2018年07月31日

[701-3] 双子塚古墳 栃木県宇都宮市 73m

 HP.「埼群古墳館」の「宇都宮市双子塚古墳」の項目で「双子塚古墳 前方後円墳 墳長73m 東谷町 低段丘」と記されています。また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「双子塚古墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円 後円部:径18m 高4m  特記事項【その他】1891年に学校建設のため前方部削平。」と記されています。
 上記のように、後円部のみ現存しています。後円部墳頂に祠が2つ祀られています。後円部の北側に学校がありますが、南側は跡地として絵になる部分があり、前方部は東にあったという資料もあり、訳が分からなくなってしまいました。約300m南に、東谷笹塚古墳(ランキング299位)があります。

 後円部右側。左側。

 
 後円部墳頂。


 後円部残存部全景。南から。
            以上2017年3月撮影。  


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2018年07月31日

[701-2] 上長塚古墳(本庄古墳群37号墳) 宮崎市国富町 73m

 国富町の『史跡 本庄古墳群保存管理計画書』の中で、この37号墳の「昭和55年保存調査」として、「指定当時に変わらず、東、後円部と西、前方部の高さほぼ同じ高さの前方後円墳である。長径約73m。北側は旧道に面する商店街で四周人家が囲んでいる。」(p.102)と述べています。
 前にも書きましたが、古墳群の中に街があるような国指定史跡「本庄古墳群」です。群中、墳丘70m以上の前方後円墳が5基ありますが、そのひとつです。ただし、多くの古墳がその一部を削平・改変されています。この37号墳もその例外ではなく、周りを住宅地に囲まれて墳裾は削られ、後円部墳頂には石碑が建てられ平らに削られています。しかし、墳丘の大きさは十分に実感できます。

 石柱。標柱。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部、西から。

            以上2017年11月撮影。

 前方部端全景。西から。


 前方部右隅から後円部。
              以上2012年2月撮影。  


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2018年07月30日

[701-1] 平塚2号墳 奈良県奈良市 73m

 今尾文昭さんは、「さらに南にある(おっさん註 平塚1号墳の南)平塚二号墳は、後続する中期中葉以降に築かれた。西向きの前方後円墳で削平された状態でみつかった。墳長七三メートル、後円部は東三坊大路に重複する。」(『ヤマト政権の一大勢力 佐紀古墳群』p.78)と述べています。また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「平塚2号墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円 墳長:推定70~m 前方部:幅復元42.5m 長21以上m 特記事項 盾形の周濠あり。平城京造営時に破壊。前方部の葺石の一部は園地の州浜として利用された。」と記されています。
 上記のように平城京造営時に破壊され、国道24号線建設にともなう事前調査で発見された埋没古墳です。この古墳と同様に、平城京建設にともなって破壊された古墳として、神明野古墳(ランキング[174]位)があります。古墳は、佐紀古墳群の東(支)群の南小支郡に属し、約200m北にウワナベ古墳(ランキング13位)の前方部周濠南東隅があります。

 後円部跡付近。東から。


 前方部跡付近。西から。
          奈良市法華町1418付近から国道24号線を見る。  以上2015年12月撮影。  


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2018年07月30日

701 亀塚古墳 熊本県山鹿市 73m

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「亀塚古墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円 墳長:73m 後円部:径28m 高4m 前方部:幅14.6m 長45m 高13m 特記事項 【造出】なし。【その他】大正初期の『大道村郷土史』の略図によると瓢形をなす前方後円墳で、後円部の高さ3.5間、後円部の高さ6尺、後円の周囲は60間とある。前方部の現位置については若干疑問点が残る。」と記されています。また、ブログ「古墳:探訪」の「熊本県山鹿市・亀塚古墳」の項目で、「前方部は東側にあったようです。前方部と見られていた部分は、記念碑を造るための取り付け道だったことが判明しています。」と記されています。            
 上記のように、前方部の位置は不明な点がありますが、後者のブログの内容を前提に書いていきます。一応、前者の前方部を北東に向ける見解を旧説として、その絵も2つ掲載します。後円部には、「殉国之碑」が建てられ、かなり削平されています。前方部は、林となっておりよくわかりませんでした。古墳は、山鹿市の史跡に指定されています。
 余談ですが、古墳の約200m北に「方保田東原遺跡」があります。この遺跡は、弥生時代後期から古墳時代前期の大集落遺跡です。ひょっとしたら、古墳の被葬者とこの遺跡は何らかの関係があるのかもしれません。

 標柱。表と裏。



 後円部右側。左側。


 後円部墳頂。


 前方部右隅跡から後円部。


 全景。手前が後円部、奥の林が前方部跡。北西から。


 旧説の前方部(実際は違う?)から後円部。北東から。


 右奥が後円部、左手前が旧説の前方部(実際は違う?)。北から。
            以上2015年11月撮影。  


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2018年07月30日

700 北条塚古墳 千葉県多古町 73(70)m

 多古町のHP.の「松崎神社と北条塚古墳」の項目で、「松崎神社の裏、東西に横たわる前方後円墳が北条塚古墳です。栗山川流域の台地には数多くの古墳が点在していますが、その中でも柏熊古墳と並ぶ大型の代表的な古墳です。主軸の長さは約70メートル、前方部の幅45メートル、高さ5.5メートル、後円部の直径約37メートル、高さ6.5メートルで、約1300年前の古墳時代後期(6~7世紀)の築造年代と推定されています。」と記されています。千葉県の史跡に指定されています。
 前方部の西南隅の一部が道路で改変されていますが、墳丘は全体的によく残っており、北側からの絵は美しいシルエットを見せてくれます。前方部の墳頂には、祠が祀られています。約2km北西に、柏熊古墳(しゃくし塚古墳)(ランキング537位)があります。

 説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 前方部左隅から後円部。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
            以上2016年11月撮影。


 多古町教委の説明文。


 前方部墳頂の祠。
              以上2012年3月撮影。  


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2018年07月29日

補遺(百舌鳥古墳群の消滅古墳) [622] 城ノ山古墳 大阪府堺市 77m

 久世仁士さんは、「城ノ山古墳はニサンザイ古墳と御廟山古墳の中間にありました。土砂採取によって破壊されましたが、一九五〇年、森浩一氏らによって墳丘測量と埋葬施設の発掘が行われています。(中略)墳丘長七七メートル、後円部直径五三メートル、前方部幅六〇メートル(推定)の前方後円墳で後円部に長さ六.七メートル、幅一.五メートルの細長い竪穴式石槨を持ちます。(中略)古墳のあった場所は現在、堺市営百舌鳥住宅となっています。」(『百舌鳥古墳群をあるく』p.129)と述べています。
 古墳の跡地は周囲より小高い場所にあり、北方に百舌鳥御廟山古墳(ランキング49位)を見ることができます。定ノ山古墳(ランキング672位)の項目でも書きましたが、堺市の「城の山公園」とは異なる場所にあった城ノ山古墳です。「ややこしいだらー」。

 前方部左隅跡から後円部跡。西から。


 後円部跡から前方部跡。東から。


 跡地全景。南から。
            北区百舌鳥西之町1丁。              以上2017年9月撮影。  


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2018年07月29日

補遺(百舌鳥古墳群の消滅古墳) [433-4] ド古墳 大阪府堺市 90m前後

 久世仁士さんは、「上野芝駅の北側に隣接して北面の小型の前方後円墳があり、阪和線敷設の際に縦断され、残った部分もその後に消滅したと、末永雅雄氏が「古墳の周庭帯と陪塚」(「書陵部紀要」一三号)に書かれています。この古墳は「堺市文化財地図」にも載っていませんが、堺市文化財課では、「百舌鳥耳原三御陵」絵図(高林家所蔵)にある「ド塚」で、墳丘長が九〇メートル前後の前方部を西に向けた前方後円墳と推定しています(中略)。堺市の最近の調査で、駅の自転車置き場から古墳の堀の跡らしきものが見つかりました(上野芝駅前遺跡)。これがド塚古墳の跡であるかどうかは不明で、別の古墳であったかもわかりません。」(『百舌鳥古墳群をあるく』p.83)と述べています。 
 この古墳は、石津ミサンザイ古墳(ランキング3位)の前方部南東隅の周濠に近接していたと考えられます。また、約300m西に、消滅古墳の百舌鳥大塚山古墳(ランキング[58]位)があります。「どすごいブログ」に「ド古墳」なんて「どすごい」。

 後円部跡付近。西から。
            西区上野芝町3丁5付近。中央のガードレール奥が、JR阪和線。

 前方部跡から後円部跡付近。西から。
            西区上野芝町1丁25付近。            以上2017年9月撮影。     


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2018年07月29日

補遺(百舌鳥古墳群の消滅古墳) [229-2] 長山古墳 大阪府堺市 推110m

 消滅古墳です。跡地は、堺市の市営協和町団地となっています。
 久世仁士さんは、「長山古墳は江戸時代の水田開発や昭和初期の区画整理事業により墳丘の大部分がなくなっていますが、江戸時代の絵図などから墳丘長一一〇メートルの前方後円墳でまわりに堀を持っていたことが推定されていました。(中略)二〇一三年に市営住宅の建て替え工事に伴い、長山古墳の発掘調査が行われ、その一端が明らかになりました。北東側で後円部の墳丘裾をうかがわせる葺石の一部が、東側では墳丘の輪郭に沿って並べられたと見られる基底石と葺石が出土し、堀の痕跡も見つかりました。」(『百舌鳥古墳群をあるく』p.94)
と述べられています。

 跡地付近。


 跡地付近。
            以上2013年12月撮影。  


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2018年07月29日

補遺 [106] 大須二子山古墳 愛知県名古屋市 138(75)m

 消滅古墳です。跡地は、現在名古屋スポーツセンターになっており、あの浅田真央さんや村上佳菜子さんが腕を磨いたスケートリンクがこの場所です。
 服部哲也さんは、「本墳は前方部を南に向ける前方後円墳である。山田吉昭は全長約50m、後円部直径約30mの規模を、また田中稔は全長約75m、後円部直径約40mの復原値(田中調査当時の残存長は67m、高さ8mとしている)を示した。田中の数値は実際の墳丘断面を観察してのものであったため説得力があるものとされ、以後田中の数値が墳丘推定規模として引用され続けることとなった。その後、犬塚康博は地籍図などをもとに再検討を試み、全長138m、後円部径72m・高さ10m、前方部幅100mの先の数値とは大きく異なる推定規模を発表した。ただし、犬塚も『机上操作による一案』であり、特に前方部の規模については『復原推定の最大値』であることを述べている。そのため、この数値をもって規模を確定することはできない。」(「113 大須二子山古墳」『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』所収p.362)と述べています。
 また、大須二子山古墳の北東約300mに那古野山古墳があります。服部さんは、「調査の結果、現在の墳丘盛土の大半は中世以降の積み直し土であることが確認され、現況は20m弱の円墳状を呈しているが、その形状・規模ともに疑問と言わざるを得ない。」「本墳は『モト瓢形ナリシ』という伝聞が残るため、前方後円形の墳形が推定されている。現状では確認することができないが、南約50mに位置している浅間神社古墳(内容不明)を前方部として、50~70mクラスの前方後円墳に復原する考え方もある。」(「112 那古野山古墳」前掲書p.360)と述べています。

 跡地付近。北から。
            中区門前町1-60付近。

 跡地付近。南から。


 跡地付近。東から。
            以上2014年4月撮影。 


   おまけ  那古野山古墳  (50~70mの前方後円墳か?)

 説明板2つ。「富士浅間神社」。「浪越公園跡」。

 那古野山古墳物語。


 残存部3つ。北西から。北から。北東から。
            以上2014年4月撮影。  


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2018年07月28日

699 東銚子塚古墳(本庄古墳群15号墳) 宮崎県国富町 73m

 前にも書きましたが、街の中に古墳があるというより、古墳の中に街があるといっても過言ではない国指定史跡「本庄古墳群」です。この東銚子塚古墳は、群中で墳長70mを越える5基の前方後円墳のひとつです。墳丘は、住宅地や畑地となって改変されており、特に前方部の削平は著しいです。ただし、比較的後円部の残りはよく、墳頂には祠が祀られています。
 約100m北西に西銚子塚古墳(18号墳)(ランキング575位)、約50m南に観音山塚古墳(13号墳)(ランキング656位)があります。

 石柱。


 後円部墳頂。東から。


 後円部墳頂。西から。


 前方部左隅から後円部。


 ほぼ全景。右が前方部、左が後円部。北西から。
            以上2017年11月撮影。


 標柱。石柱。


 後円部右側。左側。

 前方部。


 全景。右が前方部、左が後円部。
              以上2012年2月撮影。  


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