2025年04月05日
補遺[1227-35] 花山6号墳[岩橋千塚古墳群花山支群] 和歌山県和歌山市 約60m←49m
古墳は、岩橋千塚古墳群が立地する岩橋山塊の北端の花山エリアに位置しています。花山エリアは、4世紀第4四半期から5世紀第4四半期にかけて造墓活動が盛んで、岩橋千塚古墳群で最初に前方後円墳が築造された地域と考えられています。
下記の絵は、10年ほど前に、花山2号墳(ランキング871位)訪問の際立ち寄ったものですが、6号墳か否か自信がありません。そのため、2025年3月の天王塚古墳の石室公開後に訪問しましたが、気力・体力の限界ギリギリで花山を彷徨ったため、6号墳と断定できる絵は撮れませんでした。「グスン」。
奈良女子大学の「全国古墳データベース」の「花山6号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:1段、後円部:1段 墳長:49m 後円部:径径(ママ)27m 高4.5m 前方部:幅24m 長25m 高3.5m」と記されていました。
ただし、丹野拓さんは、「五世紀末頃に淡輪古墳群にかわって、紀伊周辺の地域でもっとも上位の古墳群として岩橋千塚古墳群な新たな体制が確立する。それは、墳長約六〇メートルの大型前方後円墳である花山六号墳を大首長墓として、墳長二五~三二メートルの中型前方後円墳である大谷山六号墳、花山三三号墳を中小首長墓とする体制である。」と述べています(丹野拓・米田文孝『紀国造家の実像をさぐる 岩橋千塚古墳群』p.53)。そのため、後者を参考に墳長「約60m」のランキング古墳として掲載しました。
この古墳は、岩橋千塚古墳群を構成する一基ですが、花山エリアは特別史跡の指定範囲外となっています。そのため、県・市も含めて史跡指定はありません。
後円部右側か。左側か。

前方部右側か。左側か。

前方部から後円部か。
後円部墳頂の盗掘抗か。
遠景。北東から。
以上2015年10月撮影。
下記の絵は、10年ほど前に、花山2号墳(ランキング871位)訪問の際立ち寄ったものですが、6号墳か否か自信がありません。そのため、2025年3月の天王塚古墳の石室公開後に訪問しましたが、気力・体力の限界ギリギリで花山を彷徨ったため、6号墳と断定できる絵は撮れませんでした。「グスン」。
奈良女子大学の「全国古墳データベース」の「花山6号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:1段、後円部:1段 墳長:49m 後円部:径径(ママ)27m 高4.5m 前方部:幅24m 長25m 高3.5m」と記されていました。
ただし、丹野拓さんは、「五世紀末頃に淡輪古墳群にかわって、紀伊周辺の地域でもっとも上位の古墳群として岩橋千塚古墳群な新たな体制が確立する。それは、墳長約六〇メートルの大型前方後円墳である花山六号墳を大首長墓として、墳長二五~三二メートルの中型前方後円墳である大谷山六号墳、花山三三号墳を中小首長墓とする体制である。」と述べています(丹野拓・米田文孝『紀国造家の実像をさぐる 岩橋千塚古墳群』p.53)。そのため、後者を参考に墳長「約60m」のランキング古墳として掲載しました。
この古墳は、岩橋千塚古墳群を構成する一基ですが、花山エリアは特別史跡の指定範囲外となっています。そのため、県・市も含めて史跡指定はありません。
後円部右側か。左側か。
前方部右側か。左側か。
前方部から後円部か。
後円部墳頂の盗掘抗か。
遠景。北東から。
Posted by じこま at
07:07
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