2023年12月30日

番外 静岡県の古墳㉔ー3 東谷13号墳[二本ケ谷積石塚群] 浜松市(旧浜北市) 方形 5.3×4.7m

 この13号墳の墳形も、方形であることが明らかです。
 下記の説明板によると、「墳丘の残り具合が悪く、上部が失われていますが、推定規模5.3m×4.7mの方形の積石塚で、裾の部分には2~3重に石を廻らせています。 埋葬施設は、地面を掘り込み、その周囲に石を廻らせています。規模は全長2.21m、幅約0.6mを測ります。」と記されています。
 また、鈴木一有さんも、「表1 二本ケ谷積石塚群の詳細」で、「古墳名 二本ケ谷東谷13号、墳形 方墳、規模(m) 5.3×4.7(以下略)」(「2 遠江」p.150、土生田純之編『積石塚大全』所収)と記しています。
 「二本ケ谷積石塚群」を構成する一基として、静岡県の史跡に指定されています。

 説明板。


 再現全景。

 再現全景。
         以上2011年11月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月28日

番外 静岡県の古墳㉔ー2 東谷12号墳[二本ケ谷積石塚群] 浜松市(旧浜北市) 方形 辺約6m

 10年以上前に訪問した時の絵なので、画質はよくありません。ただ、12号墳の墳形は方形ということは確認できると思います。
 下記の説明板では、「墳丘の残り具合が悪く、上部が失われていますが、一辺約6mの方形の積石塚で、裾の部分には2~3重に石を廻らせています。 墳丘中央部が大きく壊されているため埋葬施設の詳細は不明ですが、全長2.52m、幅約0.6mの規模で地面が掘り込まれています。」と記されています。
 また、鈴木一有さんも、「表1 二本ケ谷積石塚群の詳細」で、「古墳名 二本ケ谷東谷12号、墳形 方墳、規模(m) 約6.0×6.0(以下略)」(「2 遠江」p.150、土生田純之編『積石塚大全』所収)と記しています。
 「二本ケ谷積石塚群」を構成する一基として、静岡県の史跡に指定されています。 


 12号墳の説明板。


 再現全景。

 再現全景。
         以上2011年11月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月26日

番外 静岡県の古墳㉔ー1 東谷8号墳[二本ケ谷積石塚群] 浜松市(旧浜北市) 不定形 6×7?m

 この二本ケ谷積石塚群は、「つみいしづか広場」に再現・保存されています。ただ、長野県長野市の大室古墳群(2023年7月27日~8月22日のブログで紹介)の積石塚とは異なり、墳丘の盛土(というか盛石)の高まりがほとんどない特徴があります。
 静岡県のHP.の「しずおか文化財ナビ 二本ケ谷積石塚群」の項目で、「【指定資料】 二本ヶ谷積石塚群は、三方原台地東縁部に形成された谷の中に立地する。これまでの調査で28基の積石塚が確認されているが、現存しているのは8基である。今回そのうちの6基を指定する。積石塚は、渡来系の集団によって営まれたものと推定されており、本遺跡は出土品等からその多くが5世紀中葉頃に築かれたものと考えられる。 本遺跡は積石塚によって構成された県内唯一の古墳群であり、三方原台地における古墳時代の地域社会の実態や渡来系集団の動向を知る上できわめて重要な遺跡である。」と記されています。
 また、鈴木一有さんは、「浜松市二本ケ谷積石塚群は、谷地形の空間に築かれ、方形墳を中心として石を低く積むことを特徴とする。築造時期の中心は、中期後葉(7期)から中期末葉(8期)である。二本ケ谷積石塚群の埋葬施設には積石木槨状のものがあり、被葬者の出自を伝えている。二本ケ谷積石塚群に見る特徴は在来の墓制のなかに系譜がみられないことから、朝鮮半島系の渡来人が葬られている可能性が高い。」(「六東海 【東海東部】」pp.347~348、広瀬和雄・和田晴吾編『講座 日本の考古学7 古墳時代上』所収)と述べています。
 下記の8号墳の説明板では、「残り具合が極めて悪く、墳丘や埋葬施設の形態は不明です。」、「この積石塚は、発掘調査で検出された状態を見学用に再現したもので、実際の積石塚は直下に保存されています。」と記されています。
 ただし、「表1 二本ケ谷積石塚群の詳細」では、「古墳名 二本ケ谷東谷8号、墳形 不定形、規模(m) 約6.0×7.0?(以下略)」(鈴木一有「2 遠江」p.150、土生田純之編『積石塚大全』所収)と記されています。ここでは、後者「表1」のデータを参考にしました。
 「二本ケ谷積石塚群」を構成する一基として、静岡県の史跡に指定されています。
 

 説明板の一部。

 8号墳の説明板。


 再現ほぼ全景。

 再現全景。
         以上2011年11月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月24日

番外 静岡県の古墳㉓ 於呂神社内古墳(御馬ケ池2号墳)[御馬ケ池古墳群] 浜松市(旧浜北市) 円墳 径24m 

 その名称から、於呂神社の境内に古墳があると思っていましたが、道路をはさんで民家の隣にありました。「古墳かも」と思いましたが、説明板なども見当たらなかったので、一度スルーしてしまいました。
 浜松市地域遺産センター・浜松市文化財課の「浜松地域遺産(浜松市認定文化財)の概要」の「平成28年度~令和4年度 「浜松地域遺産」認定一覧」(p.12)の項目で、「区 浜北168、名称 於呂神社内古墳、種別 史跡、説明 径23.8m高さ3.9mの大型円墳。刀剣ほか出土。」と記されています。 
 また、HP.「古墳マップ」の「於呂神社内古墳」の項目で、「紹介文 御馬ヶ池古墳群(おんまがいけ)の1基で、正式名称は御馬ヶ池2号墳。直径23.8m、高さ3.9mの円墳で、墳丘裾部で幅2mの石列が確認されている。主体部は未発見であるが、木棺直葬と考えられている。直刀、勾玉、丸玉、小玉、須恵器杯身が出土した。古墳時代後期(6世紀前半)の築造。墳丘上部は墓地として利用されている。(後略)」と記されています。
 上記のように、浜松市の「地域遺産」に認定されていますが、浜松市の「史跡」ではないようです。


 於呂神社。


 墳頂。


 全景。南から。

 全景。南西から。

 全景。北西から。
        以上2023年11月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月22日

番外 静岡県の古墳㉒ 興覚寺後(こうかくじうしろ)古墳 浜松市(旧浜北市) 35m 

 古墳は興覚寺の北東に位置していますが、寺の北側の六所神社の参道に説明板が設置され、そこから小道を南側に進むと古墳のくびれ部を通ります。そのまま下っていくと、中世墳墓が見えてきます。
 下記の説明板では、「全長三三mの前方後円墳です。墳丘は前方部を西に向けています。」と記されています。また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「六所神社古墳(興覚寺裏古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:30m 後円部:径16.5m 高2.4m 前方部:幅16.5m 長15.6m 高1.2m 特記事項【その他】くびれ部は道路により切断されている。」と記されています。
 ただし、『浜北市史 通史 上巻』の「宮口興覚寺後古墳」の項目で、「全長約三五メートル、後円部径約一八メートル、高さ約二.五メートル、前方部幅約一八メートル(推定)、高さ約二.三メートルという数値であるが、平面形(推定)では前方部がやや幅広く感じる。」(p.355)と記されています。
 墳長などの墳丘データは、三者三様ですが、ここでは『浜北市史』のデータを採用しました。
 古墳は、「興覚寺後古墳」という名称で、浜松市の史跡に指定されています。


 浜松市教委の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。

 前方部から後円部。


 後円部墳頂。「指が・・・」。

 後円部墳丘上から見る石室入口。「これまた指が・・・」。

 石室入口。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。

 全景(横から)。中央が後円部、左奥が前方部。中央下に中世墳墓。南から。


 おまけ 中世墳墓

      西から。東から。
        以上2023年10月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月20日

番外 静岡県の古墳㉑ー3 赤門上古墳(内野上3号墳)[内野上古墳群] 浜松市(旧浜北市) 56m 

 前々回にも書きましたが、12年ぶりの訪問でした。この古墳は保存状態が良く、前方部が低く柄鏡式の特徴が見られる、典型的な前期の前方後円墳です。また、後円部墳頂から東方に磐田原台地を望むことができ、再訪した甲斐がありました。  
 浜松市のHP.の「赤門上古墳」の項目で、「赤門上古墳は、内野台の舌状にのびる台地の端に築かれた、前方後円墳です。全長は56.3メートル、高さは4.9メートルです。 昭和36年に、静岡県立浜名高等学校によって発掘調査が実施されました。後円部には長さ5.58mのクスノキの大木を縦切りにした木棺が納められていました。この木棺の中からは、三角縁神獣鏡といった鏡や武器などが出土しています。古墳の形と副葬品の内容から古墳時代前期(4世紀 約1650年前)に築造された古墳と考えられます。」と記されています。
 古墳は、静岡県の史跡に指定されています。

 余談ですが、この古墳から出土した三角縁神獣鏡は、京都府木津川市の椿井大塚山古墳(ランキング55位)や奈良県天理市の黒塚古墳(ランキング119位)・奈良県河合町の佐味田宝塚古墳(ランキング195位)・滋賀県東近江市の雪野山古墳(ランキング792位)・兵庫県たつの市の吉島古墳(番外として2021年8月24日のブログで掲載)などの鏡と同型関係にあるそうです。赤門上古墳の被葬者は、畿内の王権と何らかのネットワークを形成していたと思われます。


 静岡県教委・浜松市教委の説明板。

 浜松市教委の説明板。

 浜松市の案内図。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂。

 後円部墳頂から東方の磐田原台地方面を見る。


 3つで全景(横から)。前方部。くびれ部。後円部。

 やや全景(横から)。右が前方部、左が後円部。
        以上2023年10月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月18日

番外 静岡県の古墳㉑ー2 山の神古墳(内野上2号墳)[内野上古墳群] 浜松市(旧浜北市) 円墳 径16m 

 前回の稲荷山古墳から約150m南の高台に位置する古墳です。階段の入口に旧説明板、階段上部の墳丘付近に説明板が設置されています。
 浜松市教育委員会が2009年に発行した『内野上古墳群 ー稲荷山古墳・山の神古墳発掘調査報告書ー』では、「山の神古墳は直径16m、高さ2mの円墳である。周溝は山側にのみめぐらせ、谷側と南側の裾には平坦面が形成されている。出土遺物や、閉塞石に似た円礫の出土、周溝や平坦面の特徴などから、古墳時代後期中葉(6世紀前葉から中葉)に築造されたと考えられる。埋葬施設は明確でないが、横穴式石室もしくは横穴式木室と推定できる。」(p.14)と記されています。

 余談ですが、「横穴式木室」とは聞きなれない名称で、おっさんは初見でした。鈴木一有さんは、「遠江では、横穴式石室の他にも横穴式木室や横穴式土坑、横穴といった埋葬施設が出現し、横穴式石室と関連を持ちながら推移している。(中略)こうした少数派の墓制(おっさん註 鈴木さんは、上記の墓制に洞穴墓・積石塚を加えて少数派の墓制と呼んでいます)は構築される地域が限定的である点に特徴があり、被葬者の性格差が反映されている可能性が高い。」(「六東海 【東海東部】」pp.346~347、広瀬和雄・和田晴吾編『講座日本の考古学7 古墳時代上』所収)と述べています。


 浜松市教委の旧説明板。

 浜松市教委の説明板。


 墳頂。

 やや全景。南西から。

 ほぼ全景。北西から。

 全景。北から。
        以上2023年10月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月16日

番外 静岡県の古墳㉑ー1 稲荷山古墳(内野上1号墳)[内野上古墳群] 浜松市(旧浜北市) 円墳 径37m 

 古墳は、「稲荷山古墳公園」内に保存されています。公園には、内野上古墳群を構成する山の神古墳・赤門上古墳や二本ケ谷積石塚群を示した「古墳めぐりコース 案内図」が設置され、きめ細やかな文化財行政だと思いました。 
 石碑の「銘文」にあるように、約300m北西に位置する「二本ケ谷積石塚群」などとともに、内野古墳群を構成しています。ただし、その性格が異なるためか下記の報告書では、「内野上古墳群」と称しています。おっさん的には、「内野古墳群内野上支群」が望ましいと思いましたが・・・。
 この「内野上古墳群」は、2011年11月に訪問していましたが、画質が悪かったため、12年ぶりに再訪しました。
 浜松市教育委員会が2009年に発行した『内野上古墳群 ー稲荷山古墳・山の神古墳発掘調査報告書ー』では、「稲荷山古墳は直径37m、高さ4、3mの円墳である。二段築成で上段にのみ葺石が施されている。全方向に周溝をめぐらせ、周溝外側の上端を結ぶ古墳の大きさは直径46mである。周溝埋土から僅かながら土師器の小破片が出土しており、墳丘上に土師器の壺を並べていた可能性が高い。出土遺物が僅かなことから築造時期を明確にすることが難しいが、本格的な周溝をめぐらせた古墳の形状、区画石列を伴う葺石の特徴、埴輪をもたず土師器の壺をならべている点などを考慮すると、古墳時代中期初頭から中葉頃(4世紀末葉から5世紀前半)に築造されたと推定できる。」(p.14)と記されています。
 古墳は、浜松市の史跡に指定されています。


 石碑「内野古墳群之碑」。

 浜松市教委の説明板。

 浜松市の案内図。


 墳頂。

 やや全景。北西から。

 やや全景。東から。

 全景。南東から。

 全景。南から。


 標識「稲荷山古墳公園」。
        以上2023年10月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月14日

番外 静岡県の古墳⑳ 向野古墳 浜松市(旧浜北市) 円墳 径18m 

 古墳は、静岡県森林・林業研究センターの敷地内(駐車場の南側)に位置しています。
 『浜北市史 通史上巻』の「根堅向野古墳」の項目で、「現在、静岡県林業試験場(おっさん註 当時の名称)の植林地にある径約一八メートル、高さ三メートルの円墳、直径の割に高さのある墳丘をつくっている。周湟かと推定される凹地が北東側に認められる。」(p.368)と記されています。
 古墳は、浜松市の史跡に指定されています。

 この古墳の史跡指定の有無や墳形については、浜松市市民部文化財課の担当者にご教示をいただきました。感謝申し上げます。

 余談ですが、「浜北市」は2005年に浜松市に編入され、2007年に浜松市の政令指定都市への移行にともない「浜北区」となっています。現在、浜松市には「浜北区」と「北区」が隣接しており、おっさんのような「よそ者」は混乱すること必定です。そのためか、2024年1月1日から「浜北区」と「北区の大部分」が合併して「浜名区」となるそうです。「メデタシメデタシだらー」。
 蛇足ですが、「残りの北区」・「中区」・「西区」・「東区」・「南区」は「中央区」、「天竜区」は変更なしの3区構成になるそうです。「中央区の人口が多過ぎるダラー」。


 浜松市教委の説明板。


 石室入口。

 石室内部から入口を見る。


 ほぼ全景。
        以上2016年1月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)

2023年12月12日

番外 静岡県の古墳⑲ 磐田141号墳(匂坂上古墳)[匂坂下原古墳群] 磐田市 50m 

 天竜川左岸の磐田原台地西端に立地し、寺谷銚子塚古墳(ランキング230位)の約1km南に位置している古墳です。
 下記のデータベースの地図を参考に訪問しましたが、古墳かどうか自信がないため、「?」を付しています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「磐田141号墳(匂坂上古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:50m 後円部:高3m 特記事項【周濠】あり。【その他】未調査のため詳細不明。」と記されています。


 全景か?南西から。


 後円部付近か?東から。
        匂坂上1373-9付近。

 後円部付近か?南東から。
        以上2023年11月撮影。  


Posted by じこま at 07:07Comments(0)