2019年06月27日

[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m

 東北学院大学の辻秀人さんらによる『福島県双葉郡浪江町 狐塚古墳測量調査報告』によると、「測量調査の結果、狐塚古墳は丘陵頂部の地形を利用して築かれた東北地方においては比較的大型の前方後円墳であることが判明した。古墳は前方部を東に東西方向を主軸として築造されている。全長約46 m、後円部直径26.5m、後円部比高約4m、前方部長さ26 m前後、前方部前端15 m前後、前方部比高1.25m を測る。全体の形状は後円部に比較して前方部の幅がせまく、細長い点に特徴がある。浪江町内では同じ丘陵の東側にある堂の森古墳(福島県立博物館 1987)に次ぐ規模である。 古墳の北側にはかつて畑が造成されていたため、墳丘北側は後円部北東部からくびれ部、前方部にかけて一部削られており、前方部では削られた土が古墳墳丘に盛られているために本来の姿を保っていない。また、後円部墳丘平坦面の南側には大きなくぼみがあり、掘削された痕跡と見られた。その他の部分はほぼ損傷はなく、保存良好である。」(p.11)と述べられています。また、上記報告書では、鹿屋敷遺跡についても、「狐塚古墳の西側から北西にかけて、段丘上の平坦面に鹿屋敷遺跡が広がる。遺跡の中心部が1986年に発掘調査が実施され、古墳時代から奈良・平安時代に及ぶ多数の竪穴住居跡等が検出された(浪江町教育委員会 1988)。また、町道に関わる調査の発掘区では、古墳時代の住居跡や古式土師器などが出土した(浪江町教育委員会 1997)。その他に早期末葉、弥生時代中期の資料が認められる。鹿屋敷遺跡は、この地域の中心的な大規模集落であり、古墳時代にも多くの竪穴住居が分布している。狐塚古墳、安養院古墳群、堂の森古墳はこの集落を営んだ勢力によって築造された可能性が高い。」(p.4)と述べられています。

 後円部中央。右側。左側。
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m

 前方部右側。左側。
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m


 後円部墳頂。
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m

 後円部端全景。
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m


 前方部から後円部。前方部右隅から後円部。
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m



  おまけのおまけ 鹿屋敷遺跡の発掘調査

 説明板。
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m


 調査地。
[1312-2-1] 堂ノ森古墳のおまけの「狐塚古墳」 福島県浪江町 46m
            以上2019年6月撮影。



Posted by じこま at 09:09│Comments(0)
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