2022年10月30日

番外 群馬県の古墳⑯ー5 喜蔵塚古墳[白石古墳群] 藤岡市 円墳(方墳) 径(辺)25×23m

 10年以上前の訪問なので、印象に残っていない古墳です。他の資料などを見ると、精緻な横穴式石室が必見のようですが、たまたま説明板を見かけて、絵を撮っただけのようです。白石古墳群の中では南端に位置する古墳だそうです。
 藤岡市のHP.の「喜蔵塚古墳」の項目で、「猿田川を南に望むなだらかな北斜面に位置し、東に飯玉神社が隣接しています。墳丘は一部を欠失し、南北約25メートル、東西23メートル、高さ4メートルの大きさと推定されます。これまで円墳と考えられていましたが、方墳の可能性も指摘されています。 石室は古くから開口しているため、副葬品などの出土品は不明ですが、7世紀後半の築造と推定されます。」と記されています。
 古墳は、藤岡市の史跡に指定されています。
 余談ですが、この古墳の約100m西に吉良上野介館跡がありました。このブログを書くまで、全く知りませんでした。上野介の領地であった西尾市吉良町には、三河で最大級の正法寺古墳(ランキング436位、追加436位)があり、何度か訪問していました。


 藤岡市教委の説明板。


 全景。
        以上2009年7月撮影。  


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2022年10月28日

番外 群馬県の古墳⑯ー4 皇子塚古墳[白石古墳群]  藤岡市 円墳 径31m

 前回の平井地区1号古墳の約20m南に位置しています。「毛野国白石丘陵公園」内に整備されています。
 藤岡市のHP.の「皇子塚古墳」の項目で、「この古墳は隣接する平井地区1号古墳と同時期の6世紀後半に造られた古墳で、昭和63年度の調査により直径31メートル、高さ6メートルの円墳であることが判明しました。 主体部は両袖型(りょうそでがた)の横穴式(よこあなしき)石室で古くから開口していましたが、現在は入口を塞いでいるため見学できません。 石室は前室(ぜんしつ)、玄室(げんしつ)からなる複室(ふくしつ)構造で、墓道(ぼどう)状の細長い前庭(ぜんてい)があります。石室内の積み方に特徴があり、羨道・前室は河原石の乱石積み(らんせきづみ)で、玄室は凝灰岩の切石積み(きりいしづみ)で切組(きりくみ)の手法を取り入れています。」と記されています。
 古墳は、群馬県の史跡に指定されています。


 石柱。群馬県教委・藤岡市教委の説明板。


 墳頂。


 全景。北西から。


 全景。
        以上2016年11月撮影。  


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2022年10月26日

番外 群馬県の古墳⑯ー3 平井地区1号古墳[白石古墳群] 藤岡市 円墳 径24m

 前回の宗永寺裏東塚古墳から約60m南の台地上に位置する円墳です。東塚古墳の遠景の絵は、この古墳付近から撮ったものです。
 この古墳のあるエリアは、「毛野国白石丘陵公園」として整備され、近くの「藤岡歴史館」には古墳から出土した埴輪や土器などが展示されています。
 藤岡市のHP.の「平井地区1号古墳」の項目で、「この古墳は隣接する皇子塚古墳と同時期の6世紀後半に造られた古墳です。平成3年度(1991年)の調査により径24メートル、高さ4メートルの二段に造られた円墳であることが判明し、葺石、埴輪列、周溝、祭祀遺構(さいしいこう)が確認されました。 石室から出土した装飾付大刀(そうしょくつきたち)をはじめとする多数の副葬品や墳丘から出土した埴輪は、国の重要文化財に指定されています。」と記されています。
 古墳は、群馬県の史跡に指定されています。


 石柱。群馬県教委・藤岡市教委の説明板。


 全景。西から。
        以上2016年11月撮影。

 全景。


 全景。
        以上2009年7月撮影。  


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2022年10月24日

番外 群馬県の古墳⑯ー2 宗永寺裏東塚古墳[白石古墳群]  藤岡市 30m

 前回の宗永寺裏西塚古墳の約50m南東に位置している古墳です。古墳の墳丘上は墓地となっており、後円部の側面はコンクリートブロックで直線的に固められています。おっさんは、この部分が前方部と混同して絵を撮っていました。「もっと確認してから訪問しりん」。
 また、前回も書きましたが、この古墳から出土したとされる石棺が宗永寺境内に残されています。残念ながら、石棺の蓋部分はありませんが・・・。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「宗永寺東裏古墳(美土里村6号墳〈綜覧〉)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:30m 後円部:径13.5m 高2・7m 前方部:幅14m 長11m 高2m 特記事項【周濠】あり。【その他】墳丘現存。」と記されています。


 右奥が前方部、左手前が後円部。南東から。


 後円部端全景。南南東から。


 全景。右が前方部、左が後円部。東から。


 遠景。中央が後円部、奥が前方部。南から。


 宗永寺石棺の石碑。


 石棺。
        以上2016年11月撮影。  


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2022年10月22日

番外 群馬県の古墳⑯ー1 宗永寺裏西塚古墳[白石古墳群]  藤岡市 48m

 古墳は宗永寺境内にあり、墳丘上には墓石が立ち並んでいます。
 古墳の近くに石棺が設置されていますが、石碑によると、この古墳のものではなく、宗永寺裏東塚古墳から出土したとされています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「宗永寺西裏古墳(美土里村4号墳〈綜覧〉)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:48m 後円部:径30m 高4.8m 前方部:幅29m 長18m 高4.8m 特記事項【周濠】あり。【その他】墳丘現存。」と記されています。
 約50m西に七輿山古墳(ランキング79位)が位置しています。南方には、白石稲荷山古墳(ランキング54位)があり、2基の墳長150m級の大型古墳を含むエリアは「白石古墳群」と呼ばれています。


 後円部右側、左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 前方部右隅から後円部。


 全景。右が後円部、左が前方部。南から。
        以上2016年11月撮影。  


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2022年10月20日

番外 群馬県の古墳⑮ 塚廻り古墳群第4号古墳 太田市 23m

 規模は小さいですが、人物埴輪や家形埴輪など多数の形象埴輪の出土で著名な古墳です。10年以上前の訪問ですが、広い田地の中で、突然復元埴輪を配置した低墳丘の古墳が現れ、印象に残っています。
 太田市教育委員会 文化財課が発行した『太田市の古墳』の「⑱塚廻り古墳群(昭和52年9月20日 県史跡指定)」の項目で、「太田市東部にある沖積低地には、台地が埋没していました。塚廻り古墳群は、6世紀前半から中ごろにかけてこの埋没台地上にあった群集墳です。圃場整備事業に先立って行われた調査により、合計7基の帆立貝形古墳および円墳が確認され、多数の埴輪片が出土しました。特に第4号古墳は、全長約22.5mの帆立貝形古墳で、埴輪は並びおかれた埴輪の残りが良く、当時の埴輪祭式を復元できることなどから、出土した埴輪は国の重要文化財に一括指定されています。」と記されています。


 石柱。

 群馬県教委・太田市教委の説明板。

 説明板左側。右側。


 後円部の復元埴輪。


 やや全景。手前が前方部、左奥が後円部。


 ほぼ全景。手前が前方部、奥が後円部。
        以上2009年6月撮影。  


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2022年10月18日

番外 群馬県の古墳⑭ー5 沢野村89号墳[高林古墳群]  太田市 44m

 長勝寺の北西に位置している古墳です。下記のデータベースによると、後円部は残存していますが、前方部が墓地で削平されている帆立貝形前方後円墳です。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「高林愛宕山古墳(沢野村89号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円(帆立貝形) 墳長:43.6m 後円部:径30m 高:5.5m 前方部:長推定13m 高1.2m 特記事項【周濠】あり。【その他】前方部は墓地作成により削平、後円部残存。」と記されています。


 墳頂。


 後円部。南から。


 全景。左側の墓地が消滅前方部、中央が後円部。南から。
        以上2015年1月撮影。  


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2022年10月16日

番外 群馬県の古墳⑭ー4 沢野村77号墳[高林古墳群]  太田市 36m

 古墳は、県立がんセンターの東出入口の北側に位置しています。古墳の西側は駐車場になっていますが、古墳の周辺は木々のある緑地帯として残されています。そのため、古墳の墳形はわかりやすくなっています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「沢野村77号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円(帆立貝形) 墳長:36.4m 後円部:高4.5m 前方部:高0.9m 特記事項【その他】墳丘現存。」と記されています。


 ほぼ全景。手前が前方部、奥が後円部。北から。


 全景。右が後円部、左が前方部。西から。
        以上2015年1月撮影。  


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2022年10月14日

番外 群馬県の古墳⑭ー3 沢野村72号墳(中原古墳)[高林古墳群]  太田市 56m

 草木が茂り、全体像がつかみ難い古墳ですが、帆立貝形前方後円墳だそうです。県立がんセンターの南東隅から約100m東の住宅地の中に位置しています。古墳の周辺には、沢野村77号墳、74号墳、54号墳(諏訪山古墳)、63号墳などがあり、高林古墳群の中でも、古墳の密集エリアです。
 余談ですが、「中原古墳」という別称も、ひょっとしたら古墳群の中央付近に築造されたという意味があるのかも?という妄想が起きてしまいました。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「中原古墳(沢野村72号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円(帆立貝形) 墳長:56m 後円部:径41m 高3? 前方部:幅12m 長14m 高1.2m 特記事項【周濠】馬蹄形。」と記されています。


 後円部端の一部。北東から。。


 全景。右が前方部、左が後円部。北西から。
        以上2015年1月撮影。  


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2022年10月12日

番外 群馬県の古墳⑭ー2 沢野村63号墳[高林古墳群]  太田市 円墳 径40m

 古墳は、一部削られていますが現存しています。高林古墳群の中では、規模の大きな円墳です。古墳の南側の畑地が半円形に巡っており、周濠跡と思われます。
 太田市教育委員会 文化財課が発行した『太田市の古墳』の「⑬高林鶴巻古墳群、高林西原古墳群」の項目で、「沢野村63号墳は、第2次世界大戦中に開墾されてしまいましたが、直径約40mの円墳であったと想定されています。また、埋葬施設の痕跡(礫槨)が残されています。直刀や馬具、挂甲の小札、鉄鏃が出土しているほか、円筒埴輪および朝顔形埴輪が出土しています。」と記されています。
 余談ですが、グーグルマップでは墳丘上の二本の木が伐採されており、現在は下の絵と異なる状況です。


 全景。西から。


 全景。南西から。
        以上2015年1月撮影。  


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