴があいていて石室に通じていたとのこと。江戸時代の末、天保一三年(一八四二)に石材を取ろうとして土を起したところ、石室の中から直刀、土器等が多く出たために驚き、領主のもとへ届け出た模様等を記した「北山不思議之事」という書類が残っている。(「近江国坂田郡志」一巻所収)」と記されています。単純な比較はできませんが、上記ブログの「垣籠古墳」では、「周囲約二七五メートル」と記されており、全長55m以上の垣籠古墳よりも北山塚古墳の方が周囲は大きかったようです。ここでは、前方後円墳として書いていきます。
全長29mと記されている資料がありましたが、円墳としての直径と思われます。前方後円墳とすると、グーグルマップの航空写真で目測すると50m以上の規模があるように見えましたが・・・。正確な規模・墳形については発掘調査を待つしかないようです。
後円部中央。右側。左側。


前方部跡。
後円部墳頂。
後円部(横から)。
全景(横から)。右の林が後円部、左が前方部跡。東から。
以上2016年3月撮影。
上記の定義による「長浜古墳群」の古墳として、今まで、丸岡塚古墳(ランキング125位)、垣籠古墳(ランキング[1227-1]位)を紹介しています。ここでは、新たに北山塚古墳を紹介します。
現状では、円墳状の大きな高まりがあるのみですが、南側の住宅地が前方部跡のように思えます。HP.「遺跡ウオーカーβ」の「北山塚古墳」の項目でも、「遺構概要 古墳(円墳)。map96:古墳(前方後円墳)。〈立地〉丘陵。〈現況〉山林」と記され、円墳説と前方後円墳説があるようです。
また、「滋賀県立長浜北高等学校 歴史部」のブログの「長浜の歴史5 古墳時代の長浜」(投稿日:2015年10月30日)の「(二)主な古墳」の項目で、「北山塚古墳 堀部町の北東に存在する、周囲約330メートルの古墳である。大きな雑木が茂り、遠くからでもすぐそれとわかる。頂上には高さ約2メートルのお堂が存在する。その基礎石は古墳の石を利用したもののようである。昔は穴があいていて石室に通じていたとのこと。江戸時代の末、天保一三年(一八四二)に石材を取ろうとして土を起したところ、石室の中から直刀、土器等が多く出たために驚き、領主のもとへ届け出た模様等を記した「北山不思議之事」という書類が残っている。(「近江国坂田郡志」一巻所収)」と記されています。単純な比較はできませんが、上記ブログの「垣籠古墳」では、「周囲約二七五メートル」と記されており、全長55m以上の垣籠古墳よりも北山塚古墳の方が周囲は大きかったようです。ここでは、前方後円墳として書いていきます。
全長29mと記されている資料がありましたが、円墳としての直径と思われます。前方後円墳とすると、グーグルマップの航空写真で目測すると50m以上の規模があるように見えましたが・・・。正確な規模・墳形については発掘調査を待つしかないようです。
後円部中央。右側。左側。
前方部跡。
後円部墳頂。
後円部(横から)。
全景(横から)。右の林が後円部、左が前方部跡。東から。
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2020年12月25日
353-13 長浜茶臼山古墳のおまけの「坂南古墳」 滋賀県長浜市 前方後円墳 規模不詳
「堂ノ前支群」の南側の尾根上に位置する単独墳です。この古墳も、戦国時代の山城と現代の鉄塔建設により、墳丘が削られているようです。
この古墳の南側の丘陵上にも古墳が築造されているようですが、古墳巡りというより山登りハイキング状態で疲労がたまり、駐車していた茶臼山古墳方面の帰路を考えて、引き返しました。「もっと体を鍛えりん」。
標識。
後円部右側。左側。

前方部。
前方部から後円部。
以上2016年3月撮影。
この古墳の南側の丘陵上にも古墳が築造されているようですが、古墳巡りというより山登りハイキング状態で疲労がたまり、駐車していた茶臼山古墳方面の帰路を考えて、引き返しました。「もっと体を鍛えりん」。
標識。
後円部右側。左側。
前方部。
前方部から後円部。
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2020年12月24日
353-12 長浜茶臼山古墳のおまけの「総山3号墳」 滋賀県長浜市 円墳 規模不詳
「総山支群」に属する古墳です。この古墳も、2号墳と同様に小規模な円墳です。
標識。
全景。
以上2016年3月撮影。
標識。
全景。
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2020年12月23日
353-11 長浜茶臼山古墳のおまけの「総山2号墳」 滋賀県長浜市 円墳 規模不詳
「総山支群」に属する古墳です。規模の小さな円墳です。
標識。
全景。
以上2016年3月撮影。
標識。
全景。
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2020年12月22日
353-10 長浜茶臼山古墳のおまけの「総山1号墳(ヲサキ山古墳)」 滋賀県長浜市 円墳 規模不詳
「堂ノ前支群」西方の麓付近に位置する「総山支群」に属する古墳です。この「総山支群」には、小規模な円墳が築かれています。
当初、この総山1号墳とヲサキ山古墳とは異なる古墳と思って絵を撮っていました。ところが、HP.「北村さんちの遺跡めぐり」の「長浜市の古墳・遺跡2」の「横山古墳群とその周辺」の中の「総山古墳群 ヲサキ山古墳(総山1号墳)」の項目で、「総山古墳群は、円墳3基 総山1号墳はヲサキ山古墳で、他に比べると大きめの円墳」と記されていました。下の絵の最初と最後は、標識がないだけでほぼ同一の場所から撮ったものでした。あわてて、編集し直しました。「もっとしっかり調べリン」。
近景。
全景。
木柱。説明板。

全景。
以上2016年3月撮影。
石柱。木柱。

全景。
以上2010年8月撮影。
当初、この総山1号墳とヲサキ山古墳とは異なる古墳と思って絵を撮っていました。ところが、HP.「北村さんちの遺跡めぐり」の「長浜市の古墳・遺跡2」の「横山古墳群とその周辺」の中の「総山古墳群 ヲサキ山古墳(総山1号墳)」の項目で、「総山古墳群は、円墳3基 総山1号墳はヲサキ山古墳で、他に比べると大きめの円墳」と記されていました。下の絵の最初と最後は、標識がないだけでほぼ同一の場所から撮ったものでした。あわてて、編集し直しました。「もっとしっかり調べリン」。
近景。
全景。
木柱。説明板。
全景。
石柱。木柱。
全景。
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