2021年11月29日

番外 宮城県の古墳⑩ー3 茂平塚古墳(賽ノ窪古墳群14号墳) 名取市 円墳 径m

 賽ノ窪古墳群を構成する古墳のひとつです。前回の御上古墳(12号墳)が位置するT字路の北側にある信号交差点を、東に約150m進んで行くと、民家に隣接している古墳が見えてきます。
 いくつか資料にあたってみましたが、この古墳の規模はわかりませんでした。
 
                           
 ほぼ全景。


 全景。
            以上2012年6月撮影。  


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2021年11月27日

番外 宮城県の古墳⑩ー2 御上古墳(賽ノ窪古墳群12号墳) 名取市 円墳 径18m

 賽ノ窪古墳群を構成する古墳のひとつで、円墳です。県道39号線から、名取大塚山古墳に向かう小道から一本北側のT字路にあります。県道側からT字路にかけて、コンクリートブロックの擁壁で土留めされていました。
 『古墳マップ』の「賽ノ窪古墳群」の項目の「紹介文」で、「御上古墳(12号墳、径18m、高さ3mの円墳)」と記されています。


 標柱。


 全景。
            以上2012年6月撮影。  


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2021年11月25日

番外 宮城県の古墳⑩ー1 十石上(じゅっこくかみ)古墳(賽ノ窪古墳群17号墳) 名取市 32(40)m

 10年以上前に、名取大塚山古墳を訪問した際に立ち寄った古墳です。賽ノ窪古墳群では、主墳の名取大塚山古墳を除けば、唯一の前方後円墳だそうです。ただ、県道の建設によって、墳丘西側の一部は破壊されているそうです。
 下の標柱では、「全長約三十二米、後円径十八米、高さ三・八米、前方部長十四米、高さ二・六米」と記されています。
 ただし、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「賽ノ窪17号墳(十石上古墳)」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:40m 後円部:高3.8m 前方部:高2.8m」と記されています。ここでは、両論併記でいきます。
 訪問時の記録や記憶がほとんど残っていないので、下の絵はどこの部分を撮ったものか自信がありません。


 標柱。表。裏2つ。


 前方部か?


 全景。手前が前方部?、奥が後円部か?。
            以上2009年10月撮影。  


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2021年11月23日

番外 宮城県の古墳⑩ 賽ノ窪古墳群 名取市

 名取大塚山古墳(賽ノ窪古墳群1号墳)(ランキング393位)を主墳とする古墳群です。また、この大塚山古墳のみが、名取市の史跡に指定されています。
 余談ですが、名取大塚山古墳を取り上げた2018年4月28日のブログでは、東日本大震災前後で後円部墳頂に建立されていた石碑の状況変化についても掲載しています。
 『古墳マップ』の「賽ノ窪古墳群」の項目の「紹介文」で、「高館丘陵から分岐し東へ張り出す標高30~50mの愛島丘陵上に30基程が分布している古墳群である。1号墳の名取大塚山古墳(全長90mの前方後円墳)を代表する5世紀ごろの埴輪を伴う円墳群と、十石上古墳(全長32mの前方後円墳)を中核とした箱式石棺をもつ円墳群で構成される。(現地案内板より一部引用)」と記されています。
 次回から、大塚山古墳訪問時に立ち寄った古墳を紹介していきたいと思います。



 名取市教委の説明板。
            2017年5月撮影。

 説明板の拡大部分。
            以上2012年6月撮影。

 旧説明板。
            2009年10月撮影。  


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2021年11月21日

番外 宮城県の古墳⑨ 後藤神社古墳 美里町 円墳 径不詳

 保土塚古墳の約80m南に位置し、小牛田公園内にあります。
 絵が暗くて読みづらいですが、標柱の裏面に、「古墳時代中期の古墳と推定されるが地ならしが行われたため形状は明らかではない。」と記されています。
 宮城県小牛田町教育委員会の報告書『山前遺跡』の「小牛田町遺跡地名表」では、「市町村番号 39019、遺跡名 後藤神社古墳、立地 丘陵、種別 円墳、時代 古墳」(p.7)と記されています。そのため、ここでは円墳として書いています。ただし、大きさは不詳です。
 


 標柱。表。裏。


 全景?。
            以上2017年5月撮影。  


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2021年11月19日

番外 宮城県の古墳⑧ 保土塚古墳 美里町 円墳 径50m

 同じ美里町の京銭塚古墳(ランキング895位)の訪問途中に立ち寄った古墳です。下記のように、普通の公園内に整備・保存されています。
 美里町のHP.の「保土塚古墳」の項目で、「小牛田公園(通称素山公園)内にあり、現状は直径が約50mの円墳状になっていますが、後世に前方部が欠損したもので、本来は前方後円墳であるとも言われています。古墳時代中期の古墳と見られます。」と記されています。
 ただし、宮城県小牛田町教育委員会の報告書『山前遺跡』の「小牛田町遺跡地名表」では、「市町村番号 39018、遺跡名 保土塚古墳、立地 丘陵、種別 円墳、時代 古墳」(p.7)と記されています。そのため、ここでは「円墳」として書いています。

 
 説明板。


 墳頂。


 ほぼ全景。西から。


 全景。北から。


 全景。南東から。
            以上2017年5月撮影。  


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2021年11月17日

番外 宮城県の古墳⑦ー3 鷹巣鷹巣古墳群19号墳 白石市 円墳 径11m

 この古墳も、18号墳同様に、古墳公園の入口付近に石室部分が移築されています。
 宮城県白石市教育委員会の『鷹巣古墳群発掘調査概報』では、「18号墳の北約90mの 地点にある古墳で、丘陵鞍部を距てて18号墳と対峙 している。19号墳は北側高地の南緩傾斜面の中腹につくられた円墳で、直径11mあり、これら古墳の墳丘裾部北半に巾約 2mの周湟が半月状 に繞っており南側では、自然の傾斜面となる。高さは北側で計測して約60cm、南側では1.60mと 計測された。」と述べられています。


 白石市教委の説明板。


 横穴式石室(移築復原)。
            以上2017年4月撮影。  


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2021年11月15日

番外 宮城県の古墳⑦ー2 鷹巣鷹巣古墳群18号墳(箱式石棺) 白石市 円墳 径22m

 下記『概報』によると、この古墳は瓶ヶ盛古墳の約250m西、丘陵地の最高所に立地していたそうです。しかし、現在は瓶ヶ盛古墳の西側の古墳公園の入口付近に、箱式石棺部分のみが移築復元されています。
 宮城県白石市教育委員会の『鷹巣古墳群発掘調査概報』で、「この古墳は、直経(ママ)22m、 高 さは西部で2.5mあ り、古墳の規模は瓶ケ盛古墳につ ぐ大 きさである。この頂部は、僅かに平坦になってお り、形状は円錐形 を呈 し、形のよく整 った円墳で南西部が僅かにゆがんでいる。」(p.14)と述べられています。
 「鷹の巣古墳群」を構成する古墳のひとつとして、宮城県の史跡に指定されています。


 白石市教委の説明板。


 箱式石棺(移築復原)
            以上2017年4月撮影。  


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2021年11月13日

番外 宮城県の古墳⑦ー1 瓶ケ盛(かめがもり)古墳(鷹巣古墳群12号墳) 白石市 56m

 鷹巣古墳群の中で、最大規模を誇る古墳です。ただし、訪問時は墳丘上に草木が茂りあまりいい絵は撮れませんでした。
 白石市のHP.の「指定文化財 鷹巣古墳群」の項目で、「白石盆地のほぼ中央、東から突出する鷹巣丘陵の峰道に沿って点在する古墳群で、5世紀後半から7世紀頃までに造営されたと考えられています。 本古墳群中最大のものは瓶ヶ盛古墳で、二段築成、全長56メートルの埴輪をめぐらす帆立貝式の前方後円墳です。 昭和46年に県の指定史跡となりました。」と記されています。
 宮城県白石市教育委員会の『鷹巣古墳群発掘調査概報道』でも、「12号墳 (瓶 ヶ盛古墳) 鷹巣古墳の主墳 とみ られているこの古墳は、その存在 は江戸時代か ら文献 にも書出され著名 となってお り、瓶ケ盛古墳の別称が与えられ親まれて きた前方後円墳である。 この古墳一帯 は、松 と雑木に覆 われていて見通 しが悪い うえ、前方部の形状が不明確なため、この丘陵東端 を横切 る小径の窪みをもって尖端 とみなし長軸約70m、 後円部径60mの 規模 と略測 されていた。 今回の実測調査に際 し、樹木の全面刈払いを行なった ところ、 これらの中間に巾3m、 深さ20cmほどの浅い窪地が分水線を横断 して走るのが確認 され、ここを前方部端 とみるのが妥当と考 えられた。 しか し、これとても、前方部端の形状 は方形 をなすこともな く、その上、周湟らしくはあって も極めて浅いなどのことか ら、不確定な要素 も多分に内臓(おっさん註 「内蔵」の誤記) しておるため、巾15m、 長 さ15mと 概略を示すにとどめる。そ してこれ らは、今後 この墳丘をめ ぐる埴輪の配置状況や周湟の確認調査によって始めて確定 されるべ きものと思われる。一応、こうした観察結果を基礎 として全長56mと してお く。後円部径は50m、 二段築造からなり、高さは西の墳丘基部より測 って7mで、後円部西半には、巾 5mの周湟が認められる。後円部には各所に盗掘 された痕跡がみられるが、いづれ も主体部に達するに至 らないため末掘 とみてよく、 したがって内部主体は不明である。」(p.29)と述べられています。
 また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の、「瓶ヶ盛古墳(鷹ノ巣古墳、*鷹ノ巣12号墳)」の項目では、「形状:前方後円(帆立貝形) 築成:前方部:1段、後円部:2段 墳長:56m 後円部:径48m 高7m 前方部:幅27m 長20m 高0.4m 特記事項【周濠】あり。県史跡(鷹の巣古墳群)」と記されています。 
 上記のように、「鷹の巣古墳群」を構成する古墳のひとつとして、宮城県の史跡に指定されています。
 余談ですが、資料によって詳しい数値に違いがありますが、後円部と比べて前方部の高さが異常に低い事が気になりました。後世の削平などにより現在の状況になったという妄想が浮かんでしまいました。


 白石市教委の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部右端から後円部。西から。

 前方部左端から後円部。西から。


 後円部墳頂盗掘抗。


 全景。右が後円部、左奥が前方部。南西から。
            以上2017年4月撮影。  


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2021年11月11日

番外 宮城県の古墳⑥ 御山(おやま)古墳 色麻町 円墳 径50m

 古墳は、国道457号線が花川を渡る北西側の「伊達(いだて)神社」境内にあります。というか、古墳の墳頂に社殿が造営されています。
 「古墳マップ」の「御山古墳」の項目の紹介文で、「径約50m、高さ約6mの円墳」と記されています。 
 余談ですが、訪問時の主目的は、同じ色麻町にある念南寺古墳(ランキング1292位)や熊野神社古墳(ランキング1003位)でした。そのため、この古墳に鎮座する神様に賽銭もあげずに、そそくさと立ち去り目的地に向かいました。その天罰か、林の中の藪を搔き分けカキワケ熊野神社古墳を探しましたが、円墳のような墳丘は見つけたものの、とうとう発見できませんでした。「天罰じゃん」。


 墳丘の一部(参道)。南から。


 墳頂。


 ほぼ全景。北東から。


 全景。西から。
            以上2017年5月撮影。  


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