2024年08月08日

番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m

 今から14年以上前、昔の石室覆屋時代に訪問した古墳です。曖昧ですが、この古墳の近くで葬儀があり、喪服のまま立ち寄り、急いで絵を撮った記憶があります。「罰当たりダラー」。
 訪問当時は、下記の説明板に、「昭和三八年(おっさん註 1963年)の発掘調査の結果、二段築成の円墳で、直径約三〇メートル、高さ三.五メートル」と記されているように円墳と考えられていました。
 ただし現在では、2015年(平成27年)の石室覆屋の立替工事にともなう発掘調査により、直径38.9mの主丘部に前方部を備える帆立貝形前方後円墳と復元案が示されています。
 豊田市博物館の展示ガイド「とよた記憶トラベル」にある「弥生・古墳」の「地域の王の姿」の項目で、「6世紀前半築造の豊田大塚古墳は墳長50m程の帆立貝式古墳で、西三河地域の後期古墳の中で最大規模です。石室からは装飾須恵器をはじめとして卓越した副葬品が出土しました。この古墳に葬られた人物は、西三河地域では比類なき力を持つ盟主であったと考えられます。」と記されています。
 この古墳は、愛知県の史跡に指定されています。また、未盗掘の横穴式石室から出土した装飾須恵器・馬具・直刀・銅鏡などは国の重要文化財に指定されています。


 案内板。
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m

 石柱。
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m

 豊田市教委の説明板。
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m


 当時の石室覆屋。覆屋入口。
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m

 石室内部。
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m


 前方部から後円部。南東から。
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m

 後円部端か?。北西からか?
番外 愛知県の古墳㊴ 豊田大塚古墳 豊田市 帆立貝形前方後円墳 推定約50m
         以上2010年4月撮影。



Posted by じこま at 07:07│Comments(0)
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