2021年02月09日
番外 断上山10号墳のおまけの「9号墳」 愛知県新城市 方墳 辺17m
標高60~70mの台地南端に立地している古墳です。約50m北西に10号墳が位置しています。2基ともに、愛知県の史跡に指定されています。
須川勝以さんは、「第9号墳は、1973年の発掘調査によって、径約17m、高さ3mの円墳であるとされ、墳頂部には径6mにおよぶ平坦部の存在が確認されている。ただし前述のように墳形については、方墳ではないかとの疑問が呈され、測量図を見る限りその可能性は高いと思われる。(中略)第9号墳では斜面に葺石が見られ、それが2段になる可能性も指摘されている。周濠はなかったようである。」と述べています(「218 断上山古墳群」p.649、『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』所収)。 ここでは、一辺17mの方墳として書いています。
余談ですが、この9号墳は通称「物見塚」とよばれ、「長篠・設楽原の戦」の際、徳川家康が敵陣の様子をここから伺っていたと伝えられています。確かに、この付近からは、連吾川を挟んで対峙していた武田軍の様子が手に取るようにわかると思いました。また、この古墳の立地する台地の南西端には、八剱神社があり、この場所が家康の本陣となっていました。
以上、1月28日のブログ、「馬越長火塚古墳のおまけの『大塚南古墳』」の中で書いた、古墳マニアと城(戦国時代)マニアのコラボ第一弾です。
標柱。「家康物見塚跡」石碑と表示。
墳頂。
近景。全景。 以上2021年2月撮影。
標柱。
全景2つ。 以上2013年8月撮影。
おまけ 「長篠・設楽原古戦場」
「長篠役設楽原決戦場」の石碑。
9号墳付近からみる戦場跡。
家康本陣跡。石碑。新城市教委の説明板。八剱神社。 以上2021年2月撮影。
須川勝以さんは、「第9号墳は、1973年の発掘調査によって、径約17m、高さ3mの円墳であるとされ、墳頂部には径6mにおよぶ平坦部の存在が確認されている。ただし前述のように墳形については、方墳ではないかとの疑問が呈され、測量図を見る限りその可能性は高いと思われる。(中略)第9号墳では斜面に葺石が見られ、それが2段になる可能性も指摘されている。周濠はなかったようである。」と述べています(「218 断上山古墳群」p.649、『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』所収)。 ここでは、一辺17mの方墳として書いています。
余談ですが、この9号墳は通称「物見塚」とよばれ、「長篠・設楽原の戦」の際、徳川家康が敵陣の様子をここから伺っていたと伝えられています。確かに、この付近からは、連吾川を挟んで対峙していた武田軍の様子が手に取るようにわかると思いました。また、この古墳の立地する台地の南西端には、八剱神社があり、この場所が家康の本陣となっていました。
以上、1月28日のブログ、「馬越長火塚古墳のおまけの『大塚南古墳』」の中で書いた、古墳マニアと城(戦国時代)マニアのコラボ第一弾です。
標柱。「家康物見塚跡」石碑と表示。
墳頂。
近景。全景。 以上2021年2月撮影。
標柱。
全景2つ。 以上2013年8月撮影。
おまけ 「長篠・設楽原古戦場」
「長篠役設楽原決戦場」の石碑。
9号墳付近からみる戦場跡。
家康本陣跡。石碑。新城市教委の説明板。八剱神社。 以上2021年2月撮影。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)