2021年09月30日

番外 山形県の古墳③ー1 下小松古墳群K50号墳 川西町 34m

 下小松古墳群で最大規模の前方後円墳です。国の史跡だけあって、麓の駐車場から整備されたハイキングコースのような山道を上っていくと、道中至る所に古墳が見られます。古墳密集地近くの、眺めの良い丘陵上にこの古墳が築造されていました。眼下には・・・が広がっていたはずですが、あまり記憶に残っていません。「だめだらー」。
 山形県川西町による報告書『下小松古墳群(2)』では、「墳形 前方後円墳」「規模 33.8m(南北) 後円部径22m×17.3m 前方部幅14.5m」「特徴 高さ4.4m 陥没あり 周溝あり」(p.92)と記されています。
 「下小松古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。


 案内標識。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂の盗掘抗。


 全景。手前が前方部左隅。
            以上2017年5月撮影。  


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2021年09月28日

番外 山形県の古墳③ 下小松古墳群 川西町

 同じ川西町の前方後方墳である天神森古墳(ランキング688位)訪問のついでに探訪しました。麓に設置された説明板などを参考に、とりあえず小森山支群最大の前方後円墳をめざして山道を歩いていきました。「ついで」という甘い考えでは、とても小森山支群制覇は無理なので・・・。
 川西町のHP.の「国指定史跡 下小松古墳群」の項目で、「下小松古墳群は、米沢盆地西縁の低丘陵に築かれた約200基からなる東北有数の大古墳群です。 北から陣が峰支群・永松寺支群・薬師沢支群・鷹待場支群・小森山支群・尼が沢支群の6つのグループがあり、このうち薬師沢、鷹待場、小森山の3支群179基が国指定史跡になっています。 これらの古墳は、古墳時代前期の4世紀後半から造られはじめ、古墳時代後期の6世紀に最盛期を迎えたと考えられています。大きさ10~34メートルほどの前方後円墳や前方後方墳、円墳、方墳があり、小森山支群には山形県下の約半数となる19基の前方後円墳が造られるなど、当時の東北経営のあり方を示す重要な古墳群となっています。 主な古墳を発掘調査した結果、鉄の刀や剣、鏃(やじり)などの武器類のほか、青銅鏡、ガラス製の玉、農工具、須恵器(すえき)や土師器(はじき)などが出土しました。前方後円墳は、一定の権力を持つ人物の墓とされていることから、これらの被葬者はヤマト王権にかかわりのある人物であったとも考えられます。」と記されています。
 上記のように、下小松古墳群のうち3支群の古墳が、2000年に国の史跡に指定されています。


 川西町の説明板。

 川西町の古墳マップ。

 
 環境省・山形県環境保護課の説明板。


 小森山支群遠景。南南東から。
            以上2017年5月撮影。  


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2021年09月26日

番外 山形県の古墳② 大之越古墳 山形市 円墳 径14~16m

 菅沢古墳2号墳訪問のため県道17号線を走っていたら、偶然古墳らしき高まりを見つけ、思わず立ち寄り絵を撮ったものです。古墳は、道路より少し高い場所にある公園に復元整備されていました。約1.2km東南東に、菅沢古墳2号墳があります。
 山形県教育委員会の『大之越古墳 発掘調査報告書』では、「昭和52年より施行が始まった西山形地区大規模圃場整備事業と県道門伝・白鷹線工事により道路の法面に石棺が露出し発見されたのが調査の始まりであった。 本古墳の外部構造は前述の通り整地され、平担になってはいるが、工事用法面による観察で、2号棺が古墳の中心に埋置されているとすれば、径14~16mの円墳と考えられる。」(p.23)と述べられています。
 古墳は、山形市の史跡に指定されています。


 山形市教委の説明板。


 石室入口。


 全景。北西から。


 全景。南西から。
            以上2017年5月撮影。  


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2021年09月24日

番外 山形県の古墳①ー3 菅沢古墳3号墳 山形市 円墳 径不詳

 3号墳は、2号墳の西約50mに位置しています。2号墳のついでに訪問しようとしましたが、途中の薮が激しく服も軽装だったので、離れた場所から撮っただけです。「これじゃあ、何が何だかわからんじゃん」。
 「菅沢山古墳群」という名称で、山形市の史跡に指定されています。


 3号墳か?藪の中央奥付近。
            2017年5月撮影。  


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2021年09月23日

番外 山形県の古墳①ー2ー1 菅沢古墳1号墳(訂正) 山形市 円墳 径25m前後

 昨日、平家蟹さんのコメントをいただいた古墳です。早速、平家蟹さんのブログ「古墳のお部屋ブログ館」中の「菅沢古墳群」の項目の1号墳の画像を拝見させてもらいました。昨日の1号墳の絵は、平家蟹さんの画像とは全く別のものでした。
 平家蟹さんの画像と比較的よく似ている絵を、次に掲載します。平家蟹さん、ご指摘ありがとうございました。


 1号墳か。西から。
            2017年5月撮影。  


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2021年09月22日

番外 山形県の古墳①ー2 菅沢古墳1号墳 山形市 円墳 径25m前後

 1号墳は、2号墳の北約50mに位置しています。2号墳のついでに、しかも手書きの地図めいた物しか持たずに訪問したので、これが1号墳か自信がありません。他にも、古墳らしき高まりがあり絵を撮りましたが・・・。「もっと、しっかり調べりん」。
 「菅沢山古墳群」という名称で、山形市の史跡に指定されています。


 全景?。南から。


 全景?。南東から。
            以上2017年5月撮影。



    追記

 平家蟹さんのコメントのご指摘を参考にして、1号墳らしい絵を翌日のブログに掲載しました。そのため、ここに掲載した1号墳と思い込んだ絵は誤解でした。自戒の意を込めて、消さずに残しておきます。  


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2021年09月20日

番外 山形県の古墳①ー1 菅沢古墳2号墳 山形市 円墳 径51×53m

 円墳としては、山形県では最大級の古墳です。下記のとおり、どこから見ても二段築成ということがわかる、美しい古墳です。
 山形県教育庁文化財・生涯学習課のHP.「山形の宝」の「菅沢古墳二号墳(すげさわこふんにごうふん)」の項目の「概要(活動状況等)」で、「山形市西南部に位置し、丘陵突端部にあり、3基の円墳からなる。2号墳は直径50m、高さ東側で6.6m、墳頂部は平坦である。二段築成で、周壕がめぐらされている。 昭和60~61年(1985~86年)に、山形市教育委員会によって墳丘部の発掘調査が行われた。墳頂部・墳丘中段および墳麗部に埴輪列がめぐり、円筒・朝顔型のほかに、家型・甲冑型・楯型・靭型・きぬがさ型などの器財埴輪や馬型などの動物埴輪も発見された。このうち、8点が県指定有形文化財(考古資料)に指定されている。 古墳時代中期(5世紀後半)の築造と推定されている。内部主体は未発掘であるが、木棺直葬の可能性が高い。」と記されています。
 ただし、山形市教育委員会による『菅沢古墳二号墳 発掘調査報告書』では、「墳丘規模・・・墳丘の平面形は、下段の底径東西51.0m強、南北53.0m強あり、やや楕円形状を呈する。上段麓径は東西・南北約40mで、墳頂面は東西径23.2m、南北径25.8mある。また、北側の上段の高さは3.5m、下段の高さは1.5mである。」(p.19)と述べています。
 ここでは、「径51×53mの円墳」として考えていきます。2mほどの差で、楕円形墳とするには無理があると考えるからです。
 上記のように、山形県の史跡に指定されています。


 山形県教委・山形市教委の説明板。


 墳頂。


 全景。東から。


 全景。北東から。


 全景。南から。
            以上2017年5月撮影。  


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2021年09月18日

番外 岩手県の古墳① 江釣子(えづりこ)古墳群 北上市

 北上市のHP.の「江釣子古墳群」の項目で、「江釣子古墳群(えづりここふんぐん)  国指定史跡  江釣子古墳群は和賀川北岸に分布する、五条丸・猫谷地・八幡・長沼の各古墳群の総称です。昭和26年に初めて発掘調査が行われ、北東北の古墳群の調査の先駆けとなりました。これらの古墳は7世紀後半から8世紀前半にかけて造られたもので、直径6~15メートルの円墳が約 120基以上あり、勾玉(まがたま)、切子玉(きりこだま)、蕨手刀(わらびてとう)、直刀、馬具などが数多く出土しています。」と記されています。
 おっさんは、最北の地にある前方後円墳として著名な、角塚古墳(ランキング1292-1位)のついでに訪問しました。東北自動車道の「北上江釣子」IC.で下車し、和賀川沿いの公園に駐車しましたが、目的の古墳群をなかなか発見できず、結局日没近くに訪問した五条丸支群の一部しか絵がありません。ただ、「江釣子史跡センター」(現在は、埋蔵文化財収蔵庫になっているようです)の敷地内に、移築ではなく当時の古墳を模した「モデル古墳」がありましたので、思わず絵を撮ってしまいました。
 余談ですが、7世紀から10世紀にかけて東北地方北部から北海道にかけて築造された、円形で直径約5~10m規模の墳墓を「末期古墳」と呼ぶ研究者がいますが、おっさんは反対です。理由は、7世紀の飛鳥時代に築造された「終末期古墳」と区別がつきにくいためです。例えば、おみくじの「中吉」と「吉」では、どっちが運勢が良いか素人では判断に困るようなものです。
 さらに言えば、おっさん的には、前方後円墳や前方後方墳など大型の墳丘墓が築造されていた時代のみを古墳時代と定義して、人口に膾炙した飛鳥時代の「終末期古墳」という用語から「古墳」という単語を外し、「飛鳥時代の墳丘墓、あるいは古墓」と命名すべしという過激な意見です。したがって、「高松塚古墳」や「石舞台古墳」は、「高松塚墳丘墓(古墓)」・「石舞台墳丘墓(古墓)」となり、「末期古墳」も「奈良時代の墳丘墓(古墓)」・「平安時代の墳丘墓(古墓)」となります。
 そして、最近の研究で、250年前後に築造されたといわれる箸墓古墳 を古墳時代前期初頭、それ以前の3世紀前半に築造されたと考えられている「纏向型前方後円墳」などを「古墳時代早期」として設定し、主として前方後円墳が築造されていた6世紀末から7世紀初頭までを古墳時代と考えるものです。そのため、「弥生時代の古墳」や「飛鳥時代の古墳」という表現はなくなり、「古墳時代の古墳」という用語のみ生き残るわけです。
 「おっさんの意見に賛成の方、足の指上げて・・・賛成が無いので、却下されました」。

 『日本の歴史が、石器・土器・墳墓・政権所在地・元号と異なった「モノサシ」で時代区分しているので、首尾一貫せず「ズレ」が生じて当然だらー』。
 『政権所在地という「モノサシ」を使うなら、「江戸時代」の次は「東京時代」、そして「ワシントン時代」かな?』。 『GHQは、東京の第一生命舘に設置されたので、「東京時代」でいいんじゃない?』。 『でも、マッカーサーを任命したのは・・・』。


 説明板。北上市教委の説明板。


 五条丸8号墳。

 
 五条丸10号墳。


 「モデル古墳」全景。石室。
        2017年5月撮影。  


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2021年09月16日

 これからのブログについて

 今まで墳丘長60m以上の古墳を「大型古墳」と定義し、現在は何故か見られなくなってしまったHP.『古墳探訪』に掲載された順位を参考(下記凡例参照)に、ランキング形式でブログを始めました。その後、墳丘長60m(実際は57m)未満の古墳を「おまけ」や「番外」として取り上げ、最近では、前方後円墳に比べてマイナーな前方後方墳を中心に度々脱線しながら掲載を進めてきました。
 ところが、とうとう手持ちの前方後方墳ネタも尽きてしまいました。コロナ第五波の影響で、新しく古墳探訪することも困難な現状があります。
 そのため、『大型古墳集成』という看板とは矛盾しますが、「番外」というパンドラの箱を開けてしまったので、今まで訪問した古墳の中から未掲載のものを、都道府県単位で取り上げていきたいと思います。重複する可能性も「無きにしも非ず」ですが・・・。
 ただし、今後未訪問や新発見の「大型古墳」などを訪問した際は、随時ランキングして掲載していきたいと思います。また、再発掘などで過去に掲載した古墳の墳丘規模の変更や新しい史跡指定、誤記・誤解などを「追記」として書いていきたいと思いますが、この作業は気力・体力が必要なので、遅々として進まない可能性大です。

 
 凡例  このブログのランキングの順位は、ホームページ『古墳探訪』(http://www.jpn-hayashi.com/ )(おっさん註 現在は別のホームページになっています。)の「古墳」(2013/11/06更新)中の「墳丘規模」にある「墳丘順位」を参考に作成しました。全長が等しい場合でも、作成の都合上「墳丘順位」の掲載順に順位を定めました。他の文献などで、全長が異なる場合は( )で示しました。(2018年1月26日のブログ「00 誤って消去してしまいました 凡例と大山古墳 大阪府堺市」より)
  


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2021年09月14日

番外 陣座ケ谷古墳2号墳(仮称) 静岡県浜松市 円墳 径12m

 前回紹介した、前方後円墳である陣座ヶ谷古墳の前方部端約10m西側に位置しています。ちょうど、説明板が設置されている奥にありますが、「陣座ヶ谷古墳 2基 古墳時代中期(約1500年前)の前方後円墳とその西側に円墳があります。」という記述がなければ見逃してしまう可能性大です。
 おっさんは、主墳の陣座ヶ谷古墳と区別するために、この円墳のタイトルを「陣座ヶ谷古墳2号墳(仮称)」としました。「勝手に名称変更して、どいかん」。  
 静岡県公式ホームページ「ふじのくに」の「陣座ケ谷古墳(じんざがやこふん)」の項目に、「主墳の前方に基底径12.0m、高さ0.6mの円墳あり」と記されています。
 上記のように、「陣座ヶ谷古墳」という名称で、静岡県の史跡に指定されています。
 余談ですが、訪問時周囲の丘陵地には果樹園が広がっていましたが、現在南側には太陽光パネルが設置されているようです。
 

 全景。南東から。


 全景。南から。
            以上2016年2月撮影。

 近景。


 全景。
              以上2011年11月撮影。  


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