2018年04月26日

384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m

 長崎県最大の規模の古墳です。壱岐島は、「魏志倭人伝」が記述する一支国であり、弥生時代から朝鮮半島との強いつながりがあり、この古墳からも新羅土器などが出土しています。後円部が麦わら帽子状に異常に高く、土生田純之さんは、「見瀬丸山型前方後円墳」とよび、その古墳の被葬者は欽明朝に外交関係で活躍した有力者と考えています。2006年に前方後円墳の対馬塚古墳、巨大な石室を持つ円墳の笹塚古墳・兵瀬古墳などとともに「壱岐古墳群」として国の史跡に指定されています。


 標識。
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m



 後円部中央。右側。左側。
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m

 前方部右側。左側。前方部から後円部。
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m


 後円部端全景。
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m


 石室入口。石室内部。
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m


 ほぼ全景。右が後円部、左が前方部。
384 双六古墳 長崎県壱岐市 91(90)m
              以上2011年6月撮影。

  「見瀬丸山型前方後円墳」の補足
 土生田純之さんは、「『見瀬丸山型前方後円墳』の範疇に入る古墳は、馬越長火塚古墳(おっさん註 愛知県豊橋市の墳長70mの前方後円墳)のほかに以下の6基を数えることができる。 ①奈良県橿原市見瀬丸山古墳 ②岡山県岡山市こうもり塚古墳 ③熊本県氷川町大野窟古墳 ④福岡県福岡市元岡石ケ原古墳 ⑤長崎県壱岐市対馬塚古墳 ⑥長崎県壱岐市双六古墳」と7基の古墳をあげています。(「墳丘の特徴と評価」 『馬越長火塚古墳群』豊橋市埋蔵文化財調査報告書第120集』pp.330~333)


   追記

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「双六古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:89.5m 後円部:径39m 高9.7m 前方部:幅38m 長50m 高4m」と記されています。
 ただし、長崎県のHP.の「長崎県の文化財」の中の「壱岐古墳群」の項目で、「6世紀後半から7世紀初めにかけて相次いでつくられ、当時の壱岐の首長が埋葬された墓と考えられ6基(前方後円墳2基・円墳4基)からなる。 対馬塚古墳は6世紀後半の前方後円墳で墳長63m、双六古墳は墳長91mに達し、長崎県最大の前方後円墳で金銅製単鳳環頭大刀柄頭を始めとする出土遺物は重要文化財である。6世紀末になると円墳に変わり、笹塚古墳は、直径40mの円墳で、副葬品の金銅製の馬具類は重要文化財である。兵瀬古墳は、直径53.5mの円墳で、引き続き、直径30mの掛木古墳、直径45mの鬼の窟古墳が築造された。これらの古墳には、巨石を用いた横穴式石室を伴っている点も特徴で、全長16.5mの鬼の窟古墳の横穴式石室は、この時期の九州でも屈指の規模を誇る。 壱岐古墳群は、6世紀後半から7世紀にかけての列島内における政治動向のみならず、東アジア世界との交流のあり方を知ることができる。」と記されています。


Posted by じこま at 15:32│Comments(0)
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