2021年10月30日
番外 宮城県の古墳② 大黒森古墳 加美町 円墳 径38m
古墳は、前項の大塚森古墳の約200m南西に位置しています。
辻秀人さんは、「大黒森古填は直径約38m, 高さ約5mの大形円墳で, 採集された土師器の特徴は大塚森古墳よりも築造時期がやや古い可能性があることを示している。 大塚森古墳に連なる地域の首長墓と見られる。」( 「大塚森(夷森)古墳の発掘調査成果」p.32『東北学院大学論集.歴史学・地理学 32号』所収)と述べています。
大塚森古墳が、前期古墳の中で最北の地に築かれた古墳であるならば、この古墳は前期古墳で2番目に北にある可能性があります。やはり、一番でなきゃだめなんでしょうか?静岡県の登呂遺跡に対する愛知県の瓜郷遺跡のように・・・。
標柱。
近景。南から。
墳頂。
全景。南東から。
以上2017年5月撮影。
辻秀人さんは、「大黒森古填は直径約38m, 高さ約5mの大形円墳で, 採集された土師器の特徴は大塚森古墳よりも築造時期がやや古い可能性があることを示している。 大塚森古墳に連なる地域の首長墓と見られる。」( 「大塚森(夷森)古墳の発掘調査成果」p.32『東北学院大学論集.歴史学・地理学 32号』所収)と述べています。
大塚森古墳が、前期古墳の中で最北の地に築かれた古墳であるならば、この古墳は前期古墳で2番目に北にある可能性があります。やはり、一番でなきゃだめなんでしょうか?静岡県の登呂遺跡に対する愛知県の瓜郷遺跡のように・・・。
標柱。
近景。南から。
墳頂。
全景。南東から。
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2021年10月28日
番外 宮城県の古墳① 大塚南(夷森)古墳 加美町 円墳 径50~52m
訪問時は知りませんでしたが下記のHP.によると、この古墳は前期に限定すれば、日本列島最北に位置する古墳だそうです。
東北学院大学のHP.の「大塚森古墳の調査研究(宮城県加美町) (古墳時代)」の項目の「大塚森古墳の規模と構造」で、「測量調査、および発掘調査の結果、大塚森古墳は直径50~52m、高さ7.6~8m、二段のテラス(平坦面)と最大幅21mの周濠をもつ、東北地方でも最大級の円墳であることが明らかとなった。」と記されています。
辻秀人さんは、「測量の結果, 大塚森古墳は直径46.7m,高さ7.8m, 墳頂平坦面直径18m前後を測る円墳であることが判明した。墳丘西側の裾部がやや削られており, 墳丘南束部分に部分的な攪乱があるが, 概して保存状態は良好であった 」(「大塚森(夷森)古墳の発掘調査成果」p.34『東北学院大学論集.歴史学・地理学』所収)と述べています。
後者が中間発表的論文で、前者が最終結論と思われるので、墳丘規模としては、前者を採用しました。ただし、下記の説明板の規模は、後者と同じ数値となっています。
古墳は、「夷森古墳(大塚森古墳)」という名称で、加美町の史跡に指定されています。
加美町教委・宮城県文化財保護協会の説明板。
標柱。表。裏。

全景。東から。
全景。南から。
全景。北から。
以上2017年5月撮影。
東北学院大学のHP.の「大塚森古墳の調査研究(宮城県加美町) (古墳時代)」の項目の「大塚森古墳の規模と構造」で、「測量調査、および発掘調査の結果、大塚森古墳は直径50~52m、高さ7.6~8m、二段のテラス(平坦面)と最大幅21mの周濠をもつ、東北地方でも最大級の円墳であることが明らかとなった。」と記されています。
辻秀人さんは、「測量の結果, 大塚森古墳は直径46.7m,高さ7.8m, 墳頂平坦面直径18m前後を測る円墳であることが判明した。墳丘西側の裾部がやや削られており, 墳丘南束部分に部分的な攪乱があるが, 概して保存状態は良好であった 」(「大塚森(夷森)古墳の発掘調査成果」p.34『東北学院大学論集.歴史学・地理学』所収)と述べています。
後者が中間発表的論文で、前者が最終結論と思われるので、墳丘規模としては、前者を採用しました。ただし、下記の説明板の規模は、後者と同じ数値となっています。
古墳は、「夷森古墳(大塚森古墳)」という名称で、加美町の史跡に指定されています。
加美町教委・宮城県文化財保護協会の説明板。
標柱。表。裏。
全景。東から。
全景。南から。
全景。北から。
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2021年10月26日
番外 山形県の古墳⑥ー3 戸塚山古墳群137号墳 米沢市 円墳 全長24m
138号墳の東側に隣接している古墳です。古墳群中で最大の139号墳に夢中となっていたため、この古墳から女性の人骨が発見されていたことは記憶にありませんでした。
米沢市のHP.の「戸塚山古墳(とづかやまこふん)」の項目で、「今月は、昭和57年の発掘調査で古代女性の骨が発見され、「置賜の卑弥呼」と注目を浴びた、米沢市大字浅川の戸塚山古墳群を紹介します。(中略) この古墳(おっさん註 139号墳)の東側に、ホタテ貝の形をした帆立貝式古墳が2基(137・138号墳)あり、137墳が発掘され話題を呼んだ古墳です。長さ24メートル、後円径21メートルの大きさで、中央を2.6メートル掘り下げた所に石を組み合わせて作った箱形の石棺がありました。石棺の大きな蓋石を持ち上げると、その中には人の骨一人分がほぼ完全な形で横たわり、まわりから縦に長い櫛くしが3個、握りの部分を鹿の角で作った鉄製の刀子(とうす)が発見されました。古墳から人骨が発掘されたのは珍しいことです。 人骨は独協医科大学の解剖学かいぼうがくの先生達によって調べられ、骨盤(こつばん)などから見て明らかに女性で、身長145センチほど、年齢は壮年中後期(40歳から50歳)と推定されました。また、全体的に骨が細くきゃしゃな体つき、22本残っていた歯のうち7本が虫歯であることが特色として示されました。甘い物が食べられ、重労働をしないで育った、身分の高い女性と想像されます。 なお、古墳の作られた時代は、約1500年前の5世紀の終り頃と考えられています。 発掘された137墳は調査後ただちに埋め戻され、1500年の眠りを覚ました置賜の女王だけは、旧万世小学校を利用している埋蔵文化財資料室に静かに横たわっています。(後略)」と記されています。
前項の138号墳でも書きましたが、おっさんは、この古墳も「帆立貝形前方後円墳」ではなく、「造出付き円墳」としました。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳のひとつとして、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
造出から円丘部。
墳頂の盗掘抗。
ほぼ全景(横から)。右が造出、左が円丘部。
以上2017年5月撮影。
米沢市のHP.の「戸塚山古墳(とづかやまこふん)」の項目で、「今月は、昭和57年の発掘調査で古代女性の骨が発見され、「置賜の卑弥呼」と注目を浴びた、米沢市大字浅川の戸塚山古墳群を紹介します。(中略) この古墳(おっさん註 139号墳)の東側に、ホタテ貝の形をした帆立貝式古墳が2基(137・138号墳)あり、137墳が発掘され話題を呼んだ古墳です。長さ24メートル、後円径21メートルの大きさで、中央を2.6メートル掘り下げた所に石を組み合わせて作った箱形の石棺がありました。石棺の大きな蓋石を持ち上げると、その中には人の骨一人分がほぼ完全な形で横たわり、まわりから縦に長い櫛くしが3個、握りの部分を鹿の角で作った鉄製の刀子(とうす)が発見されました。古墳から人骨が発掘されたのは珍しいことです。 人骨は独協医科大学の解剖学かいぼうがくの先生達によって調べられ、骨盤(こつばん)などから見て明らかに女性で、身長145センチほど、年齢は壮年中後期(40歳から50歳)と推定されました。また、全体的に骨が細くきゃしゃな体つき、22本残っていた歯のうち7本が虫歯であることが特色として示されました。甘い物が食べられ、重労働をしないで育った、身分の高い女性と想像されます。 なお、古墳の作られた時代は、約1500年前の5世紀の終り頃と考えられています。 発掘された137墳は調査後ただちに埋め戻され、1500年の眠りを覚ました置賜の女王だけは、旧万世小学校を利用している埋蔵文化財資料室に静かに横たわっています。(後略)」と記されています。
前項の138号墳でも書きましたが、おっさんは、この古墳も「帆立貝形前方後円墳」ではなく、「造出付き円墳」としました。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳のひとつとして、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
造出から円丘部。
墳頂の盗掘抗。
ほぼ全景(横から)。右が造出、左が円丘部。
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2021年10月24日
番外 山形県の古墳⑥ー2 戸塚山古墳群138号墳 米沢市 円墳 全長15m
主墳である139号墳の約10m東に位置する古墳です。
米沢市教育委員会の『戸塚山第137号墳発掘調査報告書』では、「138号墳(略) 139号墳から9m程離れた所に位置する。ほぼ中央部が3.5×2m深さ90㎝の楕円状に凹んでいるものの全体的な形状は失われていない。当初円墳と思われていたが、測量した結果139号墳と同様に東方向にわずかな前方部をもつ帆立貝形古墳であることが判り全長15m、後円径13.5mをなし、前方長1.5m、前方幅6mを計る。主軸方向はN-47°-Eである。」(p.9)と記されています。
余談ですが、古墳研究のバイブル的存在の『前方後円墳集成』では、「〈墳丘〉 帆立貝形前方後円墳(前方部長が後円部径の4分の1以上で2分の1未満のものを目安とする。前方部長が同じく4分の1未満の場合は、造出付き円墳として扱い、対象外とする)」と定義しています。そのため、この138号墳は、「造出付き円墳」として書いていきます。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳のひとつとして、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
造出から円丘部。
墳頂の盗掘抗。
ほぼ全景。右手前が円丘部、左奥が造出。
以上2017年5月撮影。
米沢市教育委員会の『戸塚山第137号墳発掘調査報告書』では、「138号墳(略) 139号墳から9m程離れた所に位置する。ほぼ中央部が3.5×2m深さ90㎝の楕円状に凹んでいるものの全体的な形状は失われていない。当初円墳と思われていたが、測量した結果139号墳と同様に東方向にわずかな前方部をもつ帆立貝形古墳であることが判り全長15m、後円径13.5mをなし、前方長1.5m、前方幅6mを計る。主軸方向はN-47°-Eである。」(p.9)と記されています。
余談ですが、古墳研究のバイブル的存在の『前方後円墳集成』では、「〈墳丘〉 帆立貝形前方後円墳(前方部長が後円部径の4分の1以上で2分の1未満のものを目安とする。前方部長が同じく4分の1未満の場合は、造出付き円墳として扱い、対象外とする)」と定義しています。そのため、この138号墳は、「造出付き円墳」として書いていきます。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳のひとつとして、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
造出から円丘部。
墳頂の盗掘抗。
ほぼ全景。右手前が円丘部、左奥が造出。
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2021年10月22日
番外 山形県の古墳⑥ー1 戸塚山古墳群139号墳 米沢市 54m
戸塚山の麓にある「戸塚山こども園」付近から頂上をめざしました。最初は、なだらかな上り道でしたが、途中から勾配が急になり、ヘロヘロになりながら何とか古墳にたどり着きました。古墳は、米沢平野を一望できる戸塚山の頂上に立地しており、実測よりも規模が大きく感じられ、疲れも吹っ飛ぶ気分でした。きちんとした説明板も立てられており、充実した古墳探訪となりました。
米沢市のHP.の「戸塚山古墳(とづかやまこふん)」の項目で、「戸塚山は米沢市の北東にある、標高356メートル、周囲約6キロの独立した丘陵です。この山の頂上や山麓に約200基の古墳(土を盛り上げて作った古い時代の墓)が点在し、置賜の古代の歴史を知る上でたいへん貴重な遺跡として、昭和61年に市の史跡に指定されました。 この内もっとも大きな古墳は山頂の139号墳です。長さ54メートル、高さ4.5メートルと大きなもので、上から見ると台形と円形を組み合わせた形の前方後円墳です。」と記されています。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「戸塚山139号墳」の項目でも、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段、後円部:2段 墳長:54m 後円部:径36m 高4.8m 前方部:幅27m 長20.8m 高4.2m」と記されています。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳として、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


後円部墳頂の盗掘抗。
以上2017年5月撮影。
米沢市のHP.の「戸塚山古墳(とづかやまこふん)」の項目で、「戸塚山は米沢市の北東にある、標高356メートル、周囲約6キロの独立した丘陵です。この山の頂上や山麓に約200基の古墳(土を盛り上げて作った古い時代の墓)が点在し、置賜の古代の歴史を知る上でたいへん貴重な遺跡として、昭和61年に市の史跡に指定されました。 この内もっとも大きな古墳は山頂の139号墳です。長さ54メートル、高さ4.5メートルと大きなもので、上から見ると台形と円形を組み合わせた形の前方後円墳です。」と記されています。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「戸塚山139号墳」の項目でも、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段、後円部:2段 墳長:54m 後円部:径36m 高4.8m 前方部:幅27m 長20.8m 高4.2m」と記されています。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳として、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部墳頂の盗掘抗。
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2021年10月20日
番外 山形県の古墳⑤ー3 土矢倉古墳群3号墳 上山市 円墳 径15m
古墳群中で、最も西側の丘陵端部に位置している古墳です。
墳丘規模などについては、「番外 山形県の古墳⑤ 上矢倉古墳群」で紹介しましたので、ここでは割愛します。
「上矢倉古墳群」を構成する古墳のひとつとして、山形県の史跡に指定されています。
全景。東から。
全景。南から。
以上2017年5月撮影。
墳丘規模などについては、「番外 山形県の古墳⑤ 上矢倉古墳群」で紹介しましたので、ここでは割愛します。
「上矢倉古墳群」を構成する古墳のひとつとして、山形県の史跡に指定されています。
全景。東から。
全景。南から。
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2021年10月18日
番外 山形県の古墳⑤ー2 土矢倉古墳群2号墳 上山市 17m
訪問時、説明板をよく見ずに、円墳と思い込んで絵を撮っていました。そのため、前方後円墳らしくない絵となってしまいました。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「土矢倉2号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:1段?、後円部:1段? 墳長:17m 後円部:径10.7m 高4? 前方部:幅13.5? 長7.3m 高3.5? 特記事項【周濠】楯形(全周・幅3~4m)。【周堤】あり。【その他】調査時にすでに墳丘の大半は原型をとどめないほど破壊が著しい。残っている墳丘と周濠をもとに現在復元保存。円墳の土矢倉1号、3号墳ととも県史跡(土矢倉古墳群)」と記されています。
前方部跡から後円部か。東から。
後円部端か。西から。
以上2017年5月撮影。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「土矢倉2号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:1段?、後円部:1段? 墳長:17m 後円部:径10.7m 高4? 前方部:幅13.5? 長7.3m 高3.5? 特記事項【周濠】楯形(全周・幅3~4m)。【周堤】あり。【その他】調査時にすでに墳丘の大半は原型をとどめないほど破壊が著しい。残っている墳丘と周濠をもとに現在復元保存。円墳の土矢倉1号、3号墳ととも県史跡(土矢倉古墳群)」と記されています。
前方部跡から後円部か。東から。
後円部端か。西から。
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2021年10月16日
番外 山形県の古墳⑤ー1 土矢倉古墳群1号墳 上山市 円墳 径13m
古墳は、「蔵王長寿園」の北側の裏庭に、整備・保存されています。
墳丘規模などについては、前回の「番外 山形県の古墳⑤」で紹介しましたので、ここでは割愛します。
「上矢倉古墳群」を構成する古墳のひとつとして、山形県の史跡に指定されています。
石室入口。
全景。北東から。
全景。北から。
全景。南から。
以上2017年5月撮影。
墳丘規模などについては、前回の「番外 山形県の古墳⑤」で紹介しましたので、ここでは割愛します。
「上矢倉古墳群」を構成する古墳のひとつとして、山形県の史跡に指定されています。
石室入口。
全景。北東から。
全景。北から。
全景。南から。
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2021年10月14日
番外 山形県の古墳⑤ 土矢倉古墳群 上山市
下記のとおり、「蔵王長寿園」の敷地内に位置している古墳群です。園の関係者に許可をいただいて、見学させてもらいました。
山形県教育庁文化財・生涯学習課の「山形の宝」の「土矢倉古墳群(つちやぐらこふんぐん)」の項目の「概要(活動状況等)」では、「上山市街より蔵王へ向うエコーライン南側の老人ホーム長寿園敷地内にある。蔵王泥流層によって形成された台地上に東から西へ3基並んでいる。最も東に位置する1号墳は、径13m、高さ2.5mの円墳で周溝がめぐっている。内部主体は柱状節理による石英粗面岩を立て並べて側壁をつくり、4枚の平石をかぶせて蓋とした箱式石棺である。 2号墳は原形がすでになかったが、長軸17m、後円部の径10.7m、周溝から前方後円墳と推定され、葺石や円筒埴輪の存在が知られている。内部主体は1号墳と同様である。 最も西側の台地突端部に位置する3号墳は、径15.2m、高さ2.1mの円墳である。内部主体は破壊されていたが、箱式石棺とみられ、葺石・埴輪が認められる。土師器や須恵器の破片、鉄鏃、直刀片、漆塗りの編物片などの副葬品が出土した。およそ6世紀中葉より後半の古墳と推定される。」と記されています。
県の史跡に指定されています。
上山市教委の説明板。
以上2017年5月撮影。
山形県教育庁文化財・生涯学習課の「山形の宝」の「土矢倉古墳群(つちやぐらこふんぐん)」の項目の「概要(活動状況等)」では、「上山市街より蔵王へ向うエコーライン南側の老人ホーム長寿園敷地内にある。蔵王泥流層によって形成された台地上に東から西へ3基並んでいる。最も東に位置する1号墳は、径13m、高さ2.5mの円墳で周溝がめぐっている。内部主体は柱状節理による石英粗面岩を立て並べて側壁をつくり、4枚の平石をかぶせて蓋とした箱式石棺である。 2号墳は原形がすでになかったが、長軸17m、後円部の径10.7m、周溝から前方後円墳と推定され、葺石や円筒埴輪の存在が知られている。内部主体は1号墳と同様である。 最も西側の台地突端部に位置する3号墳は、径15.2m、高さ2.1mの円墳である。内部主体は破壊されていたが、箱式石棺とみられ、葺石・埴輪が認められる。土師器や須恵器の破片、鉄鏃、直刀片、漆塗りの編物片などの副葬品が出土した。およそ6世紀中葉より後半の古墳と推定される。」と記されています。
県の史跡に指定されています。
上山市教委の説明板。
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2021年10月12日
番外 山形県の古墳④ 大塚天神古墳 山辺町 円墳 径51m
訪問時は知りませんでしたが、埴輪を有する古墳としては、日本海側最北端の古墳だそうです。
山辺町教育委員会の『大塚天神古墳 第3次発掘調査概報』では、「以上の結果を照合すると、大塚天神古墳は直径51mの円墳となる。これは、山形市菅沢古墳と同規模の古墳であり、山形盆地で最古級の古墳となる。また墳丘のまわりを周溝がめぐるため、直径80m程度のプランにより古墳が築造されたことになる。」(p.18)と述べています。
山辺町の史跡に指定されています。
山辺町教委の説明板。
墳頂。
全景。南から。
全景。西から。
全景。東から。
以上2017年5月撮影。
山辺町教育委員会の『大塚天神古墳 第3次発掘調査概報』では、「以上の結果を照合すると、大塚天神古墳は直径51mの円墳となる。これは、山形市菅沢古墳と同規模の古墳であり、山形盆地で最古級の古墳となる。また墳丘のまわりを周溝がめぐるため、直径80m程度のプランにより古墳が築造されたことになる。」(p.18)と述べています。
山辺町の史跡に指定されています。
山辺町教委の説明板。
墳頂。
全景。南から。
全景。西から。
全景。東から。
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08:08
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