2024年09月11日

番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m

 古墳は前回の東大久手古墳の約50m東に位置し、東大久手古墳や前々回の西大久手古墳と同形・ほぼ同規模です。出土した埴輪・須恵器から5世紀中葉から5世紀末にかけて、西大久手古墳→大久手5号墳→東大久手古墳の順に築造されたと考えられています。また、3基の古墳の主軸もほぼ同じ方向をむいているそうです。このことから、被葬者は親→子→孫と血縁関係にあった可能性を妄想してしまいました。
 最初の訪問時は池の堤防付近の絵を撮っただけでしたが、再訪時には北側半分の墳丘が復元されており、いい絵が撮れました。
 深谷淳さんは、名古屋市教育委員会文化財保護室発行の『国史跡 志段味古墳群の実像』の「大久手5号墳」の項目で、「墳丘 東北東ー西南西に主軸をとる帆立貝式古墳。戦後直後は、墳丘はおおむね原形をとどめた状態で、大久手池北東端の堤防に取り込まれていたが、それ以降1961年までのあいだに、大久手池の北東部が拡張され、それにともない後円部の南側が削平されるとともに堤防も改変された。 墳丘規模は墳長約38m・後円部径約29mと推定される。段築構造は後円部2段、前方部1段の可能性が高く、前方部頂平坦面と後円部1段目テラスは接続すると考えられる。(後略)」(p.62)と述べています。
 余談ですが、最後の絵に写る東谷山山頂・尾根に、前期古墳で国史跡の尾張戸神社古墳・中社古墳・南社古墳(以上2019年2月28日のブログに掲載)があります。


 残存部。
番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m

 残存部。右上が東大久手古墳。
番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m
         以上2013年6月撮影。


 名古屋市教委の説明板。
番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m


 全景。手前が前方部、奥が後円部。南西から。
番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m

 全景。手前が前方部左側、左奥が後円部。西から。
番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m
       

 名古屋市教委の説明板「東谷山を向いて並ぶ帆立貝式古墳」。
番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m


 中央が東谷山。中央下が大久手5号墳、左が東大久手古墳。
番外 愛知県の古墳52-4 大久手5号墳[志段味古墳群] 名古屋市 帆立貝形前方後円墳 約38m
        以上2017年12月撮影。



Posted by じこま at 07:07│Comments(0)
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