2018年05月31日

510 大安場古墳(大安場1号墳) 福島県郡山市 前方後方墳 84(83)m

 HP.大安場史跡公園の「古墳 国指定史跡 大安場古墳」の項目で、「大安場古墳は、1基の前方後方墳と4基の円墳からなる古墳群です。平成3年に発見され、以後、測量調査や6回の発掘調査が実施されました。 1号墳は、4世紀後半(今から約1,600年前)に造られた、全長が約83mの東北地方では最大の前方後方墳です。また、2~5号墳は、5世紀後半(今から約1,500年前)に造られた円墳です。」と記されています。
 2012年の最初の訪問時は、東日本大震災の影響で墳丘の一部が崩壊し、ブルーシートで覆われていました。2017年の再訪時は、復元されて美しい姿を見せてくれました。古墳は、2号墳とともに「大安場古墳」として国の史跡に指定され、「大安場史跡公園」として整備されています。また、ガイダンス施設も設置されています。

 石碑。説明板。



 後方部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後方部。


 後方部埋葬施設。


 全景。手前が前方部、奥が後方部。北側の2号墳から見る。


 ほぼ全景。右が前方部、左が後方部。北東から。
            以上2017年4月撮影。

 後方部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 全景。右手前が前方部、左奥が後方部。
             以上2012年6月撮影。  


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2018年05月31日

509 森山古墳 岡山県赤磐市 84(82)m

 HP.赤磐の文化財の「両宮山古墳」の「周辺の古墳」の項目で、「森山古墳  墳丘全長82m、後円部径63m、同高さ12.1m、総長136mの帆立貝形の古墳です。後円部は高さが際立ち、二段築成の可能性があります。周囲には周濠を巡らしていました。」と記されています。
 後円部の墳頂には、一本の大きな杉の木があり目印となっています。古墳の約100m北西で、両宮山古墳(ランキング37位)の前方部周濠に接しています。両宮山古墳の陪塚、または後続する首長墓といわれていますが、よくわかりません。上空からの航空写真を見ると、墳丘だけでなく周濠跡もはっきりと確認することができます。

 赤磐市教委の説明板。



 後円部の大木。


 左が前方部、中央が後円部。


 後円部墳頂から見る前方部。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。
            以上2014年3月撮影。

 後円部端近景。
            2009年2月撮影。  


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2018年05月31日

508 太田八幡山古墳 群馬県太田市 84m

 市街地の中に独立丘陵があり、その頂上に古墳が築造されています。前方部は参道として平坦にならされ、後円部は社殿が建立されています。墳丘へ上る入口に石柱、前方部に説明板が設置されています。太田市の史跡に指定されています。

 太田市教委の説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 遠景。南から。
            以上2016年11月撮影。


 石柱。旧説明板。
              以上2011年10月撮影。  


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2018年05月30日

507 野毛大塚古墳 東京都世田谷区 84(82)m

 世田谷区のHP.「せたがや」の「玉川野毛町公園」の項目で、「野毛大塚古墳  墳丘の全長は82メートル、高さ約11メートルの帆立貝式としては全国でも最大級の前方後円墳です。築造当時の姿に復元し、平成5年に公開を開始しました。」と記されています。
 古墳は、「玉川野毛町公園」内のテニスコートやプールの奥にあり、都会ならではの立地です。車は、公園入口の駐車場へ(有料じゃん)。墳丘は復元整備され、後円部の規模の割には小さな前方部やその隣のさらに小さな造り出しもあります。したがって、墳形はおっさん的には、造り出し付き帆立貝形前方後円墳と理解しています。また、後円部墳頂には、4つの埋葬施設と出土品を示すプレートが設置されています。古墳は東京都の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されています。出土品の中では、おっさんは、「槽(そう)」とよばれる石製模造品に興味があります。槽は水の祭祀を行う際の導水施設の一部で、地域を支配し政(まつりごと)を行う有力者の権威の象徴と思われるからです。

 石柱。都教委の説明板。世田谷区教委の説明板。



 前方部右隅から後円部。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。


 ほぼ全景。手前が造り出し、奥が後円部。


 ほぼ全景(横から)。右が後円部、左が前方部。


 後円部墳頂から見る前方部。そして造り出し。


 後円部墳頂の埋葬施設図。第1・2主体部。第3・4主体部。
            以上2015年6月撮影。

 石柱。


 前方部から後円部。
             以上2009年12月撮影。  


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2018年05月30日

506 堂ケ作山古墳 福島県会津若松市 84m

 発見困難古墳の横綱クラスでした。ブログなどで、古墳への上り口にあたる小さな鳥居は見つけたものの、古墳のある山頂付近に至る道は薮で獣道状態でした。そのため、最初は、古墳とは異なる高まりを古墳と思い込み、2度目は何とかたどり着いたものの薮だらけで絵にならず、おまけに2度とも帰路は迷子(正しくは迷おっさん)となりパニック寸前でした。この苦い経験から、山がちな古墳の訪問は、コンパスと地図を持っていくようになりました。3度目は、時期も良かったのか薮も少なく、すんなりと戻ってくることができ逆に拍子抜けしてしまいました。
 会津大塚山古墳(ランキング185位)・飯盛山古墳とともに一箕古墳群を構成しています。辻秀人さんは、「一箕古墳群では、堂ケ作山古墳が会津大塚山古墳に先行する首長墓であることは確実である。飯盛山古墳は、会津大塚山古墳、堂ケ作山古墳との先後関係はわからないが、首長墓であることは間違いない。一箕古墳群では三代にわたる地域の王者の墓をたどることができる。」と述べています。(『東北古墳研究の原点 会津大塚山古墳』p.67)


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部墳頂の三角点。


 遠景。南西の飯盛山観光客専用駐車場から。
            以上2017年4月撮影。


 説明板。その拡大部分。


 上り口の鳥居。


 前方部から後円部。
              以上2012年6月撮影。



      追記

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「堂ヶ作山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段、後円部:3段 墳長:84m 後円部:径74m 高11m 前方部:幅9m 長21m 高6m」と記されています。 
  


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2018年05月30日

[505ー1] 大畑古墳(交野車塚古墳群6号墳) 大阪府交野市 85m

 奥野和夫さんは、「車塚古墳群の造営時期と被葬者の性格について」p.2で、「第6号古墳(大畑古墳) 墳長約85m、後円部径約50mを測り、車塚古墳群の中では最大の古墳である。墳丘上には住宅が建ち、古墳のくびれ部付近を道路によって切断されている。墳丘からは円筒埴輪が出土した。また、近年の調査で葺石が確認されている。」と述べています。
 この古墳群は、府立高校建設の際発見されたそうです。高校の敷地内で1基の前方後方墳と3基の円墳、隣接した敷地外で1基の方墳が見つかりました。その後、高校の約200m西で、弥生時代の遺跡発掘にともない、この地に古墳があることが明らかとなり、第6号古墳と命名されたそうです。


 くびれ部付近の石柱。



 後円部右側。左側。東から。

 前方部残存部。西から。


 前方部右隅から後円部、東から。前方部左隅から後円部、南東から。


 前方部端近景。東から。


 前方部残存部。南から。


 全景。右が後円部、左が前方部。北東から。
            以上2016年10月撮影。  


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2018年05月29日

505 丸隈山古墳 福岡県福岡市 85m

 墳丘は、お堂や仏像などで一部改変されていますが、後円部に石室が見える施設があります。築造当時は、古墳周辺まで入り江が広がっていたそうです。
 鋤崎古墳や今宿大塚古墳などとともに「今宿古墳群」を構成し、国の史跡に指定されています。丸隈山古墳は、群中最大規模の盟主墳的存在です。


 石柱。新旧説明板。前者が西区役所、後者が福岡市教委。



 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部石室入口。石室内部。


 前方部端。北から。


 全景。右が前方部、左が後円部。北東から。
            以上2014年10月撮影。


     追記

 HP.「福岡市の文化財」の「今宿古墳群(丸隈山古墳)」の項目で、「 糸島平野東縁にそびえる高祖山(標高416m)から、北方にのびる丘陵先端につくられた古墳時代中期の前方後円墳(5世紀前半の築造)。 墳丘主軸を南北におき、前方部を丘陵端の北に向ける。後円部は、後方の丘陵を大きく削って古墳の形を整えている。墳丘全長は85m、後円部径約60m、同高約8m、福岡市内で最大規模の前方後円墳である。墳丘は三段築成、各段の斜面には葺石があり、段のテラスに円筒埴輪列がめぐる。 埋葬施設は、後円部中央の上部につくられた横穴式石室である。石室は、入り口部がなくなって、遺体を埋葬する玄室のみであるが、幅2.4m、長さ4m、高さ2mで扁平に打ち割った玄武岩(今山産か)を小口積みにし、天上部は三枚の大石でおおっている。内面には赤色顔料を塗り、初期横穴式石室の特徴を備えている。玄室内に設けられた二基の組合せ式箱形石棺は、中央壁を共有する珍しい例である。石棺と蓋の石材は唐津産の砂岩と推定され、長持形石棺の影響をうけている。現在の石室の姿は、昭和2年(1927)に復元修理されたものである。 貝原益軒が著わした『筑前国統風土記』によると、寛永6年(1629)に村民によって発掘されたとあり、各種の副葬品が出土したらしい。現在、二面の鏡のほか、巴形銅器、直刀、鉄鏃や、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、ガラス小玉などが伝えられている。」と記されています。  


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2018年05月29日

504 羽咋御陵山(大塚)古墳 石川県羽咋市 85(不明)m

 羽咋神社の境内にあり、社殿の裏に小山のように存在している古墳です。社殿によって、後円部からくびれ部にかけて一部削られています。
 宮内庁によって、「磐衝別命(いわつくわけのみこと)墓」と治定されています。


 説明板。立札(制札)。

 羽咋神社境内案内図。羽咋七塚の説明板。


 後円部。西から。


 後円部。北東から。


 前方部(横から)。南東から。
            以上2014年6月撮影。


    
      追記

 羽咋市歴史民俗資料館のパンフレット「探検!羽咋の古墳」の「古墳をしらべる」の中の「羽咋古墳群 陵墓参考地と『羽咋七塚』の伝承」の項目で、「羽咋大塚(御陵山古墳) 前方後円墳(?) 全長不明 羽咋神社の祭神の御陵と伝えられ、宮内庁の陵墓参考地に指定されている。(後略)」と記されています。   


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2018年05月28日

503 在自(あらじ)剣塚古墳 福岡県福津市 85→(102)m

 福津市教育委員会 『国指定史跡 津屋崎古墳群 整備基本構想』p.16の「③須多田ゾーン ウ、在自剣塚古墳」の項目で「東北部連山の最高標高の水落山麓から西に広がる台地の付け根に位置する。墳長101.7mの前方後円墳で、宗像地区最大規模を誇る。前方部、後円部ともに2段築成で表面に葺石を有する。築造時期は6世紀後半と推定される。国史跡指定を受けている。」と述べられています。     
 最初の訪問時は、十分な下調べもしなかったため、発見できませんでした。再訪時は、地図を片手になんとか墳丘の高まりを見つけることができました。当初は、墳丘が80m代と考えられていましたが、その後の測量調査で100mを越えることが明らかとなっています。2005年に、「津屋崎古墳群」を構成する古墳として国の史跡に指定されています。ただ、2017年に世界遺産に登録された「新原・奴山古墳群」は、「津屋崎古墳群」の支群のひとつですが、この在自剣塚古墳は含まれていません。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部端中央。右側。左側。


 全景。右が後円部、左が前方部。
              以上2011年6月撮影。


追記

 2020年2月14日のブログに、「追加503 在自剣塚古墳」として、新しい絵を掲載しています。  


Posted by じこま at 08:27Comments(0)

2018年05月27日

502 鶴見山古墳 福岡県八女市 85(88)m

 HP.「岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷」の「鶴見山古墳」の項目で、「古墳のサイズ 墳丘の長さ約87.5メートル」と記されています。墳丘の一部が改変され前方部の一部も畑地になっていましたが、後円部端から見れば、大型古墳であることは一目瞭然です。
 岩戸山古墳(ランキング102位)・善蔵塚古墳(ランキング302位)などとともに、八女古墳群を構成しています。ただし、上記2つの古墳とは異なり、国の史跡には指定されていません。出土した「武装石人」は、重要文化財に指定されています。武装石人の絵は、「102 追加 重要文化財の岩戸山古墳の石人・石馬など」(2018年2月23日のブログ)にもアップしています。


 八女市の説明板。 


 前方部端全景。南から。


 やや全景。右が後円部、左が前方部。西から。


 後円部端全景。
            以上2013年10月撮影。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部端。


 3つで全景。前方部。くびれ部。後円部。


 後円部端。


 前方部端付近で発掘調査中。
  
 武装石人。
                   以上2010年10月撮影。  


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