2020年03月23日
追加1121-2 寺音寺古墳のおまけの「辻堂古墳」 三重県伊賀市 円墳(前方後円墳) 径約20m
古墳は、封土や天井石がなくなっており、横穴式石室のみが残存しています。
「広報いが市 2006年5月1日号」の「伊賀の文化財18 市指定史跡辻堂古墳(中村)」の項目で、「辻堂古墳は、中村地区の丘陵裾部に位置する古墳で、昭和47年に発掘調査が行われました。 6世紀中ごろに造られた直径約20m の円墳と考えられていますが、前方後円墳の可能性も残されています。 両袖式の横穴式石室で、玄室は長さ5m 、幅1.9m 、羨道の長さは4.5mです。石室には全面に石が敷かれており、中央に排水溝が造られています。玄室内には中央奥よりと西側袖に二つの組み合わせ式石棺が据えられていました。中央の石棺が石室構築時に造られたもので、袖の石棺は追葬時の遺骨整理用のものと考えられています。」と記されています。旧大山田村の史跡でしたが、現在は伊賀市の史跡となっています。
約2km北西に寺音寺古墳(ランキング1121位)、約1km北北東に鳴塚古墳があります。
標識。大山田村教委の石碑。
石室残存部。手前が玄室。北から。
石室残存部。手前が羨道。南から。 以上2020年3月撮影。
「広報いが市 2006年5月1日号」の「伊賀の文化財18 市指定史跡辻堂古墳(中村)」の項目で、「辻堂古墳は、中村地区の丘陵裾部に位置する古墳で、昭和47年に発掘調査が行われました。 6世紀中ごろに造られた直径約20m の円墳と考えられていますが、前方後円墳の可能性も残されています。 両袖式の横穴式石室で、玄室は長さ5m 、幅1.9m 、羨道の長さは4.5mです。石室には全面に石が敷かれており、中央に排水溝が造られています。玄室内には中央奥よりと西側袖に二つの組み合わせ式石棺が据えられていました。中央の石棺が石室構築時に造られたもので、袖の石棺は追葬時の遺骨整理用のものと考えられています。」と記されています。旧大山田村の史跡でしたが、現在は伊賀市の史跡となっています。
約2km北西に寺音寺古墳(ランキング1121位)、約1km北北東に鳴塚古墳があります。
標識。大山田村教委の石碑。
石室残存部。手前が玄室。北から。
石室残存部。手前が羨道。南から。 以上2020年3月撮影。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)