2023年08月30日
番外 長野県の古墳④ー3 川柳将軍塚古墳の埴輪棺 長野市 小円丘 径4m
前回の森将軍塚古墳の埴輪棺に続けて、川柳将軍塚古墳の「埴輪棺」です。ただし、円筒埴輪を棺として転用したのではなく、下記のように円筒埴輪に似せた甕形土器を使用したものだそうです。それならば、おっさん的には「円筒埴輪形土器棺」かな?と思ってしまいました。
また、この棺が出土した場所を「古墳」ではなく、「小円丘」としているので、後者の表記を採りました。
長野市のHP.にある「長野市文化財データベース」の「頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)」の「指定文化財詳細の埴輪円筒棺」の項目で、「長野県最古の古墳のひとつである川柳(せんりゅう)将軍塚の前方部近くに、直径約4m、高さ1m足らずの小円丘がある。埴輪円筒棺はこの中で眠っていたもので、昭和四年、将軍塚保存会がその環境整備のため植林したときに発見された。(中略)この円筒棺はふつうの埴輪円筒の作り方と違い大型の甕(かめ)形土器を積み上げて作られており、その凸帯が口唇状となっているのが注目される。また、棺には三角の窓がほぼ対称に二個開けられている。これらの点から、この円筒棺は埴輪円筒を利用したものではなく、特製のものとみられ、ほかに出土する埴輪円筒と明らかに異なるもので楕(だ)円形を呈している。(後略)」と記されています。
この「埴輪円筒棺」は、長野市の有形文化財に指定されています。
余談ですが、この「埴輪円筒棺」については、2018年4月23日のブログ「367-1 川柳将軍塚古墳の補足」として取り上げていました。重複していますが、御寛恕ください。
下石川区川柳将軍塚保存会の説明板。
説明板と「圓筒棺史蹟」銘の石柱。
小円丘。
以上2016年4月撮影。
また、この棺が出土した場所を「古墳」ではなく、「小円丘」としているので、後者の表記を採りました。
長野市のHP.にある「長野市文化財データベース」の「頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)」の「指定文化財詳細の埴輪円筒棺」の項目で、「長野県最古の古墳のひとつである川柳(せんりゅう)将軍塚の前方部近くに、直径約4m、高さ1m足らずの小円丘がある。埴輪円筒棺はこの中で眠っていたもので、昭和四年、将軍塚保存会がその環境整備のため植林したときに発見された。(中略)この円筒棺はふつうの埴輪円筒の作り方と違い大型の甕(かめ)形土器を積み上げて作られており、その凸帯が口唇状となっているのが注目される。また、棺には三角の窓がほぼ対称に二個開けられている。これらの点から、この円筒棺は埴輪円筒を利用したものではなく、特製のものとみられ、ほかに出土する埴輪円筒と明らかに異なるもので楕(だ)円形を呈している。(後略)」と記されています。
この「埴輪円筒棺」は、長野市の有形文化財に指定されています。
余談ですが、この「埴輪円筒棺」については、2018年4月23日のブログ「367-1 川柳将軍塚古墳の補足」として取り上げていました。重複していますが、御寛恕ください。
下石川区川柳将軍塚保存会の説明板。
説明板と「圓筒棺史蹟」銘の石柱。
小円丘。
Posted by じこま at
06:07
│Comments(0)
2023年08月28日
番外 長野県の古墳④ー2 森将軍塚古墳の4号埴輪棺 千曲市
森将軍塚古墳(ランキング320位)のくびれ部から前方部にかけて、12基の埴輪を転用した棺が見つかっています。古墳そのものではありませんが、古墳時代の埋葬施設ということで掲載しました。
この4号埴輪棺は、くびれ部南側裾付近にあり、復原埴輪棺が設置されています。
余談ですが、森将軍塚古墳の前方部の後方に、誰でもが美しい古墳の姿を写せる撮影スポットがあります。あなたも、土門拳や篠山紀信の気分になれること必定です。また、後円部の墳頂からは、その眼下に広がる条里制遺構を確認することができます。「おまけ」として載せました。
余談の余談ですが、最後の絵の中央奥の山地に土口将軍塚古墳(ランキング795位)、右端の山地の先にに倉科将軍塚古墳(ランキング606位)が位置していると思います。午前中に南信濃の古墳を訪問し、午後からの川柳将軍塚古墳(ランキング367位)を加えて「将軍塚古墳めぐり」は本当にきつかった記憶があります。「森将軍塚古墳へは、バスで行けるだらー」。
説明板。
復原埴輪棺。
おまけ 森将軍塚古墳から見る条里制遺構。

以上2016年4月撮影。
この4号埴輪棺は、くびれ部南側裾付近にあり、復原埴輪棺が設置されています。
余談ですが、森将軍塚古墳の前方部の後方に、誰でもが美しい古墳の姿を写せる撮影スポットがあります。あなたも、土門拳や篠山紀信の気分になれること必定です。また、後円部の墳頂からは、その眼下に広がる条里制遺構を確認することができます。「おまけ」として載せました。
余談の余談ですが、最後の絵の中央奥の山地に土口将軍塚古墳(ランキング795位)、右端の山地の先にに倉科将軍塚古墳(ランキング606位)が位置していると思います。午前中に南信濃の古墳を訪問し、午後からの川柳将軍塚古墳(ランキング367位)を加えて「将軍塚古墳めぐり」は本当にきつかった記憶があります。「森将軍塚古墳へは、バスで行けるだらー」。
説明板。
復原埴輪棺。
おまけ 森将軍塚古墳から見る条里制遺構。
Posted by じこま at
07:07
│Comments(0)
2023年08月26日
番外 長野県の古墳④ー1 森将軍塚2号墳 千曲市 円墳 径20m
長野県で規模最大の森将軍塚古墳(ランキング320位)と同一の尾根上に位置している円墳です。尾根上には13基の小古墳が築造されており、この2号墳が最大です。また、森将軍塚古墳から南西約200mの尾根上に有明山将軍塚古墳(2018年4月14日のブログで「ランキング320-1」として掲載)があります。
長野県更埴市教育委員会が1987年に発行した『森将軍塚古墳 ー保存整備事業第6年次発掘調査概報ー』で、「2号墳は、森将軍塚古墳の東方約120m、標高460mの尾根の突端 に位置する。昭和43年に、東京教育大学 によって主体部および墳丘の トレンチ調査が実施 され、組合式石棺 を内蔵 し、円筒埴輪列 を有する円墳であることが明 らかにされている。 ところが、古墳の東側はその後の土砂採取 によって大 きな断崖 となっており、崖崩れによる崩壊 の危険性が強 まって きたので、その緊急性と重要度を考慮の結果、今回その全面調査 を実施 した。
①墳丘の調査 前回の発掘調査の結果、2号墳は直径約18m、高さ約3mの丘尾切断によって築造 された円墳であろ うとの見解が示 された。今回の調査では、墳丘の全面発掘 を実施 して墳域 を確定 し、墳形・規模のよ り正確 な把握 を試みるとともに、前回の調査で一部検出された円筒埴輪列の囲続状態 を確定 し、さらに墳丘内部に トレンチを設 けて墳丘の構築状況 をよ り明 らかにす ることに主眼 を置いた。(中略)この平坦面と墳丘斜面の境界に相当する傾斜 変換 ライ ンを墳端 と考 えれ ば、墳 丘の平面形は東 西径約 20.0m、南北径約19.5mを測り、直径約20mの 正円形をなす円墳 とな る」と結論づけています。
余談ですが、「森将軍塚古墳」は1971年に国の史跡に指定されていました。その後、2007年に倉科将軍塚古墳(ランキング606位)・土口将軍塚古墳(ランキング795位)・有明山将軍塚古墳を追加して、「埴科古墳群」という名称で、再指定されています。
説明板。
やや全景。
やや全景。
以上2016年4月撮影。
やや全景。
全景。
以上2011年5月撮影。
長野県更埴市教育委員会が1987年に発行した『森将軍塚古墳 ー保存整備事業第6年次発掘調査概報ー』で、「2号墳は、森将軍塚古墳の東方約120m、標高460mの尾根の突端 に位置する。昭和43年に、東京教育大学 によって主体部および墳丘の トレンチ調査が実施 され、組合式石棺 を内蔵 し、円筒埴輪列 を有する円墳であることが明 らかにされている。 ところが、古墳の東側はその後の土砂採取 によって大 きな断崖 となっており、崖崩れによる崩壊 の危険性が強 まって きたので、その緊急性と重要度を考慮の結果、今回その全面調査 を実施 した。
①墳丘の調査 前回の発掘調査の結果、2号墳は直径約18m、高さ約3mの丘尾切断によって築造 された円墳であろ うとの見解が示 された。今回の調査では、墳丘の全面発掘 を実施 して墳域 を確定 し、墳形・規模のよ り正確 な把握 を試みるとともに、前回の調査で一部検出された円筒埴輪列の囲続状態 を確定 し、さらに墳丘内部に トレンチを設 けて墳丘の構築状況 をよ り明 らかにす ることに主眼 を置いた。(中略)この平坦面と墳丘斜面の境界に相当する傾斜 変換 ライ ンを墳端 と考 えれ ば、墳 丘の平面形は東 西径約 20.0m、南北径約19.5mを測り、直径約20mの 正円形をなす円墳 とな る」と結論づけています。
余談ですが、「森将軍塚古墳」は1971年に国の史跡に指定されていました。その後、2007年に倉科将軍塚古墳(ランキング606位)・土口将軍塚古墳(ランキング795位)・有明山将軍塚古墳を追加して、「埴科古墳群」という名称で、再指定されています。
説明板。
やや全景。
やや全景。
やや全景。

全景。

Posted by じこま at
07:07
│Comments(0)
2023年08月24日
番外 長野県の古墳③ 中郷神社前方後円墳 長野市 53m
この古墳を訪問した経緯について、記憶が残っていません。川柳将軍塚古墳訪問時に、偶然標柱を目にして、立ち寄ったと思われます。
長野市のHP.にある「長野市文化財データベース」の「頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)」の「中郷神社前方後円墳」の項目で、「(前略) 後円部の南側からくびれ部にかけて大きく原状を損なっており、原形を復元すると、全長53m、後円部径30m、同高さ4.5m、前方部幅24m(現状で21m)、同高さ3.5mほどの規模が想定され、前方部を山側の西方に向けている。(後略)」と記されています。
古墳は、「中郷神社前方後円墳」という名称で、長野市の史跡に指定されています。
約1.2km北に川柳将軍塚古墳(ランキング367位)があります。
標柱。
長野市教委・中郷神社の説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

後円部墳頂。
前方部から後円部。前方部左から後円部。

全景。手前が前方部、左奥が後円部。西から。
以上2016年4月撮影。
長野市のHP.にある「長野市文化財データベース」の「頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)」の「中郷神社前方後円墳」の項目で、「(前略) 後円部の南側からくびれ部にかけて大きく原状を損なっており、原形を復元すると、全長53m、後円部径30m、同高さ4.5m、前方部幅24m(現状で21m)、同高さ3.5mほどの規模が想定され、前方部を山側の西方に向けている。(後略)」と記されています。
古墳は、「中郷神社前方後円墳」という名称で、長野市の史跡に指定されています。
約1.2km北に川柳将軍塚古墳(ランキング367位)があります。
標柱。
長野市教委・中郷神社の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部墳頂。
前方部から後円部。前方部左から後円部。
全景。手前が前方部、左奥が後円部。西から。
Posted by じこま at
07:07
│Comments(0)
2023年08月22日
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m
「番外 長野県の古墳②ー1」でも書きましたが、大室古墳群は500基余の古墳が、5つの支群に大別されています。そのうち、大室谷支群に属する古墳の大部分が国の史跡に指定されています。ただし、この18号墳は、大室古墳群で唯一の前方後円墳であるにもかかわらず、北山支群に位置づけられているので、史跡指定されていません。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「大室18号墳(大星山古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:55.5m 後円部:径27.5m 高5m 前方部:幅16m 長23m 高3m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。【周堤】なし。」と記されています。
このブログを書き進める途次、頭が混乱し冷や汗が出てきました。決して熱中症ではありませんが・・・。下の標識の絵を見ると、後円部付近に「8号古墳」、前方部に「9号古墳」と表示されています。ひょっとして、隣接する2基の古墳を「前方後円墳」と思い込んで絵を撮ったのではないかと。
下記の「解説」によると、8号墳と9号墳の標高差は、最小でも「435-380≒55」mとなり、とても隣接している状況ではありません。また、下の絵は、尾根頂部のようです。従って、この2つの標識は、旧来の名称で示されたもので、現在の18号墳であると自分勝手に判断しました。「都合よすぎる解釈だらー」。
長野市のHP.にある「長野市文化財データベース」の「頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)」の「大室古墳群 北山支群」の項目で、「解説 (前略)奇妙山から派生する尾根の最突端、標高370~380m付近には5~8・イ号墳の5基が立地しています。基本的には直径10m規模の盛土円墳であり、川原石が散乱している点が特徴です。さらに尾根をあがった標高435~460m付近は扇平と俗称されており、直径10mないしはそれ以下の円墳である9~17・ロ号墳の10基が分布しています。 さらに、大星山方向の標高490m付近の尾根頂部には18号墳が立地しており、昭和26年(1951)に実施された明治大学生による墳丘測量では全長56mを測る前方後円(方?)墳であることがわかりました。 大室滝辺山双子塚と称されるこの古墳は18号という番号を冠しているものの、墳丘の規模や形態、若穂側の平地を意識した立地など、大室古墳群とは性格が異なる古墳である可能性が考えられるため、将来的には再考が必要となるでしょう。(以下略)」と記されています。
余談ですが、上記「解説」の最後に、「18号墳は大室古墳群とは異なる性格で再考が必要」という指摘があり驚きました。風間栄一さんは、「北山18号墳は5世紀前半代の築造と想定されているが、表採遺物や出土遺物等はない。立地上、近在する和田東山古墳群との関係性が重視されている。和田東山古墳群の3基の前方後円墳は墳丘形態より1号墳→3号墳→4号墳の順に、前期中頃から中期前半にかけて継続して築造されたと考えられている。」(「2 大室古墳群の実態」、土生田純之編『積石塚大全』所収 p.37)と述べており、今後の大室18号墳の評価・位置づけが気になります。
後円部の標識。前方部の標識。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。南から。
後円部墳頂。
遠景。北西から。
以上2016年4月撮影。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「大室18号墳(大星山古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:55.5m 後円部:径27.5m 高5m 前方部:幅16m 長23m 高3m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。【周堤】なし。」と記されています。
このブログを書き進める途次、頭が混乱し冷や汗が出てきました。決して熱中症ではありませんが・・・。下の標識の絵を見ると、後円部付近に「8号古墳」、前方部に「9号古墳」と表示されています。ひょっとして、隣接する2基の古墳を「前方後円墳」と思い込んで絵を撮ったのではないかと。
下記の「解説」によると、8号墳と9号墳の標高差は、最小でも「435-380≒55」mとなり、とても隣接している状況ではありません。また、下の絵は、尾根頂部のようです。従って、この2つの標識は、旧来の名称で示されたもので、現在の18号墳であると自分勝手に判断しました。「都合よすぎる解釈だらー」。
長野市のHP.にある「長野市文化財データベース」の「頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)」の「大室古墳群 北山支群」の項目で、「解説 (前略)奇妙山から派生する尾根の最突端、標高370~380m付近には5~8・イ号墳の5基が立地しています。基本的には直径10m規模の盛土円墳であり、川原石が散乱している点が特徴です。さらに尾根をあがった標高435~460m付近は扇平と俗称されており、直径10mないしはそれ以下の円墳である9~17・ロ号墳の10基が分布しています。 さらに、大星山方向の標高490m付近の尾根頂部には18号墳が立地しており、昭和26年(1951)に実施された明治大学生による墳丘測量では全長56mを測る前方後円(方?)墳であることがわかりました。 大室滝辺山双子塚と称されるこの古墳は18号という番号を冠しているものの、墳丘の規模や形態、若穂側の平地を意識した立地など、大室古墳群とは性格が異なる古墳である可能性が考えられるため、将来的には再考が必要となるでしょう。(以下略)」と記されています。
余談ですが、上記「解説」の最後に、「18号墳は大室古墳群とは異なる性格で再考が必要」という指摘があり驚きました。風間栄一さんは、「北山18号墳は5世紀前半代の築造と想定されているが、表採遺物や出土遺物等はない。立地上、近在する和田東山古墳群との関係性が重視されている。和田東山古墳群の3基の前方後円墳は墳丘形態より1号墳→3号墳→4号墳の順に、前期中頃から中期前半にかけて継続して築造されたと考えられている。」(「2 大室古墳群の実態」、土生田純之編『積石塚大全』所収 p.37)と述べており、今後の大室18号墳の評価・位置づけが気になります。
後円部の標識。前方部の標識。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。南から。
後円部墳頂。
遠景。北西から。
Posted by じこま at
06:07
│Comments(0)
2023年08月20日
番外 長野県の古墳②ー13 大室186号墳[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径14×13m
この古墳は、石室入口が地面と同じ高さにあり、「ムジナゴーロ」に位置している古墳としては異質な感じでした。むしろ、「エントランスゾーン」の古墳に近いものを感じました。
次の風間さんの著述によると、この186号墳は、「ムジナゴーロ」の中では築造時期が新しい古墳でした。また、馬骨の出土・馬具の副葬品から、古墳の被葬者は馬匹生産と関係する人物と考えられます。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表③」では、「古墳名 186、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) 13.5×12.5、外表施設 馬骨(前庭部)、埋葬施設 横穴式石室(両袖 胴張)、副葬遺物 鉄刀・鉄鏃・鉄革併用小札甲・馬具(鐙吊金具)・耳環・玉類(勾玉・切子玉・丸玉・ガラス玉)・土師・須恵(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.34)と記されています。
「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口。
全景。
全景。
以上2016年4月撮影。
次の風間さんの著述によると、この186号墳は、「ムジナゴーロ」の中では築造時期が新しい古墳でした。また、馬骨の出土・馬具の副葬品から、古墳の被葬者は馬匹生産と関係する人物と考えられます。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表③」では、「古墳名 186、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) 13.5×12.5、外表施設 馬骨(前庭部)、埋葬施設 横穴式石室(両袖 胴張)、副葬遺物 鉄刀・鉄鏃・鉄革併用小札甲・馬具(鐙吊金具)・耳環・玉類(勾玉・切子玉・丸玉・ガラス玉)・土師・須恵(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.34)と記されています。
「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口。
全景。
全景。
Posted by じこま at
07:07
│Comments(0)
2023年08月18日
番外 長野県の古墳②ー12 大室176号墳[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径27×24m
下記の「表1」によると、この古墳も「合掌形石室」を有する積石塚古墳だそうです。ただし、訪問時、石室上部が崩れており、「合掌形」か否かよくわかりませんでした。また、この古墳の規模は20mを超え、「エントランスゾーン」の244号墳(将軍塚)とともに、大室古墳群の中では大規模な古墳です。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 176、支群名 大室谷、形態 円墳か、規模(m) 27×24、外表施設 埴輪・土師、埋葬施設 合掌形石室石室、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口(合掌形石室)。
全景。
以上2016年4月撮影。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 176、支群名 大室谷、形態 円墳か、規模(m) 27×24、外表施設 埴輪・土師、埋葬施設 合掌形石室石室、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口(合掌形石室)。
全景。
Posted by じこま at
05:07
│Comments(0)
2023年08月16日
番外 長野県の古墳②ー11 大室173号墳[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径13m
盗掘のためか、石室上部天井石の一部が傾いています。また、他の積石塚古墳と比べて、小さな石で築かれている古墳のようです。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 173、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) (12.5)、外表施設 (おっさん註 無記載)、埋葬施設 横穴式石室(両袖 胴張)、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
古墳は、「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口。
全景。
以上2016年4月撮影。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 173、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) (12.5)、外表施設 (おっさん註 無記載)、埋葬施設 横穴式石室(両袖 胴張)、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
古墳は、「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口。
全景。
Posted by じこま at
07:07
│Comments(0)
2023年08月14日
番外 長野県の古墳②ー10 大室172号墳[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径14m
「ムジナゴーロ」に位置している古墳で、横穴式石室の積石塚古墳です。
下記の「表1」の規模では「13.5」mとしていますが、ここでは小数点以下四捨五入して14mとしました。これから紹介する大室古墳群の規模も同様に、小数点以下を四捨五入していきます。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 172、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) (13.5)、外表施設 (おっさん註 無記載)、埋葬施設 横穴式石室(両袖)、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口。
全景。
以上2016年4月撮影。
下記の「表1」の規模では「13.5」mとしていますが、ここでは小数点以下四捨五入して14mとしました。これから紹介する大室古墳群の規模も同様に、小数点以下を四捨五入していきます。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 172、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) (13.5)、外表施設 (おっさん註 無記載)、埋葬施設 横穴式石室(両袖)、(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
表示板。
石室入口。
全景。
Posted by じこま at
06:07
│Comments(0)
2023年08月12日
番外 長野県の古墳②ー9 大室168号墳(大平塚)[大室古墳群大室谷支群] 長野市 円墳 径14m
大室古墳群の中でも、典型的な合掌形石室を有する積石塚古墳として著名な古墳です。また、下記の「表1」にあるように、馬形土製品(おっさん註 精巧な馬形埴輪と異なり、園児がこさえたような土製品)の出土から、この古墳の被葬者は馬匹生産と関連する人物と考えられています。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 168、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) 14、外表施設 埴輪・土師・須恵・馬形土製品、埋葬施設 合掌形石室、副葬遺物 鉄剣・刀子(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
古墳は、「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
余談ですが、松本清張の小説『断碑』の主人公のモデルとなった、森本六爾さんもこの古墳を訪問し、その著作で石室の実測図や写真を掲載しているそうです。また、「大平塚」という名称は、この古墳の発見者の名を採ったものだそうです。(西山克己さんの「1 大室古墳群研究史」、土生田純之編『積石塚大全』所収p.11)。
余談の余談ですが、この機会に、上記『断碑』と「明石原人」発見者の直良信夫さんをモデルとした小説『石の骨』を読み直してみました。いずれも、考古学界のパラダイムシフトに対峙する主人公の姿に暗澹たる気持ちとなる作品でしたが、何故か中島みゆきの『友情』の一節を連想してしまいました。「この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず この世望んで走るほど 心の荷物は軽くない 救われない魂は 傷ついた自分のことじゃなく 救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ」「一番欲しいものは何ンですか 命賭けても守るものは何んですか 時代という名の諦めが 心という名の橋を吞み込んでゆくよ 道の彼方にみかけるものは すべて獲物か泥棒ですか」
表示板。
石室(合掌形石室)入口。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
以上2016年4月撮影。
風間栄一さんの「2 大室古墳群の実態」の「表1 大室古墳群調査実施古墳一覧表②」では、「古墳名 168、支群名 大室谷、形態 円墳、規模(m) 14、外表施設 埴輪・土師・須恵・馬形土製品、埋葬施設 合掌形石室、副葬遺物 鉄剣・刀子(以下略)」(土生田純之編『積石塚大全』所収 p.33)と記されています。
古墳は、「大室古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
余談ですが、松本清張の小説『断碑』の主人公のモデルとなった、森本六爾さんもこの古墳を訪問し、その著作で石室の実測図や写真を掲載しているそうです。また、「大平塚」という名称は、この古墳の発見者の名を採ったものだそうです。(西山克己さんの「1 大室古墳群研究史」、土生田純之編『積石塚大全』所収p.11)。
余談の余談ですが、この機会に、上記『断碑』と「明石原人」発見者の直良信夫さんをモデルとした小説『石の骨』を読み直してみました。いずれも、考古学界のパラダイムシフトに対峙する主人公の姿に暗澹たる気持ちとなる作品でしたが、何故か中島みゆきの『友情』の一節を連想してしまいました。「この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず この世望んで走るほど 心の荷物は軽くない 救われない魂は 傷ついた自分のことじゃなく 救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ」「一番欲しいものは何ンですか 命賭けても守るものは何んですか 時代という名の諦めが 心という名の橋を吞み込んでゆくよ 道の彼方にみかけるものは すべて獲物か泥棒ですか」
表示板。
石室(合掌形石室)入口。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
Posted by じこま at
07:07
│Comments(0)