2018年02月28日

131 お富士山古墳 群馬県伊勢崎市 125m

 JR両毛線で前方部の一部が削られていますが、墳丘の残りは良いです。群馬県の史跡に指定されています。長持形石棺の出土で有名です。白石太一郎さんは、「お富士山古墳の石棺は棺蓋以外はほぼ完存し、長さ二・八メートルで太田天神山古墳のものよりは小さいが、全体の形状、長側板の内側の方形の刳り込みや縄掛突起の作り出し方など、細部に至るまでこの時期の畿内の大型古墳の長持形石棺と共通する。(中略)上毛野の大首長の死に際して、畿内の王や有力首長の石棺を作っていた工人がわざわざ派遣されて、その製作にあたったものと考えざるをえない。」と述べています。(『古墳とヤマト政権』p.136)

 伊勢崎市教育委員会の説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。

 全景。右が後円部、左が前方部。南から。

 全景。右手前が前方部、左奥が後円部。北西から。


 石室の蓋石か?

 長持形石棺。
  


Posted by じこま at 13:29Comments(0)

2018年02月28日

130 別所大塚古墳 奈良県天理市 125m

 南から探訪しようとすると、車がやっと一台通れる小道を上り、左手に池が見えると奥に古墳があります。墳丘内は、竹林や薮でよくわかりません。古墳の北側に周濠跡が確認できます。余談ですが、小道を上がる道中に「山邉御縣神社」という由緒正しそうな神社がありました。調べてみたら、明治時代に玉垣内で刀剣や金環(金メッキをした耳飾り)残欠が出土したと伝えられています。
 

 全景。左が後円部、右が前方部。南東から。

 全景。右が後円部、左が前方部。北東から。
                                         以上2015年12月撮影。

 周濠跡。

 墳丘内の様子。
                                        以上2010年1月撮影。  


Posted by じこま at 12:25Comments(0)

2018年02月27日

[129] 上武士天神山古墳 群馬県伊勢崎市 (127または128)m

 消滅古墳です。ホームページ『Go! 伊勢崎』の「上武士(剛志)天神山古墳」に「犬、猪、鶏の埴輪など貴重な埴輪が出土し、墳長127、3m、後円径61m、高さ5,5m、前方部幅約80mの前方後円墳だったと言う天神山古墳。」と述べられています。

 標柱。


 古墳跡。境上武士846の境総合運動場。いづれも北西から。
            以上2016年11月撮影。


    追記(2020年7月24日)

 ブログ「東国の古代史」の「まぼろしの上武士天神山古墳《伊勢崎市》」(2020‐04‐20)では、【補足2】として「上州の人という群馬の古墳に詳しい方から本古墳の位置に関する情報を頂きました。『現在の古墳標識から北西に数十mの所にあった。墳丘の長さは127.7m』ということです。」と述べられています。このブログを参考にすると、上記の境総合運動場の絵は、古墳跡としてはふさわしくない絵となります。また、127.7mとすると、タイトルでは128mとなります。お詫びして訂正いたします。ただし、反省の意を込めて絵は削除せずそのまま掲載します。

    追記の追記(2020年10月29日)

 2020年10月21日のブログに、「追加[129] 上武士(かみたけし)天神山古墳」として、訂正した跡地付近の絵を掲載しています。

   


Posted by じこま at 13:37Comments(0)

2018年02月27日

129 亀ヶ森古墳 福島県会津坂下町 127m

 福島県最大の古墳で、国指定の史跡です。前方部は墓地になっています。南西50mのところに鎮守森古墳があり、周辺に前方後円形や前方後方形・方形・円形の周溝墓が見つかっています。大分県宇佐市の赤塚古墳とその周辺の方形周溝墓群と同じ墳墓構成といえるでしょうか。
 会津坂下町教育委員会による説明板2つ。



 後円部墳頂。中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。

 全景。右が後円部、左が前方部。南から。

 全景。右が前方部、左奥が後円部。北西から。

 後円部端全景。東から。
  


Posted by じこま at 13:09Comments(0)

2018年02月27日

128 佐紀高塚山古墳 奈良県奈良市 127m

 宮内庁によって、称徳天皇の「高野陵」に治定されています。この人物は、最初は孝謙天皇として即位し、重祚(2度目)して称徳天皇となった奈良時代の女性天皇として有名です。770年に没したといわれているので、被葬者が???古墳のひとつです。北に 25佐紀石塚山古墳が、北東に 31佐紀陵山古墳が接しています。
 宮内庁の立札。



 前方部端全景。西から。

 全景。手前が前方部、奥が後円部。南西から。


 後円部端全景(木々の奥)。東から。
  


Posted by じこま at 11:47Comments(0)

2018年02月27日

127 手繰ヶ城山古墳 福井県坂井市 128(130)m

 国の史跡に指定されています。山頂にあるので歩いていくと大変。古墳近くの駐車場(空き地)から少し歩いていくと、巨大な墳丘が目に飛び込んできます。後円部墳頂から、九頭竜川も見えます。前方後方墳という見解もありましたが、2008年と翌年に実施された富山大学の測量調査で全長約130mの前方後円墳であることが確認されています。
 松岡町教育委員会の説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。

 前方部から後円部。そして前方部右隅から後円部。


 後円部から「造り出し」と奥に「方墳」を見る。
  続きを読む


Posted by じこま at 10:58Comments(0)

2018年02月27日

126 前橋天神山古墳 群馬県前橋市 129m

 後円部の一部のみ現存し、後円部跡は保育所になっています。群馬県の史跡に指定されています。114前橋天神山古墳でも書きましたが、近くに天神山古墳があり、朝倉・広瀬古墳群を形成しています。三角縁神獣鏡2面を含む5面の銅鏡などの出土品は、国の重要文化財に指定されています。
 標柱。そして前橋市教育委員会の説明板。



 後円部残存部。

 後円部残存部墳頂。

 後円部残存部墳頂から後円部跡を見る。
  


Posted by じこま at 09:50Comments(0)

2018年02月26日

125 丸岡塚古墳 滋賀県長浜市 130m

 後円部の一部のみ現存しています。標識や説明板がないので、これが古墳とはわかりにくいです。

 墳丘の墳頂。

 後円部残存部。北からと西から。

 左が前方部跡、右が後円部残存部。北東から。
  


Posted by じこま at 22:12Comments(0)

2018年02月26日

124 高柳銚子塚古墳 千葉県木更津市 130m 

 鉄道の敷設で墳丘の一部が破壊され、現在は後円部の一部が残されているのみです。

 墳丘上の石碑。「ここ高柳塚之越(銚子塚古墳)」という文字がある。



 後円部残存部。南東からと北東から。

 前方部跡から後円部残存部。南から。
  


Posted by じこま at 20:37Comments(0)

2018年02月26日

123 駒寄村11号墳 群馬県吉岡町 130m

 資料不足と墳丘の残り具合が悪くよくわかりません。一応、それらしい絵を撮りましたが。古墳の名称は、群馬県が県内の古墳の悉皆調査結果を、1938年にまとめた『上毛古墳綜覧』によるものです。群馬県どすごいじゃん。余談になりますが、吉岡町には八角墳という特殊な墳形をした「三津屋古墳」や石室内の石組が精巧な「南下古墳群」があります。


 後円部付近か?

 後円部付近?の高まり。



    おまけ
 ①三津屋古墳
 全景。
 

 石室入口。


 ②南下古墳群
    A号墳
   

    B号墳

    C号墳

    D号墳

    E号墳
  


Posted by じこま at 20:17Comments(0)