2019年02月28日

1194-4 中社古墳のおまけの「志段味古墳群」その3 愛知県名古屋市

  ② 勝手塚古墳 帆立貝形前方後円墳 53m

 石柱。

 名古屋市教委の説明板2つ。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部。(後円部から見る)


 後円部の復元埴輪。


 周堤部分の発掘調査。


 全景。左が前方部、右が後円部。西から。


 全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
            以上2017年12月撮影。


 名古屋市教委の旧説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 全景。手前が前方部、右奥が後円部。
              以上2013年6月撮影。


  ③ 東谷山白鳥古墳(白鳥1号墳) 円墳 径17m

 名古屋市教委の説明板。


 石室入口。石室内部。
              「暗くてよくわからんじゃん」。

 ほぼ全景。
              以上2013年6月撮影。  


Posted by じこま at 11:11Comments(0)

2019年02月28日

1194-3 中社古墳のおまけの「志段味古墳群」その2 愛知県名古屋市

 国指定史跡「志段味古墳群」には、尾張戸神社古墳・中社古墳(ランキング1194位)・南社古墳の3基の古墳・白鳥塚古墳(ランキング231位)のほかに、志段味大塚古墳・勝手塚古墳・東谷山白鳥古墳(白鳥1号墳)の3基が指定されています。

  ① 志段味大塚古墳 帆立貝形前方後円墳 51m

 石柱。名古屋市教委の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部と造り出し。(後円部から見る)


 後円部の埋葬施設。説明板と第一埋葬施設。

 説明板と第二埋葬施設。


 造り出しとその埴輪群。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。南西から。


 全景。右手前が前方部、左奥が後円部。西から。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北西から。
            以上2017年12月撮影。


 説明板2つ。


 後円部右側。左側。

 前方部。


 後円部墳頂。


 後円部端全景。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。
              以上2013年6月撮影。  


Posted by じこま at 10:10Comments(0)

2019年02月28日

1194-2 中社古墳のおまけの「志段味古墳群」その1 愛知県名古屋市

 中社古墳と同一丘陵上にある2基の古墳です。かつては、前方後方墳か前方後円墳と考えられていましたが、発掘調査によって円墳であることが明らかとなりました。2基とも、「志段味古墳群」を構成する古墳として、国の史跡に指定されています。

  ① 尾張戸神社古墳 円墳 径27.5m

 石柱。

 名古屋市教委の説明板2つ。


 ほぼ全景2つ。北東から。北から。


 全景2つ。南から。南西から。
            以上2017年12月撮影。


  ② 南社古墳 円墳 径30m

 石柱。

 名古屋市教委の説明板。


 墳頂。


 復元埴輪列。


 ほぼ全景2つ。後者は南から。
            以上2017年12月撮影。  


Posted by じこま at 09:09Comments(0)

2019年02月28日

1194 中社古墳 愛知県名古屋市 前方後方墳→(前方後円墳) 60m→(64m)

 名古屋市のHP.の「史跡 中社古墳(なかやしろこふん)」の項目で、「概要 ・墳丘 前方後円墳(墳長63.5m) ・葺石 あり(円礫) ・出土遺物 円筒埴輪・朝顔形埴輪・楕円筒埴輪・家形埴輪・楯形埴輪 ・築造時期 4世紀中頃 後円部北側に、東谷山山頂からのびる尾根を切断した掘割がめぐっています。東谷山麓から運んできた円礫を用いた葺石の上には石英が撒かれ、後円部頂部には石英が敷かれていたと推定されます。後円部の北側では、4条の突帯がめぐり、各段に3個ずつ三角形の透孔があけられた円筒埴輪が極めて良好な状態で残存していました。中社古墳の埴輪は、同時期の大王墓が営まれた大和盆地東南部からの影響が色濃く、東海地方では最古段階のものです。」と記されています。かつては、墳長60mの前方後方墳とする見解もありましたが、発掘調査によって墳長と墳形が確定しています。「志段味古墳群」を構成する古墳のひとつとして、2014年に国の史跡に指定されています。
 古墳は東谷山の尾根上に立地し、約100m北の山頂付近に尾張戸神社古墳、約200m南に南社古墳が同一丘陵上に築造されています。また、約600m西に白鳥塚古墳(ランキング231位)があります。
 最初の訪問時、丘陵の北側から車で砂利道を南進しましたが、途中で一般車両は通行止めになっていたので道のカーブ付近に駐車しました。ところが、上から車両が下りてきてあわてて車を移動した際に、キーを車中にインロック(当時は電波によるオートロックは高級車しか付いていませんでした。)して、JAFのお世話になってしまいました。再訪時は、東谷山フルーツパークの駐車場を利用して、南側から北上しました。登山道になっているので迷うことはありませんが、結構坂道がきつくてハードでした。標高200m程度といえども、さすがに東谷山は名古屋で最高峰の場所でした。余談になりますが、この東谷山の古墳群と愛知県犬山市の東之宮古墳(ランキング[610]位)と立地条件が共通していると思いました。前者は庄内川が平地に流れ始める所を望む山頂、後者は木曽川が濃尾平野にむかう扇状地の要を望む山頂に立地しています。  

 石柱。

 名古屋市教委の説明板2つ。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 後円部復元埴輪。後円部葺石列。西から。


 後円部端近景。北西から。


 全景。右手前が前方部、左奥が後円部。南から。
            以上2017年12月撮影。


 木柱。名古屋市教委の旧説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部。
              以上2013年6月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)

2019年02月27日

1193 下野堂(しものどう)二子塚古墳(三田二子塚古墳) 埼玉県本庄市 60m

 「消滅古墳」です。墳丘は削平され、訪問時は建設資材置場でした。現在は、高橋ソース(株)二子塚HACCP工場になっているようです。
 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「下野堂二子塚古墳(三田二子塚古墳}の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:推定60m 後円部:径推定28m 前方部:幅推定29m 長推定34m 特記事項【周濠】楯形?。【その他】二子塚の地名があり前方後円墳とされてきたが、調査もされないまま墳丘は耕作や開発により削平された。」と記されています。また、本庄市教育委員会の『旭・小島古墳群 ー石神境古墳ー』では、「下野堂二子山古墳は旭・小島古墳群中で唯一の前方後円墳である。墳丘はすでに削平を受け、段築・葺石・埋葬施設などの状況は不明であるが、航空写真・地籍図の分析から全長60m前後の規模と推定される。試掘調査では年代を示す資料を得られていないものの、埴輪をもたないことから集成10期後半の築造が考えられている。」(p.8)と述べられています。
 約400m北に、群中で最大の円墳の三杢山古墳(ランキング826位)があります。

 跡地。手前が前方部跡。奥が後円部跡。南西から。
            右端の建物が下野堂653‐7。

 跡地。右が前方部跡、左が後円部跡。北西から。
            以上2016年11月撮影。  


Posted by じこま at 10:10Comments(0)

2019年02月27日

1192-2 波歌山古墳のおまけの「二塚山古墳」 岡山県瀬戸内市 55m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「二塚山古墳(双塚古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:55m 後円部:径34m 高6m 前方部:幅34m 高4m」と記されています。岡山県の史跡に指定されています。

 瀬戸内市教委の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 石室入口。


 遠景。北西から。
            以上2017年1月撮影。  


Posted by じこま at 09:09Comments(0)

2019年02月27日

1192 波歌山古墳 岡山県瀬戸内市 60m

 「消滅古墳」です。築造当時は、瀬戸内海の牛窓湾を臨む独立丘陵頂部に立地していたそうですが、現在は広大な空き地になっています。「波歌山」の読みの「はかやま」は、「墓山」に通ずるという見解もあるようです。
 牛窓湾を取り囲むような形で、牛窓天神山古墳(ランキング410位)・波歌山古墳・鹿歩山古墳(ランキング519位)・二塚山古墳・黒島古墳(ランキング546位)といった5基の大型前方後円墳が築造されています。牛窓湾は、天然の良港で、中世には「風待ち、潮待ち」の港として、近世では朝鮮通信使の停泊地として繁栄していたそうです。
 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「波歌山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段、後円部:2段 墳長:60m 後円部:径29m 高8m 前方部:幅26m 長33m 高8m」と記されています。

 跡地。南から。
            2017年1月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)

2019年02月26日

1191 夢野丸山古墳 兵庫県神戸市 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「夢野丸山古墳(踊り塚古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:後円部:2段 墳長:60m 後円部:径30m 高:7.2m 前方部:長30m 特記事項【その他】川原石を2~3段重ねた列石が存在。南側山丘傾斜面に同様の列石あり。西方尾根に続く部分に堀切存在。墳頂部に削平痕跡あり。」と記されています。
 発見困難古墳の一つで、「消滅古墳」と思われます。3回訪問し絵を撮りましたが、これという決定的な確信が持てていません。当初は、ハイキングコースの丘陵地東端付近の絵を撮っていましたが、今はその東側の行守寺付近と思っています。古墳は、鳥原貯水池の東端を北に臨む丘陵地上にありました。今尾文昭さんは、「その鏡は、六甲山麓の神戸港を望む急峻な丘陵上につくられた古墳時代前期後葉の墳長六〇メートルの前方後円墳(径二五メートルの円墳説もある)、神戸市兵庫区の夢野丸山古墳から出土した銅鏡で、昔は世に知られた鏡でした。 一九二三年(大正一二)五月四日に児童の遊具設置工事に際して発見(後略)」(「忘れてはならない呉鏡 ―神戸市夢野丸山古墳出土鏡の複製品」p.78 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館編『海でつながる倭と中国 ―邪馬台国の周辺世界』所収)と述べています。

 背山散策路の案内板。


 跡地付近か。西から。
            以上2016年10月撮影。


 跡地遠景。
            2014年1月撮影。  


Posted by じこま at 09:09Comments(0)

2019年02月26日

1190 東坂古墳(比奈G1号墳) 静岡県富士市 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「東坂古墳(*静岡県GISでは比奈G‐第1号墳(東坂古墳))」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高3.2m 前方部:幅12m 高1.5m」と記されています。
 「消滅古墳」と思われます。現在は、県立吉原工業高校となっています。また、吉原工業高校の整地に際して発見された大坂上古墳が、高校の北東端に移築されています。古墳は、愛鷹山麓の台地縁辺部に立地していました。
 約2km南東に浅間古墳(ランキング301位)があります。

 跡地付近か。北東から。


 跡地付近か。東から。


 跡地付近か。南東から。
            以上2015年5月撮影。


  おまけ  大坂上古墳 円墳 径16m

 富士市教委の説明板。


 石室入口。


 全景。南から。
            以上2015年5月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)

2019年02月25日

1189 馬場古墳 大分県大分市 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「馬場古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高5m 前方部:幅14m 長27m 高3m」と記されています。
 古墳は、国道197号線と197号線バイパスの合流地点から約500m東の小丘陵上に立地しています。国道から北にむかう、民家と民家の間の細い道を上り、T字路のようなところを草を踏み分けながら東に進むと墳丘らしき高まりが見えてきます。ただし、古墳見学オフシーズンの6月に訪問したため、草が生い茂り墳形の確認は困難でした。余談ですが、国道197号線は通称「愛媛街道」と呼ばれ、豊後水道を渡って愛媛県の佐田岬に通じています。現在、その間を「国道九四フェリー」が運航しており、おっさん的にはスケールの大きなネーミングと感心しました。古墳の被葬者も何らかの形で、海運とかかわった人物と考えられます。
 約1400m東に築山古墳(ランキング159位)、約3.5km西に亀塚古墳(ランキング420位)があります。

 後円部右側。左側。

 前方部。


 後円部墳頂。


 遠景。
            以上2014年6月撮影。  


Posted by じこま at 10:10Comments(0)