2022年03月30日

番外 茨城県の古墳⑨ー1 諏訪古墳群第2号墳 常陸太田市 円墳 径不詳m 

 古墳の墳丘上に諏訪神社の社殿が建立されています。2018年4月30日のブログに掲載した、諏訪1号墳(ランキング404位)を訪問した時に立ち寄った古墳です。当初、この2号墳や隣接する3号墳を1号墳の可能性があると思い込んでいましが、1号墳は、原型を留めていないとされていたので、「レレレのレ」状態でした。
 「いばらきデジタルまっぷ」の「文化財」では、「遺跡名 諏訪古墳群 (中略)備考 円墳2基、前方後円墳1基」と記されています。ただし、この古墳の墳丘データは見つけられませんでした。


 神社の標識。


 近景。北北西から。


 ほぼ全景。西から。


 全景。南西から。
        以上2015年6月撮影。  


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2022年03月28日

番外 茨城県の古墳⑧ 大方2号墳 常陸太田市 32m

 この古墳が全長約66mの前方後円墳という資料を目にして、新たなランキング古墳の発見、「いざ鎌倉」という思いで訪問しました。ただし、その後、その資料を見つけ出すことができず、墳長を確認できたのは次の資料のみでした。「ダメじゃん」。 
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「大方2号墳(稲荷塚古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:32m 後円部:径12m 高5m 前方部:幅8m 長:3.8m」と記されています。そのため、ここでは32mとしました。 
 余談ですが、「いばらきデジタルまっぷ」では、「遺跡名 大方古墳群、所在地 大方字台36-3外、種類 古墳群、備考 円墳1基、前方後円墳1基確認」と記されています。ただし、図示されたエリアは大方町23や25を示していました。また、前者「データベース」と後者の「デジタルまっぷ」では、位置情報が若干異なっており、「デジタルまっぷ」の図示を参考に訪問しました。 
 この古墳は、常光院古墳(ランキング431位、追加431位)から山田川をはさんで、約500m西に位置しています。
    

 前方部右隅から後円部か。


 前方部から後円部か。


 全景か。右奥が前方部か、左奥が後円部か。大方町25付近。
            以上2020年10月撮影。  


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2022年03月26日

番外 茨城県の古墳⑦ 大日塚古墳 行方市 36m 

 重要文化財に指定されている猿形埴輪が出土したと伝えられている古墳です。 
 佐々木憲一さんは、『茨城県行方市大日塚古墳発掘調査報告(古墳時代中期常陸南部における国家形成過程理解のための基礎研究)』(明治大学人文科学研究所紀要 第82冊所収)の中で、「後円部は2段築成.前方部は1段の、前方部が短小の、東北東10°主軸(ほぽ東西主軸)の帆立貝形前方後円墳である。墳丘の残りの特に良い部分を参考にしながら,墳丘の規模を以下のように復元した。 墳丘長: 35.6m 後円部径:28.0m、後円部墳頂平坦面径:7.2m、後円部上段径:16.8m、現状後円部高:5.3m  後円部テラス幅:1.2m、テラス (1段目斜面の高さ):1.5m 前方部長:7.6m, 前方部幅:9.6m, 前方部前端幅:2.4m. 現状前方部高:1.5m」(p.37)と述べています。
 国道355号墳を挟んで、約50m西に勅使塚古墳(ランキング970位)があります。また、三昧塚古墳(ランキング496位)とともに沖洲古墳群を形成しています。   


 玉造郷土文化研究会の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂。

 石室入口。
        以上2015年5月撮影。  


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2022年03月24日

番外 茨城県の古墳⑥ 井上古墳群第8号墳 行方市 45m 

 この古墳は、井上古墳(山ノ神古墳・井上古墳群第1号墳)のついでに訪問した古墳です。1号墳については、2018年7月17日のブログにも書きましたが、当初全長75mの前方後円墳と考えられていました。しかし、発掘調査の結果、直径30mの円墳であることが確認されています。つまり、この8号墳の方が規模の大きな前方後円墳ということになります。脇役が、いきなり主役になってしまいました。
 玉造町遺跡調査会・玉造町教育委員会の『井上古墳群第1号墳 発掘調査報告書』では、「8号墳 前方後円墳 玉川小学校北側の台地上に位置、全長約45m、 後円部高さ約4m、 前方部幅22m前後、後円部は墓地に利用されている。埋葬施設、埴輪等不明。」(p.5)と書かれています。

 
 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂。
        以上2015年5月撮影。  


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2022年03月22日

番外 茨城県の古墳⑤ 愛宕古墳 古河市 40m以上 

 現状では、円墳にしか見えませんが、下記のように前方部が削平された前方後円墳だそうです。前方部跡がどこにあったのか不明でしたので、下の絵では、すべて「後円部」という表現にしました。
 古河市のHP.の「埋蔵文化財包蔵地一覧(旧市町村番号543)」の「旧遺跡番号035 愛宕古墳」の項目で、「・特徴 前方後円墳1基(後円部直径40メートル)。前方部は削平される。1998年墳丘確認調査」と記されています。


 後円部。南から。


 後円部。東から。


 後円部。北から。


 後円部墳頂。
        以上2017年3月撮影。  


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2022年03月20日

番外 茨城県の古墳④ー2 林八幡塚陪塚古墳 結城市 円墳 径18m 

 前項の備中瓢箪塚古墳などとともに林古墳群を形成しています。ただし、訪問時は同古墳群の主墳的存在の備中塚古墳(ランキング867位)が目的だったので、たまたま通りがかったこの古墳の絵を一枚撮っただけでした。西側に隣接した、墳長30m規模の前方後円墳である林八幡塚古墳は、民家の敷地内にあり、見逃してしまいました。「今の時代、大艦巨砲主義では、ダメだらー」。
 『大和國古墳墓取調室』の「林八幡塚古墳・八幡塚倍塚【市史跡】」の項目で、「東隣の八幡塚陪塚は径18mの円墳です。」と書かれています。
 結城市の史跡に指定されています。


 結城市教委の説明板。


 全景。南東から。
        以上2015年5月撮影。  


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2022年03月18日

番外 茨城県の古墳④ー1 備中瓢箪塚古墳 結城市 48m 

 「二十一世紀の杜」の中にある古墳です。ただし、墳丘の上部は削平され、小丘のようで古墳らしさは全く感じられませんでした。
 備中塚古墳(ランキング867位)を中心とする林古墳群に属しています。備中塚古墳から道路を挟んで北西に位置しています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「備中瓢箪塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:48m 後円部:高4.5m」と記されています。
 また、『大和國古墳墓取調室』の「瓢箪塚古墳」の項目でも、「全長48mの前方後円墳ですが、現状は墳丘が削られて、原型を留めて居ません。」と書かれています。


 標識。


 前方部から後円部か。


 全景?。西から。
        以上2015年5月撮影。  


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2022年03月16日

番外 茨城県の古墳③ 白籏石尊古墳(木原白籏古墳群2号墳) 美浦村 55m 

 工場の敷地内(駐車場)に位置する古墳です。後円部の墳頂に「石尊大権現」の板碑があり、白籏石尊古墳と呼ばれています。また、村教委の説明板によると、この板碑は箱式石棺の一部を転用した可能性があるそうです。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「木原台4号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:54.9m 後円部:径24.9m 高6.7m 前方部:幅23m 高5m 特記事項【その他】後円部上に石室または石棺の板石を用いた石碑建立。」と記されています。昇寛さんのブログ『埼群古墳館別館』の「美浦村白幡(ママ)石尊古墳」→現在は訂正されています。(2020/09/15)の項目によると、「木原台古墳群」という名称は旧称だそうです。
 古墳は、美浦村の史跡に指定されています。
 余談ですが、木原白籏古墳群1号墳は、白籏石尊古墳の約150m西に位置する愛宕山古墳(ランキング543位)です。


 美浦村教委の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
        以上2015年5月撮影。


 後円部墳頂の板碑。


 やや全景。中央が後円部、左奥が前方部。
        以上2012年3月撮影。  


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2022年03月15日

番外 茨城県の古墳 再開

 この間、山口県の新発見の大型古墳を紹介しました。その際に、数基の60m未満の古墳も訪問しましたが、後日「番外 山口県の古墳」で紹介したいと思っています。何時になるかわかりませんが・・・。
 次回から、「番外 茨城県の古墳」を再開します。
   


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2022年03月14日

補遺[316-5?]→違う 田布施町観光協会裏山古墳(仮称)→前方後円墳ではない 山口県田布施町 100m規模?

 この古墳も前回の「岡の宮稲荷神社古墳(仮称)」と同じく、NHKで紹介された大型古墳です。この古墳も、上空からの画像と「山口 田布施町」というテロップしか手がかりがありませんでした。グーグルマップを凝視して、この古墳の位置を特定し、前方部の東側に「田布施町観光協会」がありましたので、勝手に「田布施町観光協会裏山古墳(仮称)」と命名しました。
 後円部墳頂には祠が祀られ、広い平坦面がありました。前方部は、低平でわかりにくかったですが、ほぼこの場所と思われます。後円部端の周囲には、住宅が半円形に並んでおり、周溝跡の可能性があると思いました。
 この古墳の規模に関するデータが不明でしたので、地図上の縮尺を参考に100m規模?としました。「アバウト過ぎるだらー」。
 余談ですが、2019年10月16日のブログで紹介した「厳島神社古墳(ランキング[316-4]位)」も、「広島 福山市」としてNHKで取り上げられていました。これらの古墳は、いずれも岡山県の藤原好二さんが国土地理院の「傾斜量図」を用いて発見されたそうです。高血圧・高脂血症・左肩関節周囲炎(いわゆる「六十肩」)のおっさんにとって、藤原さんがこれ以上大型古墳を発見されないことを願うばかりです。


  追記

 「田布施町観光協会」に問い合わせたところ、「トレンチ調査をしており、前方後円墳ではない。円墳の可能性は否定できないが。」と回答をいただきました。忙しい業務の傍ら、おっさんの疑問(古墳の名称・規模)に答えていただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
 タイトルと下記の説明・絵は、消去するのも心惜しいので、タイトルなどは「→」で変更し、説明・絵はおっさんの妄想としてそのまま掲載しました。「リンダさんも『噂を信じちゃいけないよ』と唄とっただらー」。
 余談ですが、田布施町は、国森古墳や後井古墳群など案内標識がきちんと設置され、古墳行政がしっかりしている自治体だと思いました。


 後円部中央。右側。左側。→違う。

 前方部右側。左側。→違う。


 前方部から後円部。→違う。前方部右隅から後円部。→違う。


 後円部墳頂。→違う。墳頂の祠。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。東から。→違う。
        以上2022年3月撮影。  


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