2022年05月31日

番外 茨城県の古墳⑯ 牛渡銚子塚東古墳 かすみがうら市 約25m 

 牛渡銚子塚古墳の後円部の東側に位置している古墳です。当初円墳と思っていましたが、帆立貝形前方後円墳だそうです。
 前回の銚子塚古墳の項目でも書きましたが、後ろめたさがあったので、これ以上近づいて絵を撮りませんでした。
 いくつかのブログでこの古墳を取り上げていますが、全長40m説と25m説がありました。ここでは、ふっき~さんの「古墳探訪記」の「茨城県かすみがうら市牛渡 牛渡銚子塚古墳・銚子塚東古墳」(2020年04月24日)の項目の「牛渡銚子塚のすぐ東にあるのが銚子塚東古墳 墳長約25メートルほどの帆立貝式古墳(前方後円墳)。」を参考に、約25mとしました。


 全景。
        2022年4月撮影。  


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2022年05月29日

追加967 牛渡銚子塚古墳 茨城県かすみがうら市 64m

 2018年11月17日のブログで掲載した古墳です。およそ7年ぶりの訪問でした。前回は、墳丘上の絵がありませんでしたので、今回は思いきって住人に声掛けをしましたが、無人のようでした。少し後ろめたさを感じながら、立ち入らせてもらいました。「不法侵入だらー」。
 前回もそう感じましたが、美しい墳丘が残されています。後円部墳頂には、石塔が建立されており、先人の敬虔な祈りの念が、古墳の保護につながったと思いました。
 墳丘データについては割愛します。   
 古墳は、かすみがうら市の史跡に指定されています。


 かすみがうら市教委の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 後円部墳頂の石塔。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。


 全景。右手前が前方部、左奥が後円部。
        以上2022年4月撮影。

  


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2022年05月27日

追加1148 折越十日塚古墳 茨城県かすみがうら市 復元70m

 2019年2月9日のブログで紹介した古墳です。約7年ぶりの訪問となりました。ただし、前回と同様に、墳丘上は藪が激しく何が何だかわけのわからない絵となってしまいました。ただし、後円部端全景と前方部左側から後円部の絵が撮れたことは収獲がありました。
 墳丘データについては、前回いろいろ書きましたので、割愛します。
 古墳は、かすみがうら市の史跡に指定されています。


 かすみがうら市教委の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 前方部左側から後円部。


 後円部端全景。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月25日

追加 補遺[1227-18] 安食太子古墳 茨城県かすみがうら市 約60m

 2019年12月7日のブログで紹介した古墳です。当初、訪問するつもりはありませんでしたが、偶然標柱(前回のブログで掲載)を見て、磁石に吸い寄せられる鉄釘のように、ハンドルを切っていました。10年ぶりの訪問となりました。前回のブログの絵は画質が粗かったので、立ち寄ったのは正解でした。ただし、後円部の石室周辺が残存しているだけで、前方後円墳らしさは全く感じられません。また、装飾古墳ということですが、おっさんの近視+老眼の目では、確認できませんでした。
 墳丘データは、割愛します。
 古墳は、「太子古墳」という名称で、茨城県の史跡に指定されています。


 かすみがうら市教委の説明板。


 石室入口。

 石室内部。


 残存部全景。


 跡地付近全景。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月23日

追加944 坂稲荷山古墳 茨城県かすみがうら市 65→71m

 2018年11月9日のブログで、「944 坂稲荷山古墳」として紹介した古墳です。7年ぶり3回目の訪問ですが、古墳の状態は、ほとんど変化がありませんでした。古墳に近づいていったところ、珍しく「同好の士」にお会いしました。一言二言、言葉を交わしただけですが、なんだかうれしい気持ちになりました。
 墳丘データについては、前回のブログで書きましたので、割愛します。
 古墳は、かすみがうら市の史跡に指定されています。


 かすみがうら市教委の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂。前方部墳頂の祠。


 前方部端全景。


 全景(横から)。右が後円部、左が前方部。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月21日

番外 茨城県の古墳⑮ー2 富士見塚古墳群第3号墳 かすみがうら市 円墳 径27m 

 「富士見塚古墳公園」で整備・保存されている3基の古墳の中では、東端に位置し、規模の小さな古墳です。下記の引用文によると、この古墳の被葬者は、1・2号墳から2~3世代後の人物と考えられるのでしょうか。
 茨城県教育委員会の「富士見塚1号墳・2号墳・3号墳 3基」の項目で、「2号墳は墳丘直径が34m、3号墳は27mをはかる円墳で、ともに周堀がめぐっています。 出土遺物から、これら古墳3基の築造年代は、1・2号墳が5世紀末~6世紀初頭、3号墳が6世紀後半と考えられます。」と記されています。
 2018年6月28日のブログ、「607 富士見塚古墳(1号墳)」のおまけとして、この古墳を紹介しています。ただし、そこではかすみがうら市教委の説明板を参考に、「3号墳(円墳 径18m)」としましたが、ここでは上記茨城県教育委員会の資料により径27mと訂正します。
 「富士見塚3号墳」という名称で、茨城県の史跡に指定されています。


 かすみがうら市教委の説明板。


 全景。


 全景。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月19日

番外 茨城県の古墳⑮ー1 富士見塚古墳群第2号墳 かすみがうら市 円墳 径34m 

 前回の富士見塚古墳(1号墳)の前方部端に隣接しています。1号墳と同時期の築造と推定されているので、この古墳の被葬者は、1号墳と関係のある人物と思われます。
 訪問時、古墳の前に満開の桜の木があり、無粋なおっさんでも思わずパチリとしてしまいました。
 茨城県教育委員会の「富士見塚1号墳・2号墳・3号墳 3基」の項目で、「2号墳は墳丘直径が34m、3号墳は27mをはかる円墳で、ともに周堀がめぐっています。 出土遺物から、これら古墳3基の築造年代は、1・2号墳が5世紀末~6世紀初頭、3号墳が6世紀後半と考えられます。」と記されています。
 2018年6月28日のブログ、「607 富士見塚古墳(1号墳)」のおまけとして、この古墳を紹介しています。ただし、そこでは、かすみがうら市教委の説明板を参考に「2号墳(円墳 径25m)としましたが、上記茨城県教育委員会の資料により、34mと訂正します。
 「富士見塚2号墳」という名称で、茨城県の史跡に指定されています。


 かすみがうら市教委の説明板。


 全景。


 桜と古墳。


 富士見塚古墳(1号墳)前方部墳頂から見る2号墳。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月17日

追加607 富士見塚古墳(1号墳) 茨城県かすみがうら市 78→(80)m

 2018年6月28日のブログで紹介している古墳です。3度目の訪問となりましたが、前回のブログの絵と大差はありません。
 古墳は、2基の円墳とともに、「富士見塚古墳公園」として整備・保存されています。訪問時は桜の開花時期と重なったので、花見を楽しむ家族連れの古墳散策が見られました。おっさんの探訪時は、ほとんど人と会わないケースが多いのですが、ここは別世界でした。
 古墳は、「富士見塚1号墳」という名称で、茨城県の史跡に指定されています。
 前回のブログで引用した、かすみがうら市のHP.の「富士見塚古墳公園」では、「墳丘の全長は78mに達し」と記されていました。ただし、かすみがうら市歴史博物館の「富士見塚古墳(1号墳)」の項目では、「全長80.2m、前方部の高さ9m、後円部の高さ8.5mの前方後円墳」と記されています。ここでは、かすみがうら市教委の説明板と同じ数値の後者を採用しました。
 余談ですが、この古墳から霞ヶ浦をはさんで、北側の行方市に三昧塚古墳(ランキング496位)が位置しているそうです。両古墳ともに、ほぼ同時期の築造と考えられているので、相似形に見えてしまいました。また、被葬者は「香取海」の水運を支配した人物と考えられそうです。


 「富士見塚古墳公園」の石碑。標柱。かすみがうら市教委の説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 後円部墳頂。


 2つで全景。前方部。前方部右側から後円部。


 ほぼ全景(横から)。右が後円部、左が前方部。


 墳頂から霞ヶ浦を見る。南から。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月15日

追加600 風返稲荷山古墳 茨城県かすみがうら市 78m

 当初、日の出とともに世田谷区の御岳山古墳、首都高・常磐道経由で茨城県そして圏央道で千葉県の未訪問古墳を見学し、アクアラインを通って、ゼロ泊で帰宅する予定でした。ところが、途中でハードスケジュールのため体が持たないことに気づき、千葉県の木更津市方面の古墳探訪は断念しました。「気づくのが遅すぎるだらー」。
 そのため、かすみがうら市内の主要古墳の再訪に方針転換しました。前回の長町古墳から、約1km北に位置する風返稲荷山古墳がその最初の目的地としました。今までの訪問経験を安易に考えて、カーナビ設定しなかったのが大失敗でした。道に迷い、結局ナビのお世話になってしまいました。
 約7年ぶり3回目の訪問です。前回のブログ(2018年6月26日掲載)の絵と大差はありませんが、差別化を図るために「3つで全景」の絵を撮りました。ただ、草木が生え、真横ではなく斜め横からの絵なので、墳形がハッキリしませんでした。墳丘データは割愛します。
 

 標識。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂。


 3つで全景。後円部。くびれ部。前方部。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月13日

追加1088 長町古墳 茨城県かすみがうら市 円墳 径60m→径10m

 2019年1月14日のブログで紹介した「ど発見困難古墳」でした。そこでも書きましたが、「これだ」という確信の持てる絵が撮れず、モヤモヤ状態が続いていました。ところが、最新のグーグルマップを見ていたら、周辺に太陽光パネルが設置され、古墳の姿を確認できるチャンスと思い4度目の挑戦となりました。
 今度こそという思いで、「いばらきデジタルまっぷ」で再確認すると、太陽光パネル設置場所に「長町古墳」の記号が記されていました。しかし、航空写真では、パネルの東側に丸く林が残されており、従来古墳と思って絵を撮った場所と一致したので、ここだと思って訪問しました。
 ところが、古墳と思った場所は、墳頂の高まりが感じられず、絵は撮ったものの確信が持てませんでした。その時、偶然森林伐採の様子を見に来ていた人から、「あそこ(太陽光パネルの西側)から、石棺が出土した。」という話を伺い、感謝の言葉もそこそこに、慌てて反対側に移動して絵を撮りました。この方にお会いしなければ、???状態が続いていました。本当に、感謝申し上げます。
 余談ですが、古墳の神様が、迷っているおっさんを見かねてこの方と遇わせてくれたと思ったほどでした。真実は、太陽光パネルに近づいている不審者と思われただけかもしれませんが・・・。
 墳丘データの詳細については、前回のブログで書きましたので、ここでは割愛します。ただし、そこでも書きましたが、円墳説と前方後円墳説があり、円墳という前提で書きましたが、航空写真では、円墳らしさはあまり感じられませんでした。
 また、反省の意を込めて、誤解していた東側の絵も掲載します。


  追記

 昇寛さんのコメントの指摘を参考に「径10m」の円墳と訂正します。ご教示ありがとうございました。
 余談ですが、最初から10m規模の円墳と分かっていたら、きっと訪問しなかったでしょう。でも、これで、スッキリしました。


 近景(墳丘上部付近)。

 近景(墳端付近)。南西から。


 墳頂。


 全景。東から。


 遠景。北東から。


 当初古墳と思い込んでいた場所。
  誤解していた墳頂。

  誤解していた全景。南から。
        以上2022年4月撮影。  


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