2019年04月30日
1259-2 灰塚山1号墳のおまけの「和田古墳群 ②」 滋賀県栗東市
和田古墳群の続きです。
① 4号墳 円墳 径8m
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全景。手前が4号墳。
以上2015年12月撮影。
② 5号墳 楕円墳 径11×9m
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全景。
石室内部。
石碑。
以上2010年7月撮影。
① 4号墳 円墳 径8m
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全景。手前が4号墳。
② 5号墳 楕円墳 径11×9m
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全景。
石室内部。
石碑。
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2019年04月30日
1259-1 灰塚山1号墳のおまけの「和田古墳群 ①」 滋賀県栗東市
灰塚山1号墳の東側に「和田古墳公園」があり、そこに9基の円墳が造られています。「和田古墳群」として、栗東市の史跡に指定されています。ただし、公園内の「出土文化財センター」は、現在何故か一般公開されていません。調査研究や団体見学のみ事前受付するそうです。おっさんのような「アポなし飛び込み素人」は、オコトワリのようです。
和田古墳公園の案内図。眺望図。


古墳群遠景。南西から。
① 1号墳 円墳 径17m
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全景。2つ。

② 2号墳 円墳 径10×9m
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全景。
以上2015年12月撮影。
和田古墳公園の案内図。眺望図。
古墳群遠景。南西から。
① 1号墳 円墳 径17m
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全景。2つ。
② 2号墳 円墳 径10×9m
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全景。
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2019年04月29日
1259 灰塚山1号墳 滋賀県栗東市 前方後方墳 58m
発見困難古墳でした。古墳は、名神高速道路「栗東」IC.約1km南西の灰塚山山頂付近に立地しています。最初の訪問時、麓に「和田古墳公園」があり、実際の東側にある丘陵地を灰塚山と思い込んで、山頂付近に進んだものの、古墳らしい高まりを見つけることができませんでした。再訪時は、地図を片手に本当の灰塚山を上り、意外にあっさりと見つけることができました。ただ、下記のように中世城郭として使用されたためか、墳丘の高さはあまり感じられませんでした。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「灰塚山1号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:後円(ママ)部:2段? 墳長:58m 後円(ママ)部:径41m 高5.75m 前方部:幅19m 長17m 高2.75m 特記事項【その他】墳丘は中世城郭と重複しており、相当の改変が予想される。墳形・規模の改変も有り得る。」と記されています。
周辺には大型古墳が多数存在し、約400m南西に下戸山古墳(ランキング1114位)、約600m北東に安養寺椿山古墳(ランキング318位)、約600m西に地山古墳(ランキング435位)があります。
後方部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後方部。前方部左隅から後方部。

後方部墳頂。
全景(横から)。右が前方部、左が後方部。
遠景。東から。
以上2015年12月撮影。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「灰塚山1号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:後円(ママ)部:2段? 墳長:58m 後円(ママ)部:径41m 高5.75m 前方部:幅19m 長17m 高2.75m 特記事項【その他】墳丘は中世城郭と重複しており、相当の改変が予想される。墳形・規模の改変も有り得る。」と記されています。
周辺には大型古墳が多数存在し、約400m南西に下戸山古墳(ランキング1114位)、約600m北東に安養寺椿山古墳(ランキング318位)、約600m西に地山古墳(ランキング435位)があります。
後方部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後方部。前方部左隅から後方部。
後方部墳頂。
全景(横から)。右が前方部、左が後方部。
遠景。東から。
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2019年04月29日
1258 高地蔵1号墳 三重県松阪市 58m
明確な位置情報を示した資料が見つからず、発見困難古墳でした。「松阪市岡本町」という地名とブログ「古墳:探訪」の「三重県松阪市・高地蔵1号墳」(2016-02-13)の画像しか手がかりがありませんでした。2度ほど岡本町の丘陵地を探して、いくつかの高まりを見つけたものの60m級の古墳にしては小さなものばかりでした。それもそのはず、最初に訪問した場所から300mほど北に実際の古墳がありました。上記のブログに掲載してある地蔵堂を見つけた時は、ビンゴの気分でした。このブログが無ければ、見つけることができなかったと思います。本当に感謝申し上げます。
古墳は、草木に覆われて墳形が帆立貝形前方後円墳であるとは気づきにくいです。ただし、後円部墳頂には盗掘坑と思われる大きな窪みがありました。
約1500m南東に、船形埴輪の出土で有名な宝塚1号墳(ランキング199位)や2号墳(ランキング434位)があります。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
「竹林ばっかでわからんじゃん」。
後円部墳頂の盗掘坑。
石室入口のような地蔵堂。
全景。南東から。
全景。東から。
遠景。南から。
以上2016年3月撮影。
古墳は、草木に覆われて墳形が帆立貝形前方後円墳であるとは気づきにくいです。ただし、後円部墳頂には盗掘坑と思われる大きな窪みがありました。
約1500m南東に、船形埴輪の出土で有名な宝塚1号墳(ランキング199位)や2号墳(ランキング434位)があります。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部墳頂の盗掘坑。
石室入口のような地蔵堂。
全景。南東から。
全景。東から。
遠景。南から。
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2019年04月28日
1257 グワショウ坊古墳 大阪府堺市 円墳 径58(61)m
堺市のHP.の「グワショウ坊古墳」の項目で、「旗塚古墳のすぐ西側にある直径約61メートルの大形の円墳です。墳丘は2段築成と考えられています。周囲には濠がめぐり、葺石と埴輪があります。主体部の構造や副葬品はわかっていませんが、円墳で径約61メートルという大きさは、仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の陪塚とされている径62メートルの大安寺山古墳に次ぐ大きさで、全国でも有数です。」と記されています。ただし、説明板「ぐわしょう坊古墳林のすがた」では、「ぐわしょう坊古墳は直径58mの小さな円墳です。」と記されています。「『大形』か『小さ(い)』かどっちやねん」とツッコミを入れたい気分ですが、全国的に見れば大型の円墳、百舌鳥古墳群では小さい古墳と好意的に理解しておきましょう。「百舌鳥古墳群」を構成する古墳のひとつとして、2014年に国の史跡に指定されています。
古墳は、大山古墳(ランキング1位)と石津(百舌鳥)ミサンザイ古墳(ランキング3位)の間にある「大仙公園」の南側に位置しています。訪問時、周濠は水を湛え古墳見学のオフシーズンということもあって、墳丘上の様子や墳形が明確な絵は撮れませんでした。
石柱。石碑。

全景。東から。
全景。北東から。
全景。西から。
以上2017年9月撮影。
「ぐわしょう坊古墳林のすがた」の説明板。
全景。
全景。
以上2014年6月撮影。
古墳は、大山古墳(ランキング1位)と石津(百舌鳥)ミサンザイ古墳(ランキング3位)の間にある「大仙公園」の南側に位置しています。訪問時、周濠は水を湛え古墳見学のオフシーズンということもあって、墳丘上の様子や墳形が明確な絵は撮れませんでした。
石柱。石碑。
全景。東から。
全景。北東から。
全景。西から。
「ぐわしょう坊古墳林のすがた」の説明板。
全景。
全景。
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2019年04月28日
1256 浅間塚(浅間山)古墳 埼玉県行田市 円墳 径58(50)m
HP.「関東、歴史旅行情報」の「埼玉古墳群2 (古墳群南側)」の項目の「浅間塚古墳」で、「浅間塚古墳は直径50m、高さ9mの大型円墳で埼玉古墳群の最終段階である7世紀に造られています、中腹には浅間神社が祀られ山頂(ママ)には平安期の延喜式にも記載されている前玉神社が祀られています、前玉神社は埼玉郡の総社でした。」と記されています。国の史跡「埼玉古墳群」に指定されていないためか、この古墳を「埼玉古墳群」に属さないとする見解もあるようですが、おっさんは「埼玉古墳群」に含めるべきだと思っています。
浅間塚古墳は、「さきたま古墳公園」内の鉄砲山古墳(ランキング235位)の約100m東の「前玉(さきたま)神社」境内に位置しています。上記のように、墳丘には神社の社殿が建立され墳形はややいびつな円形をしています。また、神社境内には若王子古墳(ランキング282位)出土の石室天井石を使用したといわれる「日露戦役記念碑」が建立されています。余談ですが、「埼玉県」の県名の発祥の地が、この「前玉(さきたま)神社」と言われ、住所も「埼玉県行田市大字埼玉字宮前5450」となっています。余談の余談ですが、前玉神社の境内社である浅間神社は、映画「のぼうの城」で有名になった忍城(おしじょう)から近世初頭にこの場所に勧進されたそうです。
行田市教委の説明板。
全景。北東から。
以上2016年11月撮影。
全景。
「日露戦役記念碑」。若王子古墳の石室の天井石といわれる。
以上2012年10月撮影。
やや全景。
墳頂の「前玉神社」社殿。
以上2011年10月撮影。
浅間塚古墳は、「さきたま古墳公園」内の鉄砲山古墳(ランキング235位)の約100m東の「前玉(さきたま)神社」境内に位置しています。上記のように、墳丘には神社の社殿が建立され墳形はややいびつな円形をしています。また、神社境内には若王子古墳(ランキング282位)出土の石室天井石を使用したといわれる「日露戦役記念碑」が建立されています。余談ですが、「埼玉県」の県名の発祥の地が、この「前玉(さきたま)神社」と言われ、住所も「埼玉県行田市大字埼玉字宮前5450」となっています。余談の余談ですが、前玉神社の境内社である浅間神社は、映画「のぼうの城」で有名になった忍城(おしじょう)から近世初頭にこの場所に勧進されたそうです。
行田市教委の説明板。
全景。北東から。
全景。
「日露戦役記念碑」。若王子古墳の石室の天井石といわれる。
やや全景。
墳頂の「前玉神社」社殿。
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2019年04月27日
1255 丸塚古墳 栃木県下野市 円墳 58m
下野市のHP.の「丸塚古墳(栃木県指定史跡)」の項目で、「丸塚古墳は、二段に築成された円墳で、墳丘第一段目に幅約10mの平坦面(基壇)をもちます。古墳の規模は墳丘第一段目である基壇の直径が58m、墳丘二段目の直径が38m、第一段目からの高さが約6mです。また。周溝を含めた直径は92mとなります。 埋葬施設は、南に開口する横穴式石室で、玄室は凝灰岩の一枚切石による精巧な『切り組み』の技法により造られています。石室の大きさは、長さが2.24m、幅1.64m、高さ2.10mです。これまで、玄室のみの単室構造とされてきましたが、平成18年の発掘調査で玄室の前に河原石積の痕跡が確認され、複室構造であった可能性が考えられます。 この古墳は、埴輪を伴わない大型の円墳であることから7世紀の前半に築造されたと考えられます。」と記されています。栃木県の史跡に指定されています。
古墳は台地上に立地し、現在の国分寺の約500m北北西、律令時代の国分寺跡から約1km北北東に位置しています。大きな墳丘が残され、石室入口も確認することができます。ただし、施錠されているので、内部に立ち入ることはできませんでした。
約60m西に山王塚古墳(ランキング715位)・約400m南西に国分寺愛宕塚古墳(ランキング764位)があります。
石柱。下野市教委の説明板。

石室入口。
ほぼ全景。南から。
全景。南西から。
全景。東から。
以上2017年3月撮影。
石柱と旧説明板。栃木県教委の旧説明板。

石室入口。石室内部。

ほぼ全景。
ほぼ全景。
3つで全景。

以上2012年10月撮影。
古墳は台地上に立地し、現在の国分寺の約500m北北西、律令時代の国分寺跡から約1km北北東に位置しています。大きな墳丘が残され、石室入口も確認することができます。ただし、施錠されているので、内部に立ち入ることはできませんでした。
約60m西に山王塚古墳(ランキング715位)・約400m南西に国分寺愛宕塚古墳(ランキング764位)があります。
石柱。下野市教委の説明板。
石室入口。
ほぼ全景。南から。
全景。南西から。
全景。東から。
石柱と旧説明板。栃木県教委の旧説明板。
石室入口。石室内部。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
3つで全景。
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2019年04月27日
1254-1 五十塚1号墳のおまけの「3号墳」 茨城県古河市
前方部と思われる部分は削平されているようで、後円部と思われる部分に若干の高まりが見られました。通信所の敷地内のため、近づいて墳丘部分の絵を撮ることはできませんでした。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部か。南から。
遠景。南から。
以上2015年5月撮影。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部か。南から。
遠景。南から。
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2019年04月26日
1254 五十塚1号墳 茨城県古河市 円墳 径58m
古河市のHP.の「旧遺跡番号001 五十塚古墳群」の項目で、「・特徴 以前は前方後円墳2基、円墳+数基の古墳群。現在、前方後円墳1基、円墳1基。円墳1号墳(直径58メートル・高6.63メートル・周溝15メートル)、円墳2号墳(直径20メートル・高2.17メートル・周溝5メートル)(中略)KDD八俣送信所敷地内のあるため、現状は良好。」と記されています。
古墳は、上記のように八俣送信所の東端、西仁連川の西側の小台地上に立地しています。大きな墳丘は、美しい姿を見せています。これだけの規模の古墳が大きな削平もなく残されていることは本当にありがたいことです。ただし、周辺は、送信所の巨大なアンテナ・鉄塔群があり異空間にワープした感じでした。
標柱。
全景。北北東から。
全景。北から。
全景。南東から。
以上2015年5月撮影。
古墳は、上記のように八俣送信所の東端、西仁連川の西側の小台地上に立地しています。大きな墳丘は、美しい姿を見せています。これだけの規模の古墳が大きな削平もなく残されていることは本当にありがたいことです。ただし、周辺は、送信所の巨大なアンテナ・鉄塔群があり異空間にワープした感じでした。
標柱。
全景。北北東から。
全景。北から。
全景。南東から。
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2019年04月26日
追加・補遺 大生古墳群のおまけの「西部8号墳」 茨城県潮来市 円墳 径不明
最初の訪問時は気が付かなかった古墳です。子子舞古墳近くの細道をさらに西に向かうと大きな広場があり、その東端に大きな高まりがあり、これが西部8号墳でした。
全景。
全景。
以上2019年3月撮影。
これで、大生古墳群シリーズは終了し、再びランキング形式に戻ります。
全景。
全景。
これで、大生古墳群シリーズは終了し、再びランキング形式に戻ります。
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