2021年06月29日
番外 中竹矢古墳 島根県松江市 前方後方墳 21m
当初、訪問予定になかった古墳です。記憶が定かではありませんが、この古墳から南西約200mにある出雲国分寺跡の案内板に、この古墳が図示されていたような気がします。その地図を頼りに、周辺をウロウロ歩いてそれらしき絵を撮ったものです。そのため、この絵が中竹矢古墳のものであるかどうか自信がありません。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「中竹矢1号墳(中竹矢古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部:1段、後円(ママ)部:1段 墳長:20.7m 後円(ママ)部:径(ママ)12.7×12.3m 高2.2m 前方部:幅11.6m 長8.4m 高1.4m 特記事項 【造出】なし。【周濠】なし。【その他】一部墳丘下にかかって横穴墓(中竹矢1号穴)があり、これが内部主体だった可能性がある。」と記されています。
約300m南西に上竹矢7号墳(ランキング977位)があります。
後方部右側?。左側?。

前方部右側?。左側?。

前方部から後方部?。
後方部墳頂?。
以上2016年3月撮影。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「中竹矢1号墳(中竹矢古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部:1段、後円(ママ)部:1段 墳長:20.7m 後円(ママ)部:径(ママ)12.7×12.3m 高2.2m 前方部:幅11.6m 長8.4m 高1.4m 特記事項 【造出】なし。【周濠】なし。【その他】一部墳丘下にかかって横穴墓(中竹矢1号穴)があり、これが内部主体だった可能性がある。」と記されています。
約300m南西に上竹矢7号墳(ランキング977位)があります。
後方部右側?。左側?。
前方部右側?。左側?。
前方部から後方部?。
後方部墳頂?。
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08:08
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2021年06月27日
番外 竹矢岩舟古墳 島根県松江市 前方後方墳 50m
初めて訪問した時は、ビックリした古墳です。博物館に展示してあってもおかしくないような石棺が、草むらの中で異様な姿で放置されていたからです。よく見てみると、バラバラになった五輪塔の一部が石棺内やその縁に置かれていました。再訪時も、少し整理されたようですが、その姿には大きな変化はありませんでした。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の、「竹矢岩船古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部1段、後円(ママ)部:1段 墳長:50m 後円(ママ)部:径(ママ)28×28m 高5.5m 前方部:幅26m 長22m 高4.5m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。」と記されています。
墳丘上に石棺が残されているケースとしては、香川県高松市の石船塚古墳(ランキング1306位)・三谷石舟古墳(ランキング346位)、岡山県瀬戸内市の築山古墳(ランキング552位)などがありますが、これだけ「放置感」の強い古墳はあまりないと思いました。
約100m西に手間古墳(ランキング864位)などがあり、この地域は古墳が集中して造られているエリアです。
後方部中央。右側。左側。


前方部右側。左側。

前方部から後方部。前方部右隅から後方部。

後方部墳頂。
後方部墳頂の石棺。

全景(横から)。右が後方部、左が前方部。西から。
以上2016年3月撮影。
全景(横から)。右が後方部、左が前方部。
後方部墳頂の石棺。
以上2013年11月撮影。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の、「竹矢岩船古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部1段、後円(ママ)部:1段 墳長:50m 後円(ママ)部:径(ママ)28×28m 高5.5m 前方部:幅26m 長22m 高4.5m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。」と記されています。
墳丘上に石棺が残されているケースとしては、香川県高松市の石船塚古墳(ランキング1306位)・三谷石舟古墳(ランキング346位)、岡山県瀬戸内市の築山古墳(ランキング552位)などがありますが、これだけ「放置感」の強い古墳はあまりないと思いました。
約100m西に手間古墳(ランキング864位)などがあり、この地域は古墳が集中して造られているエリアです。
後方部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後方部。前方部右隅から後方部。
後方部墳頂。
後方部墳頂の石棺。
全景(横から)。右が後方部、左が前方部。西から。
全景(横から)。右が後方部、左が前方部。
後方部墳頂の石棺。
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2021年06月25日
番外 古曽志大塚1号墳 島根県松江市 円墳 径45m
「大谷」と「大塚」一字違いなので、前項の「古曽志大谷1号墳」と混同してしまいがちな古墳です。前方後方墳ではなく、造出し付円墳ですが取り上げてみました。この古墳も、「古墳の丘 古曽志公園」内に整備・保存されています。
HP.「島根県:歴史・観光・見所」の「松江市:古曾志大塚1号墳」の項目で、「大塚古墳群は1基の大型円墳と5基の方墳から構成されている古墳群です。中でも1号墳は高さ約6m、直系(ママ)約45m、2段構(ママ)成、段の廻りには円筒埴輪や朝顔形埴輪が配され、傾斜部には葺石が葺かれていたと考えられています。円墳としては島根県最大級の規模で埴輪や葺石などが見られることから首長級の墳墓だったと推定されています。」と記されています。
説明板。
ほぼ全景。
ほぼ全景。手前が造出しか?
以上2013年11月撮影。
HP.「島根県:歴史・観光・見所」の「松江市:古曾志大塚1号墳」の項目で、「大塚古墳群は1基の大型円墳と5基の方墳から構成されている古墳群です。中でも1号墳は高さ約6m、直系(ママ)約45m、2段構(ママ)成、段の廻りには円筒埴輪や朝顔形埴輪が配され、傾斜部には葺石が葺かれていたと考えられています。円墳としては島根県最大級の規模で埴輪や葺石などが見られることから首長級の墳墓だったと推定されています。」と記されています。
説明板。
ほぼ全景。
ほぼ全景。手前が造出しか?
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2021年06月23日
番外 古曽志大谷1号墳 島根県松江市 前方後方墳 46m
再びというか三度・四度目というか・・・「前方後方墳シリーズ」になります。
この「古墳」は、「古墳の丘 古曽志公園」内で、実物大の復元模型古墳として見学が可能です。ここから約200m西に位置していた跡地は、現在住宅地となっているそうです。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「古曽志大谷1号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部2段、後円(ママ)部:2段 墳長:45.5m 後円(ママ)部:径(ママ)25m 高4.8以上 前方部:幅復元29m 長21m 高4.5m 特記事項【造出】前方部前面にあり。【周濠】なし。【周堤】なし。【その他】破壊、現存せず。」と記されています。
兵庫県神戸市の五色塚古墳(ランキング42位)が、発掘調査の結果に基づき、本物の葺石を活用して築造当時の古墳の姿を最初に復元した古墳としてよく知られています。この古曽志大谷1号墳の存在を知らなかった頃は、この1号墳の写真を見て違和感を感じながらも、五色塚古墳と思ってしまいました。「五色塚古墳より柳井茶臼山古墳(ランキング397位)の方が似とるだらー」。
余談ですが、消失古墳の跡地からやや離れた場所に実物大の復元古墳がある例として、神奈川県平塚市の真土大塚山古墳(ランキング1067位)を思い出しました。
余談の余談ですが、「前方部の端」ではなく「後円部の端」に造出しのある古墳として、奈良県天理市の赤土山古墳(ランキング203位・追加は2020年3月31日のブログ)があります。
説明板。
後方部。前方部、奥が宍道湖。

前方部から後方部。
前方部の埋葬施設。説明板。

前方部端の造出し。説明板。

後方部墳頂。後方部から見る跡地方面。

出土品。
2つで全景。前方部左端から後方部。前方部端全景。

ほぼ全景。右が前方部、左が後方部。
以上2013年11月撮影。
この「古墳」は、「古墳の丘 古曽志公園」内で、実物大の復元模型古墳として見学が可能です。ここから約200m西に位置していた跡地は、現在住宅地となっているそうです。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「古曽志大谷1号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部2段、後円(ママ)部:2段 墳長:45.5m 後円(ママ)部:径(ママ)25m 高4.8以上 前方部:幅復元29m 長21m 高4.5m 特記事項【造出】前方部前面にあり。【周濠】なし。【周堤】なし。【その他】破壊、現存せず。」と記されています。
兵庫県神戸市の五色塚古墳(ランキング42位)が、発掘調査の結果に基づき、本物の葺石を活用して築造当時の古墳の姿を最初に復元した古墳としてよく知られています。この古曽志大谷1号墳の存在を知らなかった頃は、この1号墳の写真を見て違和感を感じながらも、五色塚古墳と思ってしまいました。「五色塚古墳より柳井茶臼山古墳(ランキング397位)の方が似とるだらー」。
余談ですが、消失古墳の跡地からやや離れた場所に実物大の復元古墳がある例として、神奈川県平塚市の真土大塚山古墳(ランキング1067位)を思い出しました。
余談の余談ですが、「前方部の端」ではなく「後円部の端」に造出しのある古墳として、奈良県天理市の赤土山古墳(ランキング203位・追加は2020年3月31日のブログ)があります。
説明板。
後方部。前方部、奥が宍道湖。
前方部から後方部。
前方部の埋葬施設。説明板。
前方部端の造出し。説明板。
後方部墳頂。後方部から見る跡地方面。
出土品。
2つで全景。前方部左端から後方部。前方部端全景。
ほぼ全景。右が前方部、左が後方部。
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2021年06月21日
番外 稲荷台1号墳 千葉県市原市 円墳 径28m
前々項で、岡田山1号墳から銘文を有する大刀が出土していることに触れましたが、「前方後方墳シリーズ」から脱線して稲荷台1号墳を紹介します。この古墳からも「王賜」銘鉄剣が出土しており、鉄剣は市原市の文化財に指定されています。
市原市埋蔵文化財調査センターのHP.の「遺跡ファイル」にある「古墳時代中期中葉 稲荷台1号墳 いなりだい」の項目で、「稲荷台古墳群は、市原台地を北西から刻む谷筋に面した立地の、12基からなる古墳群です。1号墳はこのうちで最大の直径28m程度の墳丘を持つ円墳です。 墳丘上には2つの埋葬施設があり、どちらも木棺に葬られていたようです。中央の木棺痕からは、鉄剣3・短甲1・鉄鏃10・刀子1、北の木棺痕からは、鉄刀1・鉄鏃10・胡ロク金具1式・きさげ状金具1・砥石1が出土しています。中央棺の鉄剣のうち1本は、復元する過程で、「王賜」を含む銘文を表裏に持つことがわかりました。」と記されています。
古墳の墳丘自体は消失しています。ただ、跡地付近に三分の一に復元した「古墳」が、「稲荷台1号墳記念広場」として残されています。
余談ですが、銘文を持つ刀剣類が出土した古墳としては、埼玉県行田市の稲荷山古墳(ランキング161位)、熊本県和水町の江田船山古墳(ランキング1030位)が有名です。近年、福岡県福岡市の九州大学伊都キャンパスの敷地内にある、元岡古墳群G6号墳から「庚寅」銘大刀が出土し、2019年に国の重要文化財に指定されています。
余談の余談ですが、縮小復元「古墳」としては、「景初四年」銘の銅鏡が出土した京都府福知山市の「広峯15号墳」が印象に残っています。詳細は、2020年6月6日のブログ「番外 梶山古墳のおまけ 広峯15号墳」で書きましたので割愛しますが、運命的な出会いを体験しました。「勝手な思い込みだらー」。
市原市教委の説明板。

三分の一復元「古墳」。
市原市山田橋3丁目ー1。 以上2009年6月撮影。
市原市埋蔵文化財調査センターのHP.の「遺跡ファイル」にある「古墳時代中期中葉 稲荷台1号墳 いなりだい」の項目で、「稲荷台古墳群は、市原台地を北西から刻む谷筋に面した立地の、12基からなる古墳群です。1号墳はこのうちで最大の直径28m程度の墳丘を持つ円墳です。 墳丘上には2つの埋葬施設があり、どちらも木棺に葬られていたようです。中央の木棺痕からは、鉄剣3・短甲1・鉄鏃10・刀子1、北の木棺痕からは、鉄刀1・鉄鏃10・胡ロク金具1式・きさげ状金具1・砥石1が出土しています。中央棺の鉄剣のうち1本は、復元する過程で、「王賜」を含む銘文を表裏に持つことがわかりました。」と記されています。
古墳の墳丘自体は消失しています。ただ、跡地付近に三分の一に復元した「古墳」が、「稲荷台1号墳記念広場」として残されています。
余談ですが、銘文を持つ刀剣類が出土した古墳としては、埼玉県行田市の稲荷山古墳(ランキング161位)、熊本県和水町の江田船山古墳(ランキング1030位)が有名です。近年、福岡県福岡市の九州大学伊都キャンパスの敷地内にある、元岡古墳群G6号墳から「庚寅」銘大刀が出土し、2019年に国の重要文化財に指定されています。
余談の余談ですが、縮小復元「古墳」としては、「景初四年」銘の銅鏡が出土した京都府福知山市の「広峯15号墳」が印象に残っています。詳細は、2020年6月6日のブログ「番外 梶山古墳のおまけ 広峯15号墳」で書きましたので割愛しますが、運命的な出会いを体験しました。「勝手な思い込みだらー」。
市原市教委の説明板。
三分の一復元「古墳」。
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2021年06月19日
番外 岡田山2号墳 島根県松江市 円墳 径44m
1号墳のおまけです。この古墳も、「八雲立つ風土記の丘公園」内で、整備・保存されています。なにぶん、10年以上前の訪問ですので、この古墳についての記憶がほとんど残っていません。「古墳に対して失礼だらー」。
島根県教育委員会が発行した報告書『出雲岡田山古墳』では、「岡田山 2号墳は、標高 23mあ ま りの丘陵上に築かれた円墳で、径 44m、高 さ5.44mある。円墳 としては県下3番目の規模を有する大型古墳である (中略)。 墳丘は、全体 としては遺存状態が比較的良好で、二段築成の円墳であることが知 られる。墳裾は南側が幅6mあまりにわた って残存 しているのみで、そ の他はわずかずつ掘削されているようで、墳丘斜面が相当急角度になっている。特に墳丘の南東側裾部は、かつて宅地に造成されていた と思われ、直線的に掘削されている。」(p.76)と記されています。
1号墳とともに、「岡田山古墳」という名称で、国の史跡に指定されています。
説明板。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
以上2010年7月撮影。
島根県教育委員会が発行した報告書『出雲岡田山古墳』では、「岡田山 2号墳は、標高 23mあ ま りの丘陵上に築かれた円墳で、径 44m、高 さ5.44mある。円墳 としては県下3番目の規模を有する大型古墳である (中略)。 墳丘は、全体 としては遺存状態が比較的良好で、二段築成の円墳であることが知 られる。墳裾は南側が幅6mあまりにわた って残存 しているのみで、そ の他はわずかずつ掘削されているようで、墳丘斜面が相当急角度になっている。特に墳丘の南東側裾部は、かつて宅地に造成されていた と思われ、直線的に掘削されている。」(p.76)と記されています。
1号墳とともに、「岡田山古墳」という名称で、国の史跡に指定されています。
説明板。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
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2021年06月17日
番外 岡田山1号墳 島根県松江市 前方後方墳 24(22)m
「八雲立つ風土記の丘公園」内にある前方後方墳です。下記のように、銘文のある大刀の出土で知られています。
松江市のHP.の「出雲岡田山古墳出土品」の項目で、「岡田山1号墳から大正4(1915)年に出土した武具類、馬具類、須恵器、その他多数の副葬品。なかでも円頭大刀は「額田部臣(ぬかたべおみ)」の銀象嵌銘文を有し、古代の部民制や氏姓制度を解明するうえで貴重な資料です。」と記されています。
島根県教育委員会が発行した報告書『出雲岡田山古墳』では、「岡田山1号墳の墳丘は、築造時の全長約24m、後方部幅約14m、前方部幅約14m、前方部先端幅約14mを測り、その前部に長さ約23m、幅28~29m、高さ約1.6mのいびつな長方形を呈するテラス状の造り出しを備えた特異な形態をもつ三段築成の前方後方墳である。この古墳の造り出し部には盛土は見られず、地山を整形したのみの構造であり、また墳丘部の下段も基本的には地山によるものである。(中略)つまり、この古墳は三段築成とはいっても、先端にテラス状の部分を備えた長方形の地山の上に二段築成の前方後方墳を載せたものであるとみることもでき、造り出し部を含めて約47mの規模をもつ古墳としては、その割に労力を節約して築造されたものであるということができよう。」(pp.37~38)と述べています。
ただし、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「岡田山1号墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部2段、後円(ママ)部:2段 墳長:21.5m 後円(ママ)部:径(ママ)11.5m 高3m 前方部:幅11.5m 長10m 高2.5m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。【その他】整備・保存。国史跡(岡田山古墳)。出土品が国文化財(出雲岡田山古墳出土品)」と記されています。報告書の図面からも一般的な「造り出し」とは思えないので、ここでは墳丘長(全長)を「造り出し」部分を含めないものとして考えていきます。
上記データベースの記述にあるように、この1号墳は、2号墳とともに「岡田山古墳」という名称で国の史跡に、出土品は国の重要文化財に指定されています。
前項まで掲載した出雲西部の「松本古墳群」に属する前方後方墳や神原神社古墳は、古墳時代前期に築造された古墳でした。ところが、出雲東部に築造された前方後方墳の多くは、山代二子塚古墳(ランキング370位)に代表されるように、中期末から後期にかけて築造されています。この岡田山1号墳も後期後半に築造されたと考えられています。他の地域では、中期以降ほとんど前方後方墳が築造されなくなるのと対照的です。また、このエリアでは前期から後期にかけて規模の大きな方墳が築造され、前方後円墳よりも方墳が優越する傾向がみられます。
おっさんは、『記紀』や『風土記』などに記された出雲神話の意味するところはよくわかりません。しかし、上記の例や四隅突出型墳丘墓の存在、また弥生時代の加茂岩倉遺跡や神庭荒神谷遺跡で発見された大量の銅鐸や銅剣などの青銅製祭器や「神在月」伝承など、この出雲地域の「葬送形態」や「神まつり」の独自性・特殊性を否定することはできません。
余談ですが、近江俊秀さんは、『境界の日本史』の「図2-1-2 方言の区分」で、北海道を除く日本列島の方言エリアを14の地域に区分し、その一つに「雲伯地方」(おっさん註 島根県西部から鳥取県東部)を挙げています(森先一貴・近江俊秀著『境界の日本史』p.138)。出雲地域と伯耆地域では、古墳の築造様式は全く異なっていますが、四隅突出型墳丘墓の築造エリアと重複します。ヤマト王権によって分断されたエリアという妄想が湧いてしまいましたが、鼻で笑われそうなので、ここまで。
説明板。
石室の説明板。
石室入口。内部。

閉塞石。その説明板。

後方部端全景。
2つで全景。後方部。左が後方部、右が前方部。

ほぼ全景。右が前方部、左が後方部。
以上2010年7月撮影。
松江市のHP.の「出雲岡田山古墳出土品」の項目で、「岡田山1号墳から大正4(1915)年に出土した武具類、馬具類、須恵器、その他多数の副葬品。なかでも円頭大刀は「額田部臣(ぬかたべおみ)」の銀象嵌銘文を有し、古代の部民制や氏姓制度を解明するうえで貴重な資料です。」と記されています。
島根県教育委員会が発行した報告書『出雲岡田山古墳』では、「岡田山1号墳の墳丘は、築造時の全長約24m、後方部幅約14m、前方部幅約14m、前方部先端幅約14mを測り、その前部に長さ約23m、幅28~29m、高さ約1.6mのいびつな長方形を呈するテラス状の造り出しを備えた特異な形態をもつ三段築成の前方後方墳である。この古墳の造り出し部には盛土は見られず、地山を整形したのみの構造であり、また墳丘部の下段も基本的には地山によるものである。(中略)つまり、この古墳は三段築成とはいっても、先端にテラス状の部分を備えた長方形の地山の上に二段築成の前方後方墳を載せたものであるとみることもでき、造り出し部を含めて約47mの規模をもつ古墳としては、その割に労力を節約して築造されたものであるということができよう。」(pp.37~38)と述べています。
ただし、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「岡田山1号墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部2段、後円(ママ)部:2段 墳長:21.5m 後円(ママ)部:径(ママ)11.5m 高3m 前方部:幅11.5m 長10m 高2.5m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。【その他】整備・保存。国史跡(岡田山古墳)。出土品が国文化財(出雲岡田山古墳出土品)」と記されています。報告書の図面からも一般的な「造り出し」とは思えないので、ここでは墳丘長(全長)を「造り出し」部分を含めないものとして考えていきます。
上記データベースの記述にあるように、この1号墳は、2号墳とともに「岡田山古墳」という名称で国の史跡に、出土品は国の重要文化財に指定されています。
前項まで掲載した出雲西部の「松本古墳群」に属する前方後方墳や神原神社古墳は、古墳時代前期に築造された古墳でした。ところが、出雲東部に築造された前方後方墳の多くは、山代二子塚古墳(ランキング370位)に代表されるように、中期末から後期にかけて築造されています。この岡田山1号墳も後期後半に築造されたと考えられています。他の地域では、中期以降ほとんど前方後方墳が築造されなくなるのと対照的です。また、このエリアでは前期から後期にかけて規模の大きな方墳が築造され、前方後円墳よりも方墳が優越する傾向がみられます。
おっさんは、『記紀』や『風土記』などに記された出雲神話の意味するところはよくわかりません。しかし、上記の例や四隅突出型墳丘墓の存在、また弥生時代の加茂岩倉遺跡や神庭荒神谷遺跡で発見された大量の銅鐸や銅剣などの青銅製祭器や「神在月」伝承など、この出雲地域の「葬送形態」や「神まつり」の独自性・特殊性を否定することはできません。
余談ですが、近江俊秀さんは、『境界の日本史』の「図2-1-2 方言の区分」で、北海道を除く日本列島の方言エリアを14の地域に区分し、その一つに「雲伯地方」(おっさん註 島根県西部から鳥取県東部)を挙げています(森先一貴・近江俊秀著『境界の日本史』p.138)。出雲地域と伯耆地域では、古墳の築造様式は全く異なっていますが、四隅突出型墳丘墓の築造エリアと重複します。ヤマト王権によって分断されたエリアという妄想が湧いてしまいましたが、鼻で笑われそうなので、ここまで。
説明板。
石室の説明板。
石室入口。内部。
閉塞石。その説明板。
後方部端全景。
2つで全景。後方部。左が後方部、右が前方部。
ほぼ全景。右が前方部、左が後方部。
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2021年06月15日
番外 神原神社古墳 島根県雲南市 方墳 辺30×26m
「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が出土した古墳として著名です。ただし、神社の土台部分となっていた古墳は河川改修により消失し、竪穴式石室が現在の神原神社の境内に移築復元されています。10年以上前に初めて訪問した時は、そのことを知らず、まさか相撲の土俵のような場所が目的地とは思ってもみませんでした。おっさんが土俵と勘違いした場所には覆屋があり、そこには消失以前の古墳や出土した三角縁神獣鏡の写真などが掲示されていました。
2002年に加茂町教育委員会によって発行された報告書『神原神社古墳』では、「神原神社古墳の墳丘は少 し歪みのある方形で、辺長は南北27~ 30m、 東西22~ 26m、 高さは周溝底から6.9m前後 と推定される。そして少なくとも西側から南側にかけて溝底幅1.6~ 4.0mの 周溝が巡っていた。」(p.37)と記されています。銅鏡などの出土品は、国の重要文化財に指定されています。
余談ですが、おっさん的には三大有名ビックリ古墳の一つです。あと二つは、装飾壁画の石室の一部だけが民家のような保存施設内にある福岡県うきは市の珍敷塚古墳(2020年1月4日のブログ「追加280-3-1」で掲載)。そして、線路によって後円部の半分程が消失し、くびれ部から前方部にかけて民家が建っている京都府木津川市の椿井大塚山古墳(ランキング55位)です。「残っているだけ、ましじゃん」。
そして、古墳ではありませんが、発掘調査した原田大六さんが、「平原弥生古墳」と称した福岡県糸島市の平原1号墓(2019年1月26日のブログ「1115-2」の①で掲載)も「有名ビックリ墳墓」の有力候補です。直径46.5cmという最大の面径を誇る5面の内行花文鏡を含む40面の銅鏡が出土(他の出土品とともに、2006年に国宝指定)しているにもかかわらず、墳丘規模が14m×12mの方形周溝墓というギャップが強烈な印象として残っています。
石柱。雲南市教委の説明板。

石室。

石室覆屋。
覆屋の掲示写真。
以上2016年3月撮影。
案内板。石柱。説明板。



神原神社。社殿。

石室部分。

石室。
石室覆屋。
以上2010年7月撮影。
2002年に加茂町教育委員会によって発行された報告書『神原神社古墳』では、「神原神社古墳の墳丘は少 し歪みのある方形で、辺長は南北27~ 30m、 東西22~ 26m、 高さは周溝底から6.9m前後 と推定される。そして少なくとも西側から南側にかけて溝底幅1.6~ 4.0mの 周溝が巡っていた。」(p.37)と記されています。銅鏡などの出土品は、国の重要文化財に指定されています。
余談ですが、おっさん的には三大有名ビックリ古墳の一つです。あと二つは、装飾壁画の石室の一部だけが民家のような保存施設内にある福岡県うきは市の珍敷塚古墳(2020年1月4日のブログ「追加280-3-1」で掲載)。そして、線路によって後円部の半分程が消失し、くびれ部から前方部にかけて民家が建っている京都府木津川市の椿井大塚山古墳(ランキング55位)です。「残っているだけ、ましじゃん」。
そして、古墳ではありませんが、発掘調査した原田大六さんが、「平原弥生古墳」と称した福岡県糸島市の平原1号墓(2019年1月26日のブログ「1115-2」の①で掲載)も「有名ビックリ墳墓」の有力候補です。直径46.5cmという最大の面径を誇る5面の内行花文鏡を含む40面の銅鏡が出土(他の出土品とともに、2006年に国宝指定)しているにもかかわらず、墳丘規模が14m×12mの方形周溝墓というギャップが強烈な印象として残っています。
石柱。雲南市教委の説明板。
石室。
石室覆屋。
覆屋の掲示写真。
案内板。石柱。説明板。
神原神社。社殿。
石室部分。
石室。
石室覆屋。
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2021年06月13日
番外 松本2号墳 島根県雲南市 円墳 径15m
駐車場から1号墳・3号墳に向かう途中にある円墳です。説明板も設置されているので、見逃す心配はありません。「松本古墳群」には、6基の古墳が確認されているそうですが、4~6号墳については見逃してしまいました。
余談ですが、2号墳は1号墳と3号墳の間にありそうですが・・・。「きっと、発見された順番だらー」。
島根県教委・三刀屋町教委の説明板。
全景2つ。

墳頂。
遠景。
以上2016年3月撮影。
余談ですが、2号墳は1号墳と3号墳の間にありそうですが・・・。「きっと、発見された順番だらー」。
島根県教委・三刀屋町教委の説明板。
全景2つ。
墳頂。
遠景。
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2021年06月11日
番外 松本3号墳 島根県雲南市 前方後方墳 52m
林の中にあり、やや見つけにくい古墳でした。おまけに、1号墳と比べて墳丘の状態がデコボコしており、古墳の絵としては見栄えが良くなく、前方部の「撥形」も「バッチリ」ではありません。そのためか、この3号墳は史跡指定されていないようです。前言撤回です。確認したら、1号墳と同じ島根県ではなく、雲南市の史跡に指定されていました。
HP.「島根 雲南チャレンジ」の中の「これまでの雲南市(雲南市ブランド化プロジェクト)」の「歴史の幸 雲南最大の古墳群ー松本古墳群」の項目で、「松本3号墳は、発掘調査は行われていませんが、地形測量の結果、古墳の全長が1号古墳を上回る52mもあることがわかりました。この古墳も前方後方墳なのですが、古墳の形が特異で、前方部が三味線の撥(ばち)のように開いているのです。興味深いことに、奈良県にある、最古級の古墳ともいわれる箸墓古墳(全長286m)は同じ撥形の前方後円墳なのです。後方墳と後円墳の違いや大きさの違いはありますが、古墳の設計や規格が同じで、松本3号墳は、近畿地方の前方後円墳をモデルにして築かれたと考えられています。 箸墓古墳といえば、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓という説もあります。邪馬台国畿内説を採るとすれば、松本3号墳の被葬者は、近畿地方あるいは、近畿地方と深いつながりのあった吉備地方と関係があったのかもしれません。前方部が撥形になった古墳は、最も早い段階の古墳といわれており、松本3号墳は1号墳よりも古い前期古墳と考えられています。 これらの古墳や、神原神社古墳などの前期古墳は、いずれも斐伊川中流域に築かれています。この流域に築かれた前期古墳はこればかりではありません。平成3年に木次町里方で発見された斐伊中山古墳群2号墳も前期古墳であることがわかったのです。(後略)」と記されています。
島根県教委・三刀屋町教委の説明板。
後方部中央。右側。左側。


前方部右側。左側。

前方部から後方部。前方部右隅から後方部。前方部左隅から後方部。


後方部墳頂。
全景。右手前が前方部、左奥が後方部。
以上2016年3月撮影。
HP.「島根 雲南チャレンジ」の中の「これまでの雲南市(雲南市ブランド化プロジェクト)」の「歴史の幸 雲南最大の古墳群ー松本古墳群」の項目で、「松本3号墳は、発掘調査は行われていませんが、地形測量の結果、古墳の全長が1号古墳を上回る52mもあることがわかりました。この古墳も前方後方墳なのですが、古墳の形が特異で、前方部が三味線の撥(ばち)のように開いているのです。興味深いことに、奈良県にある、最古級の古墳ともいわれる箸墓古墳(全長286m)は同じ撥形の前方後円墳なのです。後方墳と後円墳の違いや大きさの違いはありますが、古墳の設計や規格が同じで、松本3号墳は、近畿地方の前方後円墳をモデルにして築かれたと考えられています。 箸墓古墳といえば、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓という説もあります。邪馬台国畿内説を採るとすれば、松本3号墳の被葬者は、近畿地方あるいは、近畿地方と深いつながりのあった吉備地方と関係があったのかもしれません。前方部が撥形になった古墳は、最も早い段階の古墳といわれており、松本3号墳は1号墳よりも古い前期古墳と考えられています。 これらの古墳や、神原神社古墳などの前期古墳は、いずれも斐伊川中流域に築かれています。この流域に築かれた前期古墳はこればかりではありません。平成3年に木次町里方で発見された斐伊中山古墳群2号墳も前期古墳であることがわかったのです。(後略)」と記されています。
島根県教委・三刀屋町教委の説明板。
後方部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後方部。前方部右隅から後方部。前方部左隅から後方部。
後方部墳頂。
全景。右手前が前方部、左奥が後方部。
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