2020年09月30日

補遺[899-3] 笹塚古墳 長崎県壱岐市 円墳 径66m

 当初、直径40mの円墳ということで、「双六古墳のおまけ」として掲載するつもりでした。ところが、資料を調べてみると直径66mの円墳という記述が目にとまり、確認したところ以下の通りでした。そのため、大型古墳として、ランキングしました。基壇部分を墳長(全長)に含めるか否かという点で異論があるとは思いますが・・・。 
 長崎県教育委員会が1992年に発行した『県内古墳詳細分布調査報告書 -県内古墳の墳丘・石室の資料化に伴う報告書ー』では、「墳丘は,低平な丘陵を底部で、直径66m ほどに,深さ2m~3m ほど掘り下げ,丸く削って,その上に墳丘を盛り上げた形のものであることが判明した。上段の墳丘は,直径約38m,高さ10mほどである。また,上段の墳丘の形は,部分的に角がつくようにも見えるが,土地所有者の話では,墳丘はさらに南西方面に広がっていたとのことで,道路を造る際にこのような形になったものと考えられる。墳丘の南西側は一部削られ,道路や畑となっているが,ほぼ旧状を保っている。墳丘の形態をわかりやすく例えて言うならば,丸いお盆を逆さにし,その中央に丼を逆さまにふせて置いた形に推測される。墳丘の表面には葺石や埴輪などの存在は確認されていない。」(p.24)と述べられています。つまり、66mの基壇面に直径38mの円丘部が乗っている形です。また、石室は、玄室・中室・前室という3室構造となっています。
 広瀬和雄さんは、「狭隘な平野しかない壱岐島には約三〇〇基もの古墳があって、そのほとんどが六世紀後半ごろに集中的に築造されている。前方後円墳の対馬塚古墳(六三)と双六古墳(九一)、大型円墳の笹塚古墳(六六)、兵瀬古墳(五三)、鬼の窟古墳(四五)、掛木古墳(三五以上)、以上六基が中核を担う。それらは全長が一一~一六mほどの複室構造・三室構造の巨石横穴式石室をもつ(略)。狭い地域にこれだけの巨石墳が集中しているのは、ほかには大和南部地域ぐらいである。また、横穴式石室からは金銅製の飾り馬具や飾り大刀をはじめとした豪華な副葬品が出土しているが、なかでも新羅土器や白釉緑彩円文碗などが注目される。」(『古墳時代像を再考する』p.182)
 また、「六世紀後半ごろの壱岐島は、対新羅の前線基地ー防衛と外交の拠点ーの役割を負わされたのだが、それは中央政権がとった国家政策の一つであった。六世紀後半ごろから七世紀前半ごろにかけて、島内各所でたえず構築されていた横穴式石室は、首長の権威や権力を見せつけるステータスシンボルとして、武威の発揚とあわせて外交交渉に際しても効力を発揮したことだろう。」(『同上書』p.186)と述べています。
 2006年に、「壱岐古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。


 石室入口。石室内部。


 墳頂。

 ほぼ全景。


 説明板。
              以上2011年6月撮影。  


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2020年09月29日

429-4 庄屋塚古墳のおまけの「彦徳甲塚古墳」 福岡県みやこ町 円墳 径29m

 「web博物館 みやこ町文化遺産」の「彦徳甲塚古墳(けんどくかぶとづかこふん)」の項目で、「彦徳甲塚古墳は、6世紀後半に築造された円墳です。墳丘の盛土部分の直径が約24mで、墳丘の周辺部との標高差(墳丘の高さ)は、北側で約6m、南側で約8mです。」と記されています。
 福岡県の史跡に指定されています。


 みやこ町教委の説明板。


 ほぼ全景。南東から。

 全景。北東から。
            以上2014年10月撮影。  


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2020年09月28日

429-3 庄屋塚古墳のおまけの「甲塚古墳」 福岡県みやこ町 方墳 辺47×36m

 「web博物館 みやこ町文化遺産」の「甲塚方墳(かぶとづかほうふん)」の項目で、「甲塚方墳の墳丘は、平面形が長方形の方墳で、長さ46.5m、幅36.4mで、高さが9.5mです。周溝・周堤まで含めると長さ約71m、幅63mの規模があります。墳丘の方位は、主軸がほぼ南北方向を向いています。」と記されています。
 「甲塚方墳」という名称で、みやこ町の指定文化財となっています。


 説明板。


 石室の説明板。

 石室入口。石室内部。


 ほぼ全景。

 ほぼ全景。

 ほぼ全景。
            以上2014年10月撮影。  


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2020年09月27日

429-2 庄屋塚古墳のおまけの「橘塚古墳」 福岡県みやこ町 方墳 辺37×52m

 「web博物館 みやこ町文化遺産」の「橘塚古墳(たちばなづかこふん)」の項目で、「橘塚古墳は、みやこ町立黒田小学校の敷地内にあります。古くから学識者の注目を浴び、円墳と考えられてきましたが、平成7~8年に実施された発掘調査によって方墳であることが判明しました。墳丘はかなり削られていますが、南北37m×東西52m程度の規模があったと考えられています。現在の墳丘の高さは約4mです。」と記されています。
 古墳は、国の史跡に指定されています。
 余談ですが、「みやこ町」は2006年に京都(みやこ)郡豊津町・犀川町・勝山町の3町が合併して発足したそうです。従って、現在の地名は「福岡県京都(みやこ)郡みやこ町」だそうです。この地は、「豊前国」の国府や国分寺が建立された場所なので、「みやこ」という地名も納得できます。


 石柱。みやこ町教委の説明板。


 石室入口。石室内部。石室奥壁。


 ほぼ全景。
            以上2014年10月撮影。  


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2020年09月26日

429-1 庄屋塚古墳のおまけの「綾塚古墳」 福岡県みやこ町 円墳 径40m

 「web博物館 みやこ町文化遺産」の「綾塚古墳(あやつかこふん)」の項目で、「綾塚古墳は観音山から延びる丘陵の先端部に築かれています。墳丘の大きさは直径40m、高さ7mで、山側部分をU字形に削って濠を造り、その土を盛り上げて墳丘を築いたと見られます。墳丘には一部2段に造られたところもみられます。この方法を用いたことにより、前方から眺めると独立した円墳に見える視覚効果が得られ、同時に労働力の節減ができて、効率的に古墳が造られたことがうかがえます。」と記されています。
 古墳は、国の史跡に指定されています。
 前回の薬師堂古墳のブログでも書きましたが、大型古墳はネタ切れで「おまけ」シリーズというパンドラの箱を再び開けてしまいました。大型古墳に隣接、あるいは関係する60(57)m未満の古墳について紹介していきたいと思います。未訪問の大型古墳については、訪問次第紹介したいと思います。それまでは、「おまけ」シリーズでお茶を濁しますので、ご了解ください。「大型古墳集成」の看板はどうするだん。


 勝山町教育の説明版。


 石室入口。石室内部。石室内部(奥が玄室)。


 ほぼ全景。
            以上2014年10月撮影。  


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2020年09月23日

415-1 村田愛宕山古墳のおまけの「薬師堂古墳」 宮城県村田町 28m

 大型古墳はネタ切れで、今まで掲載していたブロブの訂正・追記などの作業を進めていました。村田愛宕山古墳の追記の中で、近接する薬師堂古墳が出てきましたので、おまけとして掲載します。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「村田薬師堂古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:28m 後円部:径12m 高1.5m 前方部:幅10m 長16m 高1.5m 特記事項 県史跡(愛宕山古墳・附薬師堂古墳)」と記されています。


 村田町教委の説明版。倒れた標柱。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。後円部墳頂。
            以上2017年4月撮影。


 標柱。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。
              以上2012年6月撮影。  


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2020年09月12日

追加 425 旆塚(はいづか)八幡古墳 群馬県太田市 90m

 前回の絵がしょぼかったので、撮り溜めていた新しい絵を掲載します。ただし、消滅古墳なので・・・。
 跡地はゲートボール場になっています。


 跡地付近。
            2016年11月撮影。  中央の建物が新田市野井2618付近。東から。  


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