2020年05月26日

番外 野口王墓古墳 奈良県明日香村 八角墳 39(38×45・58×45)m

 宮内庁が、天武・持統天皇の合葬墓「檜隈大内陵」として治定している古墳です。多くの研究者もその見解については、首肯しています。森浩一さんは、『天皇陵古墳への招待』の中で、「40天武(41持統を合葬)」は、「○」として「ほとんど疑問がない。」としています。ただし、先回少し書きましたが、江戸時代には、天武・持統天皇陵は見瀬(五条野)丸山古墳と考えられ、この野口王墓古墳は文武天皇陵と考えられていたそうです。明治時代に入って、『阿不幾乃山陵記』という書物が発見され、その記述に基づいて1881(明治14)年に野口王墓古墳が天武・持統天皇陵として正式に治定されています。
 奈良県の「2010年奈良の実景」のHP.の「天武・持統天皇陵(野口王墓古墳)(てんむ・じとうてんのうりょう/のぐちおうぼこふん)」の項目で、「概要 飛鳥時代に築造された八角形墳で、東西約38メートル、南北約45メートル。 宮内庁は、第40代天武天皇と、その皇后である持統天皇を合葬した檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)に治定している。 天武天皇は、壬申の乱で大友皇子を倒した大海人皇子(おおあまのおうじ)としても知られる。 第41代持統天皇は女帝として皇位を継承し、藤原京を造営した。亡くなった後、火葬されて天武天皇の墓に合葬されたが、天皇の火葬はこれが最初の例である。」と記されています。ただし、明日香村の説明板では、「墳丘は現在東西約58m、南北径45mの円墳状をなしている。」と記されています。
 余談ですが、最初の訪問と2度目では、制札が新しい物に変更されていました。     


 制札。明日香村の説明板。
番外 野口王墓古墳 奈良県明日香村 八角墳 39(38×45・58×45)m
番外 野口王墓古墳 奈良県明日香村 八角墳 39(38×45・58×45)m


 全景。
番外 野口王墓古墳 奈良県明日香村 八角墳 39(38×45・58×45)m
            以上2014年6月撮影。

 制札。
番外 野口王墓古墳 奈良県明日香村 八角墳 39(38×45・58×45)m


 全景。
番外 野口王墓古墳 奈良県明日香村 八角墳 39(38×45・58×45)m

 遠景。
番外 野口王墓古墳 奈良県明日香村 八角墳 39(38×45・58×45)m
              以上2010年6月撮影。



Posted by じこま at 08:08│Comments(0)
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