2020年05月24日
番外 車木ケンノウ古墳 奈良県高取町 円墳 径45(16?)m
宮内庁が、斉明天皇の「越智崗上陵」と治定している古墳です。ただし、前にも書きましたが、真の斉明大王(天皇)の墓は、この車木ケンノウ古墳ではなく、発掘調査の結果八角墳であることが明らかとなった牽牛子塚古墳が確実視されています。
奈良県の「2010年の奈良の実景」のHP.の「車木ケンノウ古墳(斉明天皇陵) (くるまきけんのうこふん/さいめいてんのうりょう)」の項目で、「直径約45メートルの円墳。斉明天皇は、大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/のちの天智天皇)の母である。(中略) 越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)に葬られたとされ、宮内庁によって高市郡高取町にある「車木ケンノウ古墳」が斉明天皇陵に指定されている。しかし、研究者の間では、明日香村の牽牛子塚古墳が陵墓として有力視されているほか、同じく明日香村の岩屋山古墳や、橿原市の小谷古墳も候補として挙げられているなど、見解が分かれている。斉明天皇陵の近くには、天智天皇の皇女で天武天皇の妃(きさき)・大田皇女墓がある。」と記されています。
ただし、ブログ「まぁ坊の思いつくまま考古学日記」の「2010.10.31 車木ケンノウ塚古墳(斉明天皇越智崗上陵)」の項目では、「車木ケンノウ塚古墳は直径約16メートル、高さ約3メートルの円墳とされていますが、地形図を見ると墳丘の残存状態はあまり良くないのではないかと考えています。少なくとも八角形にはなりそうにありません。 玉垣に沿って1周してみましたが、墳丘よりも広く囲っているようで、墳丘の様子を知るような観察はほとんど出来ませんでした。」と書かれています。
制札。
2つで全景か。
全景。 以上2011年4月撮影。
奈良県の「2010年の奈良の実景」のHP.の「車木ケンノウ古墳(斉明天皇陵) (くるまきけんのうこふん/さいめいてんのうりょう)」の項目で、「直径約45メートルの円墳。斉明天皇は、大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/のちの天智天皇)の母である。(中略) 越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)に葬られたとされ、宮内庁によって高市郡高取町にある「車木ケンノウ古墳」が斉明天皇陵に指定されている。しかし、研究者の間では、明日香村の牽牛子塚古墳が陵墓として有力視されているほか、同じく明日香村の岩屋山古墳や、橿原市の小谷古墳も候補として挙げられているなど、見解が分かれている。斉明天皇陵の近くには、天智天皇の皇女で天武天皇の妃(きさき)・大田皇女墓がある。」と記されています。
ただし、ブログ「まぁ坊の思いつくまま考古学日記」の「2010.10.31 車木ケンノウ塚古墳(斉明天皇越智崗上陵)」の項目では、「車木ケンノウ塚古墳は直径約16メートル、高さ約3メートルの円墳とされていますが、地形図を見ると墳丘の残存状態はあまり良くないのではないかと考えています。少なくとも八角形にはなりそうにありません。 玉垣に沿って1周してみましたが、墳丘よりも広く囲っているようで、墳丘の様子を知るような観察はほとんど出来ませんでした。」と書かれています。
制札。
2つで全景か。
全景。 以上2011年4月撮影。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)