2018年08月31日
786 沖出古墳 福岡県嘉麻市 70(68)m
HP.嘉麻市観光ポータルの「沖出古墳」の項目で、「古墳の大きさは全長約68m、後円部径約40mです。墳丘は前方部が2段、後円部3段で、斜面には石が葺かれ、壺形・円筒・朝顔形・家形の埴輪が立てられていました。後円部には、竪穴式石室が築かれ、割竹形石棺を納められていました。石室や盗掘抗からは、九州の古墳で唯一、三種類の石製腕飾り(鍬形石・車輪石・石釧)がセットで出土しました。また、九州で二例目となる「船」の絵が線刻された埴輪が発見されました。」と記されています。福岡県の史跡に指定されています。
古墳は丘陵上に築造されており、現在は復原され沖出古墳公園として整備されています。個人的な見解ですが、墳丘の優美さは特筆すべきものがあると思います。一度は訪れてみたい、絵になる古墳です。
説明板2つ。

後円部右側。左側。

前方部。前方部から後円部。

前方部端墳頂の復元家形埴輪。
竪穴式石室の説明板。見学施設。

全景。手前が後円部、左奥が前方部。南東から。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
以上2014年10月撮影。
古墳は丘陵上に築造されており、現在は復原され沖出古墳公園として整備されています。個人的な見解ですが、墳丘の優美さは特筆すべきものがあると思います。一度は訪れてみたい、絵になる古墳です。
説明板2つ。
後円部右側。左側。
前方部。前方部から後円部。
前方部端墳頂の復元家形埴輪。
竪穴式石室の説明板。見学施設。
全景。手前が後円部、左奥が前方部。南東から。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
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09:09
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2018年08月31日
785 鳥崇神社古墳 群馬県太田市 70m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「鳥崇神社古墳(鳥之郷村66号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:後円部:2段 墳長:70m 後円部:径40m 高7.5m 前方部:幅28m 長30m 特記事項【造出】あり?(前方部両側の周濠中に中島あり)。【周濠】馬蹄形。【その他】前方部削平。」と記されています。
現状は、大型の円墳状態です。ただし、後円部はかなり高さがあります。上記の中島については気づきませんでした。中島のある古墳といえば、同じ群馬県高崎市にある井出二子山古墳(ランキング200位)や保渡田八幡塚古墳(ランキング286位)を思い出しました。
後円部。南から。
後円部(横から)。西から。
前方部跡から後円部。南から。
以上2016年11月撮影。
後円部近景。
後円部墳頂。
後円部。南から。
後円部(横から)。東から。
以上2011年10月撮影。
現状は、大型の円墳状態です。ただし、後円部はかなり高さがあります。上記の中島については気づきませんでした。中島のある古墳といえば、同じ群馬県高崎市にある井出二子山古墳(ランキング200位)や保渡田八幡塚古墳(ランキング286位)を思い出しました。
後円部。南から。
後円部(横から)。西から。
前方部跡から後円部。南から。
後円部近景。
後円部墳頂。
後円部。南から。
後円部(横から)。東から。
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2018年08月30日
784 重定古墳 福岡県うきは市 70m
HP.うきは市観光協会の「重定古墳」の項目で、「本来、西向きのきれいな前方後円墳ですが、前後左右及び後円部墳頂には社地として削平されて当時の姿をとどめておらず、現存長51m、後円部径44m、高さ8.5mとなっています。石室は、大型石材を積み上げた石室全長約15mの複室構造の横穴式石室で、玄室の高さが約3.8mとなっています。玄室の腰石および天井石は一枚石を使用しており、豪壮な感があります。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「重定古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:現状50(推定70) 後円部:径現状25(推定40) 高現状8m 前方部:長現状25(推定30) 高現状5m」と記しています。
墳形は、周辺が住宅地に囲まれ、削平されている部分があるため前方後円形とは確認できません。また、昔の絵なので墳丘のどの部分を撮ったのか不明なところがあります。「どいかん」。
古墳は、江戸時代から装飾古墳として知られており、約30m南西に隣接した円墳の楠名古墳とともに、「楠名・重定古墳」として国の史跡に指定されています。また、約200m南東にある法正寺古墳(ランキング270位)とともに朝田古墳群を構成しています。
石柱。
説明板2つ、前者はうきは市教委。そして「古墳室案内図」。


後円部?右側。左側か。→前方部右側。左側。

前方部残存部から後円部。→後円部。
墳丘。→後円部墳頂。
以上2010年10月撮影。
追記
絵の説明に誤りがありましたので、→以降に訂正します。また、2020年1月11日のブログに、「追加784 重定古墳」として、新しい絵を掲載しています。
おまけ 楠名古墳(円墳 径約32m)
石柱。
石室入口。石室内部。

3つで全景。中央。右側。左側。


遠景。
以上2010年10月撮影。
墳形は、周辺が住宅地に囲まれ、削平されている部分があるため前方後円形とは確認できません。また、昔の絵なので墳丘のどの部分を撮ったのか不明なところがあります。「どいかん」。
古墳は、江戸時代から装飾古墳として知られており、約30m南西に隣接した円墳の楠名古墳とともに、「楠名・重定古墳」として国の史跡に指定されています。また、約200m南東にある法正寺古墳(ランキング270位)とともに朝田古墳群を構成しています。
石柱。
説明板2つ、前者はうきは市教委。そして「古墳室案内図」。
後円部?右側。左側か。→前方部右側。左側。
前方部残存部から後円部。→後円部。
墳丘。→後円部墳頂。
追記
絵の説明に誤りがありましたので、→以降に訂正します。また、2020年1月11日のブログに、「追加784 重定古墳」として、新しい絵を掲載しています。
おまけ 楠名古墳(円墳 径約32m)
石柱。
石室入口。石室内部。
3つで全景。中央。右側。左側。
遠景。
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2018年08月30日
783 弁天塚古墳 奈良県天理市 70m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「弁天塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円? 墳長:70m 後円部:径40m 高3.5?前方部:幅30? 長30? 高2以上」と記されています。
前方部が畑地、後円部に林が繁る現状です。前方部端に近接してJR.桜井線が通っています。大和古墳群の中では西端に位置し、約800m東に中山大塚古墳(ランキング120位)、約1km東に西殿塚古墳(ランキング19位)があります。余談ですが、特殊器台・特殊壺の破片が出土した弁天塚古墳は、橿原市にあった別の同名古墳です。
前方部から後円部。西から。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
以上2013年9月撮影。
前方部が畑地、後円部に林が繁る現状です。前方部端に近接してJR.桜井線が通っています。大和古墳群の中では西端に位置し、約800m東に中山大塚古墳(ランキング120位)、約1km東に西殿塚古墳(ランキング19位)があります。余談ですが、特殊器台・特殊壺の破片が出土した弁天塚古墳は、橿原市にあった別の同名古墳です。
前方部から後円部。西から。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
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2018年08月30日
782 愛甲大塚古墳(石田車塚古墳) 神奈川県厚木市及び伊勢原市 70(70~80)m
HP.伊勢原市の「いせはら文化財サイト」の「古墳の築造」の項目で、「市内では愛甲石田駅の南側に厚木市とまたがって位置する石田車塚(いしだくるまづか)古墳(別名、愛甲大塚古墳=あいこうおおつかこふん)があります。当初は円墳と思われていましたが、調査の結果全長70~80メートルの前方後円墳であることが分かりました。」と記されています。
現状は、前方部が消失し後円部が径30m程度の円墳状態です。墳丘の大部分は厚木市内に位置し、一般的に愛甲大塚古墳という名称で知られていますが、伊勢原市は石田車塚古墳と呼んでいるようです。同じ古墳を、行政地域の違いで異なる名称を使用しているとすれば、「どいかん」。
後円部残存部近景。
後円部残存部。東から。
後円部残存部全景か。
古墳近くの駐輪場。古墳は、絵の外右奥方向にあり。
以上2009年12月撮影。厚木市愛甲東1丁目2-17付近。
追記
2019年8月10日のブログに、「追加782 愛甲大塚古墳(石田車塚古墳)」として、新しい絵を掲載しています。
現状は、前方部が消失し後円部が径30m程度の円墳状態です。墳丘の大部分は厚木市内に位置し、一般的に愛甲大塚古墳という名称で知られていますが、伊勢原市は石田車塚古墳と呼んでいるようです。同じ古墳を、行政地域の違いで異なる名称を使用しているとすれば、「どいかん」。
後円部残存部近景。

後円部残存部。東から。

後円部残存部全景か。

古墳近くの駐輪場。古墳は、絵の外右奥方向にあり。

追記
2019年8月10日のブログに、「追加782 愛甲大塚古墳(石田車塚古墳)」として、新しい絵を掲載しています。
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08:08
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2018年08月29日
781 長塚古墳 兵庫県朝来市 70m
朝来市教育委員会・朝来市埋蔵文化財センターの「現地説明会資料 岡田古墳群 長塚古墳の発掘調査(2015(平成27)年2月7日)」によると、「長塚古墳基礎データ 古墳の形:前方後円墳 高さ:不明 全長:約70m!? 埴輪:あり 葺石:不明 埋葬施設:不明 横穴式石室か」と記されています。
古墳は、前方部・後円部とも大部分が削平され、小高い土山が2つあるだけで、原形を留めていません。約200m西の独立丘陵上に小丸山古墳があり、長塚古墳とともに岡田古墳群を構成しています。
標識。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部、西から。


前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。

全景。右が後円部、左が前方部。
遠景。左の住宅地と山地の間。小丸山古墳から見る。西から。
以上2015年4月撮影。
古墳は、前方部・後円部とも大部分が削平され、小高い土山が2つあるだけで、原形を留めていません。約200m西の独立丘陵上に小丸山古墳があり、長塚古墳とともに岡田古墳群を構成しています。
標識。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部、西から。
前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
全景。右が後円部、左が前方部。
遠景。左の住宅地と山地の間。小丸山古墳から見る。西から。
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2018年08月29日
780 吉田王塚古墳 兵庫県神戸市 70(74)m
宮内庁が、「玉津陵墓参考地」として管理しており、周辺は王塚公園として整備されています。
古墳は、高台に位置し、墳丘は周濠に囲まれ美しい姿をみせています。次の説明板にあるように、宮内庁の調査で墳裾が削られていることが明らかとなり、推定墳長が74mと考えられています。
神戸市教委の説明板。立札(制札)。

前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。

遠景。手前が前方部、奥が後円部。南から。
以上2016年9月撮影。
「公園」の石碑。
前方部端全景。
全景。右が後円部、左が前方部。
以上2012年5月撮影。
古墳は、高台に位置し、墳丘は周濠に囲まれ美しい姿をみせています。次の説明板にあるように、宮内庁の調査で墳裾が削られていることが明らかとなり、推定墳長が74mと考えられています。
神戸市教委の説明板。立札(制札)。
前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
遠景。手前が前方部、奥が後円部。南から。
「公園」の石碑。
前方部端全景。
全景。右が後円部、左が前方部。
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09:09
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2018年08月29日
779 甲塚古墳 愛知県犬山市 70m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「甲塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:推定70m 前方部:幅40m 長40m 高2以上」と記されています。
消滅古墳です。現在、跡地は住宅地となっており、古墳の痕跡は全く残っていません。約400m西に妙感寺古墳(ランキング356位)、約600m北に東之宮古墳(ランキング[610]位)があります。
前方部跡地付近。南から。
古墳跡地付近。南から。
以上2016年10月撮影。
消滅古墳です。現在、跡地は住宅地となっており、古墳の痕跡は全く残っていません。約400m西に妙感寺古墳(ランキング356位)、約600m北に東之宮古墳(ランキング[610]位)があります。
前方部跡地付近。南から。
古墳跡地付近。南から。
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2018年08月28日
778 大谷古墳 和歌山県和歌山市 70m
HP.わかやま文化財ガイドの「大谷古墳」の項目で、「大谷古墳は5世紀末頃に築かれた、全長約70メートルの前方後円墳で、和歌山平野を臨む泉山脈南麓の丘陵端部に位置する。後円部には、九州産石材と推定されている組み合わせ式家形石棺(いえがたせっかん)が直葬(じきそう)されていた。副葬品には馬冑(ばちゅう)、馬甲(ばこう)、鉄地金銅張(てつじこんどうばり)の馬具(ばぐ)、耳飾(みみかざり)、玉(たま)類などがあり、大陸的な色彩が強い。」と記されています。
紀ノ川の右岸の丘陵南端に位置し、和歌山市街を一望できます。古墳築造当時は、海を臨むことが出来たと思われます。この大谷古墳は、馬冑の出土が有名で、国の史跡に指定されています。同じ、紀ノ川の右岸側に車駕之古址古墳(ランキング525位)が、左岸側には天王塚古墳(ランキング469位)・大谷山古墳(ランキング693位)などの岩橋千塚古墳群があります。
和歌山市教委の説明板3つ。


後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。

前方部から見た南方面の眺望。
以上2015年10月撮影。
石柱。旧説明板。

後円部中央。右側。左側。


前方部右側。左側。

後円部端中央。右側。左側。

以上2011年5月撮影。
紀ノ川の右岸の丘陵南端に位置し、和歌山市街を一望できます。古墳築造当時は、海を臨むことが出来たと思われます。この大谷古墳は、馬冑の出土が有名で、国の史跡に指定されています。同じ、紀ノ川の右岸側に車駕之古址古墳(ランキング525位)が、左岸側には天王塚古墳(ランキング469位)・大谷山古墳(ランキング693位)などの岩橋千塚古墳群があります。
和歌山市教委の説明板3つ。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
前方部から見た南方面の眺望。
石柱。旧説明板。


後円部中央。右側。左側。



前方部右側。左側。


後円部端中央。右側。左側。



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2018年08月28日
777 黒田大塚古墳 奈良県田原本町 70m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「黒田大塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:2段 墳長:復元70m 後円部:径復元40m 高復元8.2m 前方部:幅復元45m 高復元7.7m」と記されています。また、橿原考古学研究所編『大和前方後円墳集成』では、「前方後円墳 全長約55m」と記されています。奈良県の史跡に指定されています。
古墳は前方部の端部分が削平されており、上記の『集成』の全長は、現状の数値を示したものと思われます。余談になりますが、弥生時代が水田農耕社会であることを明らかにした学史的に著名で、代表的な拠点集落のひとつである唐古・鍵遺跡は、この古墳の約2km東にあります。
説明板2つ。前者は奈良県教委。後者は田原本町教委。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

後円部端全景。東から。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
ほぼ全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
以上2013年11月撮影。
古墳は前方部の端部分が削平されており、上記の『集成』の全長は、現状の数値を示したものと思われます。余談になりますが、弥生時代が水田農耕社会であることを明らかにした学史的に著名で、代表的な拠点集落のひとつである唐古・鍵遺跡は、この古墳の約2km東にあります。
説明板2つ。前者は奈良県教委。後者は田原本町教委。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部端全景。東から。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
ほぼ全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
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