2020年05月22日

番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m

 多くの研究者が、斉明大王(天皇)が被葬者と考えている古墳です。前回の赤坂天王山古墳と同じく、宮内庁が治定する天皇陵古墳とは異なっています。森浩一さんは、『天皇陵古墳への招待』の中で、斉明(皇極)天皇陵古墳については、「□」の「付近により適当な古墳があり、検討すべきである。」としています。また、この古墳の横口式石槨には、2基の棺台が造られており、大王とその娘の間人皇女の合葬墓の可能性が指摘されています。そして、この古墳の墳形は、飛鳥時代後半の大王(天皇)の墓に特徴的な八角墳であることが発掘調査によって明らかとなっています。古墳は国の史跡に、夾紵棺の残片などの出土品は重要文化財に指定されています。
 奈良文化財研究所が2015年に発行した『三次元計測による飛鳥時代の石工技術の復元的研究』では、「明日香村越に所在する牽牛子塚古墳は、二上山凝灰岩製の刳抜式横口式石槨を埋葬施設とする終末期古墳で、2009~2010年の発掘調査により、墳丘を二上山凝灰岩で外装した対辺長22 mを測る八角墳であることが判明した」(p.17)と述べられています。
 また、明日香村のHP.の「牽牛子塚古墳」の項目で、「牽牛子塚古墳は明日香村大字越に所在する終末期古墳で別名「御前塚」「あさがお塚古墳」と呼ばれています。 昭和53年には環境整備事業の一環として発掘調査が実施されています。 墳丘は対角長18.5m高さ約4mの八角形墳で版築によって築かれています。埋葬施設は二上山の凝灰角礫岩の巨石を刳り貫いた横口式石槨で中央に間仕切り壁を有しています。両側には長さ約2mの墓室があり、壁面には漆喰が塗布されています。床面には長さ約1.95m、幅約80cmの棺台が削り出されています。(中略) 飛鳥の刳り貫き横口式石槨墳については益田岩船や鬼の俎・雪隠古墳があり、牽牛子塚古墳と益田岩船は巨石を刳り貫いたタイプで鬼の俎・雪隠古墳(石宝殿古墳(寝屋川市)では床石と蓋石が別々に構成されています。この二つのタイプの前後関係については石宝殿古墳に羨道が存在することから羨道を持つタイプから持たないタイプへと変化していったものと考えられます。(中略)築造年代については出土遺物等から7世紀後半頃と考えられます。 被葬者については古墳の立地や歯牙等から斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考える説が有力です。」と記されています。
 おっさんが最初に訪問した9年前は、一人の見学者もいませんでした。その6ケ月前の現地説明会では、「夢の国」の人気アトラクションの行列状態だったそうですが・・・。5年程前に再訪した時は、発掘調査中で墳丘はシートで覆われていました。ただし、横口式石槨は柵の外から見ることができました。

 
 石柱。説明板。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m

 看板。掲示板。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m


 石槨入口。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m

 石槨内部2つ。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m


 シートで覆われた墳丘。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m


 ほぼ全景。東から。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m

 全景。北東から。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m
            以上2015年10月撮影。

 説明板。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m


 石槨入口。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m


 墳丘近景。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m


 遠景。
番外 牽牛子塚(けんごしづか)古墳 奈良県明日香村 八角墳 対角長約22m
              以上2011年4月撮影。



Posted by じこま at 08:08│Comments(0)
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