2020年04月30日

補遺[824-18-1] 象鼻山3号墳のおまけの「1号墳」 岐阜県養老町 前方後方墳 約40m

 象鼻山古墳群の中では唯一の前方後方墳です。象鼻山の最高所に位置しており、墳頂からは濃尾平野を一望できます。かつては、古墳群中で最古・最大の墳墓と考えられていましたが、弥生墳丘墓の3号墳が最古・最大(壇の部分を含む)であることが明らかになっています。ただ、この1号墳が、邪馬台国の卑弥呼のライバルである狗奴国の男王・卑弥弓呼の墓の可能性があると話題になったことがありました。真偽の程は・・・ですが。
 前日の3号墳の項目でも書きましたが、最近撮った絵の一部がひっくり返っていますのでご了承ください。お口直しに、8年前訪問した時の絵も掲載しました。雪化粧した1号墳はなかなか素敵でした。ただ、昼飯大塚古墳(ランキング71位)の現地説明会のついでに訪問したので、雪の対策はしておらず、運動靴は雪に埋もれて後が大変でした。
 養老町のHP.の「養老町の歴史文化資源」にある「象鼻山1号墳」の項目で、「象鼻山1号墳は、象鼻山の最高所に位置する前方後方墳です。全長は約40mで、濃尾平野に面する後方部東側のみ二段築成とし、部分的に葺石を備えています。埋葬施設からは鏡や石製品、刀、剣などが発見され、その築造時期は3世紀中頃と考えられています。」と記されています。「象鼻山古墳群」は養老町の史跡に指定されています。


 養老町教委の説明板2つ。標柱。


 後方部右側。中央。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。

 後方部端全景。


 墳頂から見る濃尾平野。
            以上2020年4月撮影。


 標柱。


 後方部右側。左側。

 前方部。


 前方部右隅から後方部。前方部左隅から後方部。
              以上2012年2月撮影。  


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2020年04月29日

補遺[824-18] 象鼻山(ぞうびさん)3号墳 岐阜県養老町 上円下方壇 径17mの円丘・辺70mの壇

 弥生墳丘墓です。墳丘墓を古墳のランキングに加えるのは「如何なものか」というご批判があるかもしれませんが、ランキングの参考にさせていただいているHP.「古墳探訪」では、「楯築古墳」・「西桂見古墳」として掲載されており、このブログでも、「楯築弥生墳丘墓(ランキング609位)」、「西桂見墳丘墓(ランキング955位)」として紹介しています。また、この墳丘墓は、素人目には小円墳にしか見えませんが、下記のように大きな方形壇を持つというので取り上げてみました。70m規模の古墳と同列に並べるのは・・・ですが。
 さらに、パソコンが新型ウイルスに感染した影響か、iPadで撮影した絵が90度、または180度回転し修正ができませんでした。申し訳ありませんが、パソコンやスマホなどを回転させるか首を回してご覧ください。「ウイルスのはずがないだらー」。
 養老町のHP.の「養老町の歴史文化資源」の中の、「象鼻山3号墳(上円下方壇)」の項目で、「象鼻山3号墳(上円下方壇)は、南北70mの方形壇の中心に、直径17mの円丘を配置した上円下方壇です。象鼻山山頂を平らに削り、南北を壕で区画しています。また、円丘は上半分が土、下半分が石で造られていました。どんな目的で造られたか解明されておらず、謎の多い遺跡です。象鼻山古墳群を造るとき、最初に造られたのがこの象鼻山3号墳(上円下方壇)ではなかったかと考えられています。」と記されています。
 3号墳は、「象鼻山古墳群」として養老町の史跡に指定されています。墳頂に見える社は、「弁天社」だそうです。


 登山道入口の案内板。古墳群の標柱。3号墳の標柱。


 円丘部2つ。


 下方壇から円丘部。
            以上2020年4月撮影。  


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2020年04月28日

追加436-2 正法寺古墳のおまけの「岩場古墳」 愛知県西尾市 約30m

 石柱がなければ、どこに古墳があるかわかりませんでした。おまけに、新しそうな石柱には「岩場古墳跡」と「跡」の文字が・・・。もしこれが事実ならば、古墳の跡地が県の史跡(「文化財保護法」によれば、「史跡」といえば国が指定した場合のみで、都道府県や市町村といった地方自治体が指定した場合は厳密には「史跡」ではないようですが・・・)という非常にレアなケースになると思います。前にも書きましたが、高知県の曽我山古墳(ランキング1180位)が、「消滅古墳」であるにもかかわらず宿毛市の史跡だった?という例があるのみです。
 西尾市のHP.の「西尾市の文化財 岩場古墳」の項目で、「岩場古墳は勝楽寺東側の尾根先端に位置する墳長約30m程度の帆立貝形前方後円墳である。昭和25年(1950)に吉田中学校歴史クラブの生徒が岩石採集の際、偶然埴輪棺を発見したことをきっかけに発掘調査が行なわれた。さらに翌年墳頂部から全国でも出土例が25例ほどしかない円筒棺(えんとうかん)が発見されている。 円筒棺からは鉄刀や鉄斧などの鉄製品が多数出土し、三河地方の代表的な中期古墳として重要である。なお、円筒棺は現在西尾市吉良歴史民俗資料館に展示されている。」と記されています。古墳は愛知県の史跡に、円筒棺などの出土品は愛知県の考古資料に指定されています。

        追記(2020年5月3日)

 「宿毛市立宿毛歴史館」の矢木さんより、「平田曽我山古墳」は「昭和32年に市指定され、現在も解除されておりません。」と御教示いただきました。感謝申し上げます。
 したがって、上記の「宿毛市の史跡だった?」を「現在も宿毛市の史跡」と訂正します。


 石柱2つ。

 西尾市教委の説明板。


 墳丘。


 墳頂付近。
            以上2013年11月撮影。  


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2020年04月27日

追加436-1 正法寺古墳のおまけの「とうてい山古墳」 愛知県西尾市 円墳 径21m

 前日に、正法寺古墳を紹介しましたが、以前訪問した西尾市内の墳長60(57)m以下の古墳を「おまけ」として取り上げたいと思います。なお、吉良八幡山古墳は、2018年10月21日のブログで紹介しています。
 西尾市のHP.の「西尾市の文化財 とうてい山古墳」の項目で、「とうてい山古墳は、三ヶ根山系から南に延びた舌状丘陵先端部に位置し、眼下に三河湾を一望できる。発掘調査は昭和42年に行われた。円墳、横穴式石室で単室・両袖型。奥壁に幅2.4m以上、高さ2m以上の巨石を用い、最大幅2.72m、最大高2.82mを測る。石室内の右側壁寄りには佐久島産凝灰質砂岩を用いた組合せ式箱形石棺が置かれている。出土遺物は須恵器・玉類・武具・馬具など多数。6世紀後半の築造とみられる。」と記されています。ただし、上記HP.では、「形状 全長8m 円墳」となっており、この「全長」とは石室の長さで古墳の大きさではないと思います。


 幡豆町教委の説明板。


 近景2つ。


 石室入口。石室内部。


 全景。遠景。
             以上2018年5月撮影。   


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2020年04月26日

追加436 正法寺古墳 愛知県西尾市 89m→(94)m

 古墳は海岸近くの独立丘陵上に立地しています。墳丘規模等については、前回(2018年5月10日)のブログで紹介していますので、割愛します。ただし、墳丘規模については、前方部が斜めになっているので、「5世紀前葉に築かれた墳長約94m(主軸線上では約90m)の前方後円墳の発掘調査。南側くびれ部で島状遺構を検出。」と「特記事項」(吉良町教育委員会 2005 『史跡正法寺古墳範囲確認調査報告書』)に記されています。  


 石柱。説明版。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂。後円部端全景。


 2つで全景(横から)。後円部。前方部。


 全景(横から)。右が後円部、左が前方部。


 墳丘付近から見る三河湾。


 遠景。北から。
            以上2020年4月撮影。  


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2020年04月06日

古墳探訪のオフシーズンにつき・・・

 豊橋市内を流れる豊川の堤防の法面の緑色も鮮やかになってきました。また、豊橋名産の次郎柿の木にも若葉が芽吹いてきました。(下の絵はそのつもりで撮ったものですが、機械が苦手なため天地がひっくり返ってしまいました。)
 古墳の墳丘上にも草木が生え始め、いい絵が撮れない探訪のオフシーズンとなってきました。また、最近の「不要不急の自粛要請」もあり、当面新しいブログの掲載はお休みし、今まで掲載したブログの充実に努めたいと思います。「掲載する古墳の絵がないだけだらー」。





 
 
            以上2020年4月撮影。  


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2020年04月05日

追加の追加16 行燈山古墳 奈良県天理市 242m

 この行燈山古墳は、2018年2月6日、同年3月19日のブログに加えて3度目の掲載です。自分の中では同一古墳の掲載は、「2度まで」と「自粛」していましたが、前項の櫛山古墳の訪問ついでに、その美しさ故に思わず絵を撮ってしまいました。以前のブログでは、墳丘データを示していませんでしたので、今回紹介することで、「原則破り」をお許しください。
 余談ですが、2年前の訪問時にはなかった無料の市営駐車場が、古墳の前方部の北側(「そば処 千古」の西側の方がわかり易いか?)に設置されており、利用させてもらいました。「やるじゃん天理市」。
 天理市のHP.の「行燈山古墳」の項目で、「柳本町に所在する全長242メートルの巨大前方後円墳です。『崇神天皇山辺道勾岡上陵』として宮内庁により陵墓治定を受けており、古墳には円筒埴輪の存在が知られています。4世紀前半に築造された古墳時代前期後半の古墳と推測されます。」と記されています。上記のように、宮内庁管理なので一般人の立ち入りは「御法度」です。
 後円部端の東側を通る「山の辺の道」の東に隣接して櫛山古墳(ランキング64位)があります。


 全景。右手前が前方部、左奥が後円部。北西から。


 遠景。右が前方部、左が後円部。北北西から。
            以上2020年3月撮影。  


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2020年04月04日

追加64 櫛山古墳 奈良県天理市 155(150)m

 2018年2月16日のブログに掲載した古墳です。その時の絵がイマイチと思い再々訪しました。ただ、前の絵と比べて、今回はあまり代わり映えしない絵となりました。「もっとしっかりしりん」。
 墳形は赤土山古墳(ランキング203位)と同じく、造り出し付前方後円墳です。下記のように、双方中円墳とする意見もありますが、おっさんは支持しません。なぜなら、一方の方形部が他方の方形部と比べて小さすぎるからです。双方中円墳の定義が曖昧なので仕方がないですが、おっさん的には、方形部の小さい方が、大きい方の少なくとも半分以上の長さが必要だと思います。 
 天理市のHP.の「櫛山古墳」の項目で、「柳本町に所在する全長約155メートルの前方後円墳で、行燈山古墳のすぐ東側に隣接します。前方部を両側に築いた独特な墳形であるため、双方中円墳とも呼ばれています。1948年~1949年の発掘調査では、長さ 7.1メートルの竪穴式石室と長持形石棺の一部がみつかり、腕輪形石製品類や鉄製品などが出土しました。4世紀前半に築造された古墳時代前期後半の古墳です。国指定史跡。」と記されています。
 また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「櫛山古墳」の項目では、「墳丘 形状:双方中円 築成:前方部:2段、後円部:3段 墳長:150m 後円部:径25m(おっさん註 ママ) 高16m 前方部:幅60m 長63m 高11m 特記事項【周濠】あり。 【その他】西側を前方部、東側を後方部としている。後方の方位はN‐108°‐E、中円部の築成は3段。国史跡。」と記されています。ただし、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(Google Ⅿaps JavaScript API版(おっさん註 奈良県限定版))」の「櫛山古墳」の項目では、「墳丘 形状:双方中円 築成:前方(西)2段、中円3段、後方(東)3段 墳長:150m 後円部:径中円90m 高中円18m 前方部:幅前60、後65m 長前63、後25m 高前11、後16m 特記事項 竪穴式石槨の床面中央に掘込みがあり、槨両端に割石積みの壇がある。周濠あり。国史跡」と記載されています。つまり、前者の後円部の径は、後者を参考にすれば、90mとなり、前方部(大きい方の方形部)の長さは63mで後方部(小さい方の方形部)の25mと比べて2倍以上となります。   


 石柱。天理市教委の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 造り出し右側。左側。


 後円部墳頂の盗掘坑。


 造り出しから見る後円部端全景。右側。左側。


 全景。右が後円部、左が前方部。


 全景。右が前方部、左が後円部。
            以上2020年3月撮影。  


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2020年04月03日

追加203-1 赤土山古墳のおまけの「3基の移築石室」 奈良県天理市

 シャープ天理総合開発センターの敷地内にあった古墳の横穴式石室を守衛所の西側に移築したものです。守衛所で見学の許可を得て訪問しました。その際に、「赤土山古墳案内図」をいただきました。感謝申し上げます。余談ですが、守衛所では、体温測定センサーカメラが設置されており、大企業の新型コロナウイルス対策は流石だと思いました。
 小丘陵地の北側の裾に設けられている移築石室から南西にある社員寮を間にはさんで、赤土山古墳(ランキング203位)があります。 


 天理市教委とシャープ株式会社の説明板


 移築石室① 全体。玄室部分。


 移築石室② 全体。玄室部分。


 移築石室③ 全体。玄室部分。
            以上2020年3月撮影。  


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2020年04月02日

追加962 櫟本墓山古墳 奈良県天理市 64(55)m

 この古墳は、墳丘上に墓石が建つ「墓地古墳」です。ただし、ここまで墳丘全体に墓石が立ち並ぶのは、同じ天理市の燈篭山古墳(ランキング226位)と長崎県雲仙市の守山大塚古墳(ランキング772位)を措いて他にはないと思いました。「奈良市の大安寺墓山古墳(ランキング587位)などもあるだらー」。前方部右隅から後円部を見ると、古墳脇の道路がちょうど墳形に沿ってカーブしているのがわかります。
 ランキングの参考にさせていただいているHP.「古墳探訪」など多くは全長64mとしていますが、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「櫟本墓山古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:55m 後円部:径42m 前方部:幅24m」と記されています。また、1989年に天理市教育委員会が発行した『赤土山古墳 第1次範囲確認調査概報』でも、「標高134.2mを最高峰とする東大寺山の頂上付近に立地している全長140mの東大寺山古墳(前方後円墳)と、標高118.5mの東西に延びる尾根筋頂上部に立地した全長110mの赤土山古墳(前方後方墳)に対して、全長110mの和爾下神社古墳(前方後円墳)や、全長55mの棟本基山古墳(前方後円墳)は、尾根筋先端の山麓地帯に立地している。東大寺山古墳群では、同じ古墳群において山頂部と山麓部に分かれて立地する大形古墳の立地状況が見られ、大和盆地の東麓に所在する大和古墳群や柳本古墳群と比べて独特な様相がある。」(p.1)と述べています。ただし、この概報は赤土山古墳の墳形を前方後方墳とするなど古い報告書ですが・・・。ここでは、64mと55mの両論併記でいきます。
 櫟本墓山古墳は、東大寺山古墳群中で西端に位置しています。約500m東に東大寺山古墳(ランキング92位)、約300m南東に和邇下神社古墳(ランキング266位)、約600m南東に赤土山古墳(ランキング203位)があります。   


 前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 ほぼ全景(横から)。右が前方部、左が後円部。


 全景。右が後円部、左が前方部。
            以上2020年3月撮影。  


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