2020年10月31日

補遺[824-20] 西長岡長塚古墳 群馬県太田市 (70m)

 消滅古墳です。奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「西長岡長塚古墳(強戸村33号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:70m 後円部:高4.8m 前方部:高3.6m 特記事項【その他】墳丘湮滅。」と記されています。ただし、太田市中央図書館で閲覧した『群馬県古墳総覧』では、「西長岡横塚古墳」として、「西長岡町381-1と2」、「70m」の「前方後方墳」と記してありました。また、「マッピングぐんま」では、「西長岡横塚古墳群」として、古墳名というより古墳群名として使用されていました。頭がこんがらがってしまいましたが、ここでは、上記データベースを参考にタイトル表記しました。データベースと『総覧』の位置情報はほぼ同一でした。
 古墳の痕跡らしきものは見つけることができませんでした。


 跡地付近。中央の建物が西長岡町380。北西から。


 跡地付近。中央の建物が西長岡町379。北東から。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月30日

補遺[824-19] 新田神社古墳(御城古墳) 群馬県太田市 前方後円墳 (70m以上?)

 「上州の人」さんから、「太田市金山山頂に70m以上の前方後円墳があるらしい」、「太田市金山山頂の古墳についてですが、上毛古墳総覧にて記載されていました。太田町58号墳(新田神社ノ古墳) 新田群(ママ)太田町大字太田字御城2226 前方後圓墳 300尺 管理ノ有無 ナシ 神社ノ社殿下ナリ 現状 雑木林、一部神社ニヨル削平アリ」と御教示いただいた古墳です。金山城の本丸跡に、明治時代初期に建立された新田神社周辺が古墳の跡地ということです。ただし、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」や「マッピングぐんま」などでは、該当する古墳を確認することができませんでした。「もっとよく調べりん」。
 地域を見渡せる里山の山頂付近に古墳が築造されるケースは、前期から中期初めの古墳によくあることなので、この場合もそれに該当するかもしれません。詳細は不明ですが、全長70mの前方後円墳としてランキングしました。
 余談ですが、山頂部には、東から新田神社・御嶽神社・梅若神社が建立され、その場所に「金山城跡(趾)」の石柱や説明板が立てられていました。また、梅若神社方面は立入禁止となっていたので、古墳の痕跡を確認することができませんでした。
 余談の余談ですが、国の史跡に指定され、「日本100名城」にも認定されている「金山城跡」なので、駐車場から本丸跡まで、お城マニアにとっては「見どころ満載」で、ガイダンス施設も設置されています。ただし、日没前に予定した古墳の訪問を終えたかったので、おっさんはひたすら頂上の新田神社を目指し、駆け足で駐車場に戻って行きました。「もったいないだらー」。


 「史蹟金山城阯」の石柱。文部省・群馬県・太田市の「史跡金山城跡」の説明板。


 新田神社の社殿。

 新田神社。南東から。


 御嶽神社の由緒。御嶽神社の社殿。


 梅若神社方面。

 手前が御嶽神社、奥が新田神社。西から。


 新田神社遠景。南から。


 頂部から見る。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月29日

補遺[863-1] 神明(神明山)古墳 群馬県太田市 (68m以上)

 消滅古墳です。「上州の人」さんから、「太田市 ・浜町古墳(別名:神明山古墳) 全長68m以上」と御教示いただいた古墳です。ただし、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「神明古墳(神明山古墳・太田町3号墳)」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:43m 後円部:高3.3m 前方部:高1.8m 特記事項【その他】湮滅。」と記されていました。ここでは、「上州の人」さんの意見を参考に、68mの古墳としてランキングしました。
 また、上記データベースと「マッピングぐんま」では、地図上の位置が若干異なっていましたが、後者の場所を撮っています。
 古墳跡は、東武伊勢崎線「太田駅」の約600m西の住宅地に位置し、その痕跡を見つけることはできませんでした。


 跡地付近。浜町34付近。西から。

 跡地付近。浜町35付近。西から。


 跡地付近。浜町34付近。南から。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月28日

補遺[745-2] 藤阿久(ふじあぐ)大塚古墳 群馬県太田市 (71m)

 消滅古墳です。奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「藤阿久大塚古墳(金毘羅稲荷神社古墳・宝泉村30号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:70.9m 後円部:高5.8m 前方部:2.7m 特記事項【周濠】あり。【その他】墳丘基盤層・墳丘盛土中に榛名山二ッ岳噴出軽石(FP)が混在。墳丘湮滅。」と記されています。
 当初、HP.「前方後円墳 japanese ancient tomb」の「藤阿久大塚/金毘羅稲荷神社/宝泉村30号」の項目で、「所在地 群馬 太田市藤阿久町45-5」と記されていたので、その付近の地図を印刷して出かけました。ただし、上記データベースでは、「藤阿久町478付近」に古墳が図示されており、この近所の「落合公園」付近の絵を撮りました。しかし、確信が持てず「もやもや感」が拡大してきたので、太田市中央図書館に立ち寄り、参考資料を探しました。そこで、平成の『上毛古墳綜覧』とも言われる『群馬県古墳総覧』を発見しました。「本文・一覧表編」で藤阿久大塚古墳の住所は、「藤阿久町乙293」と記されていましたが、別冊の「古墳分布図編」で該当の場所を探すのに手間取ってしまいました。その後、その場所付近を「再訪」して、稲荷神社があり、下記の絵を撮った次第です。
 余談ですが、「マッピングぐんま」では、「大塚古墳」の住所を「太田市藤阿久町2293」と記していますが、該当する住所は見つかりませんでした。「ど疲れたじゃん」。


 跡地付近か。稲荷神社の社殿。藤阿久町292。

 跡地付近か。稲荷神社2つ。


 跡地付近か。藤阿久町303付近。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月27日

補遺[433-5-1] 頼母子古墳のおまけの「牛沢十字路古墳(牛沢稲荷山古墳)」 群馬県太田市 41m

 以前訪問した時は、別名が頼母子古墳であり牛沢十字路古墳と同一であると思い込んでいました。今回、この古墳と頼母子古墳跡を訪問して、違いが明らかとなりスッキリしました。ただ、グーグルマップでは、この古墳は「牛沢稲荷山古墳」という名称でした。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「牛沢十字路古墳(沢野村27号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:41.2m 後円部:高4.2m 前方部:高1.2m 特記事項【その他】稲荷神社あり。」と記されています。ただし、上記データベースでは、前方部が東側を向いていましたが、「マッピングぐんま」では、南側に前方部が図示してありました。ここでは、後者を参考に書いていきます。
 後円部はコンクリート塀に囲まれて、墳丘内に立ち入ることはできませんでした。また、前方部は民家の宅地内にあり、しかもかなり削平されており十分な絵が撮れませんでした。


 後円部(横から)。西から。

 後円部(横から)。東から。

 後円部端。北から。

 後円部。北東から。
            以上2020年10月撮影。


 後円部(横から)。西から。

 くびれ部付近の断面。南から。
            以上2015年1月撮影。  


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2020年10月26日

補遺[433-5] 頼母子古墳 群馬県太田市 (90m以上)

 消滅古墳です。HP.「古墳マップ」の「頼母子古墳」の項目で、「紹介文 かつて国道の南側に所在したと伝わる。別名:頼母子大塚山古墳。墳丘は明治43年に土取りのため削平された。墳形は不明だが、採土時の記録によると最大5.4mの高さがあり、前方後円墳とする説が有力であるが、円墳の可能性もあるようだ。」と記されています。また、「上州の人」さんによれば、「頼母子(大塚山)古墳 太田市牛沢464他 規模不詳(全長90m以上)」と御指摘がありました。ここでは、全長90mの前方後円墳としてランキングしました。
 ただし、「マッピングぐんま」では、円墳状に図示されていました。その「詳細情報」では、「遺跡名 頼母子古墳、所在地 太田市牛沢町224」と示されていたので、その付近の絵を撮ってみました。
 この古墳からは、2面の三角縁神獣鏡を含む3面の銅鏡が出土しているそうです。


 跡地付近。中央の建物が牛沢町220。北から。


 跡地付近。中央の建物が牛沢町220。南から。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月25日

補遺[701-7] 米沢二ツ山古墳 群馬県太田市 (73~74m)

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「米沢二ツ山古墳(沢野村120号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:73~74m 後円部:径40.5m 前方部:幅37.5m 長37m 特記事項【造出】くびれ部右にあり。【周濠】楯形。【周堤】なし?。【その他】墳丘下から石田川式期(古墳時代前期)の住居址検出。墳丘現存せず。」と記されています。一応、73mとしてランキングします。
 消滅古墳ですが、前方部跡地の「西新町4号公園」内にある植樹囲いが前方後円形をしていました。説明板等が見当たらないのは残念でしたが、公園を管理している太田市の「花と緑の課」の粋な造作に感銘しました。「どいいだらー」。


 後円部右側跡。左側跡。

 前方部右側跡。左側跡。


 跡地全景。手前が前方部跡、奥が後円部跡。


 公園の北西側が前方部跡。

 公園内の前方後円形の植樹囲い。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月24日

補遺[1075-1] 世良田二子塚古墳(世良田町28号墳) 群馬県太田市 (61m)

 消滅古墳です。奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「世良田二子塚古墳(世良田町28号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60.6m 後円部:高3.9m 特記事項【その他】墳丘湮滅(『上毛古墳綜覧』に「石槨アリシトイフ」という記述がある。」と記されています。ただし、上記「データベース」の地図では、東武伊勢崎線「世良田」駅の南西方向に印がありましたが、「マッピングぐんま」では、南東方向の工場敷地内に図示してありました。ここでは、後者を採用して、「AGF関東」工場の絵を掲載しました。


 跡地付近。北西から。


 跡地付近。西から。


 跡地付近。北から。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月23日

補遺[384-1] 小角田前(こすみだまえ)2号墳(世良田町37号墳) 群馬県太田市 (91m)

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「小角田前2号墳(世良田町37号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:90・9m 後円部:高3.9m 特記事項【周濠】あり。【その他】墳丘湮滅。」と記されています。
 1号墳と「指呼の間」に位置していた古墳です。上記のように消滅古墳のようですが、1号墳のあった東からの絵を見てみると、心なしか林の部分が前方後円墳に見えてしまいました。「何でも古墳に見えてしまう『古墳病』だらー」。


 跡地付近。北から。世良田町2693。


 跡地付近。西から。世良田町2693付近。


 跡地付近。北西から。世良田町2693付近。


 跡地付近。東から。
            以上2020年10月撮影。  


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2020年10月22日

補遺[702-1] 小角田前(こすみだまえ)1号墳(世良田町36号墳) 群馬県太田市 (73m)

 消滅古墳です。奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「小角田前1号墳(世良田町36号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:72.7m 後円部:高3.6m 特記事項【周濠】あり。【その他】墳丘湮滅。」と記されています。
 訪問時、跡地付近に小規模な塚のようなものが目に入り、近づいてみると、「新田義貞公首墳復元中」という標識が立っていました。隣の「御礼と連絡」を読むと、これから五輪塔・玉囲い・説明板等の工事をする予定だそうです。できれば、説明板に古墳についても触れてほしいと思いましたが・・・。


 跡地付近の「首墳」。新田氏研究会・小角田有志による標識。新田氏研究会長の「御礼と連絡」。


 跡地付近。北から。世良田町2836。


 跡地付近。南から。奥の建物が世良田町2836。
            以上2020年10月撮影。  


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