2024年11月06日
番外 岐阜県の古墳⑯ 衣裳塚古墳[鵜沼西町古墳群] 各務原市 円墳 径52m
古墳は「空安寺」の境内というか駐車場の北側に位置しています。お寺の南側には中山道が通っています。古墳時代の「古東山道」もこの地を通っていた可能性があります。
この古墳は交通の要衝に立地し、近くに100m超の大型古墳があるため、寺院の建立で前方部が削られた推定90m規模(おっさん註①)の前方後円墳説におっさんは魅力を感じました。ただし、確証がないため、ここでは下記のHP.を参照に岐阜県で最大の円墳としました。
岐阜県のHP.の「衣裳塚古墳[いしょうづかこふん]」の項目で、「衣装(ママ)塚古墳は、各務原台地の東端部、一輪山古墳と坊の塚古墳との中間に位置する。 直径52m、高さ7mの円墳で、墳頂部平坦地は直径12.73mである。隣接する寺院の削平状況から本古墳が円墳ではなく、前方後円墳ではないかという説もある。 墳丘の東部及び南部は一部開墾されて畑地となっているが、発掘された形跡もなく原形をよくとどめている。築造時期については、4世紀末から5世紀前半と考えられている。(後略)」と記されています。
「衣裳塚古墳」という名称で、岐阜県の史跡に指定されています。また、約350m南西に岐阜県で2番目に規模の大きな坊の塚古墳(ランキング152位)があります。
おっさん註① 衣裳塚古墳が近接した坊の塚古墳と同一の設計図で築造された前方後円墳であると仮定 坊の塚古墳の全長:後円部の直径=衣裳塚古墳の全長:後円部の直径となるので、120m:72m=X:52m X=86.666m≒87m
おっさん註② 衣裳塚古墳の墳形について、各務原市埋蔵文化財調査センターの担当者に問い合わせたところ、古墳西側の空安寺には前方部の痕跡は確認されず、墳丘南側でも確認できなかったそうです。註①の計算は徒労だったようです。
各務原市教委の説明板。
説明板と標柱。
墳頂の石塔等。
墳丘の一部。
やや全景。南から。
やや全景。西から。 以上2016年10月撮影。
標柱。
3つで全景。中央。右側。左側。
墳頂。
全景。南から。 以上2011年8月撮影。
この古墳は交通の要衝に立地し、近くに100m超の大型古墳があるため、寺院の建立で前方部が削られた推定90m規模(おっさん註①)の前方後円墳説におっさんは魅力を感じました。ただし、確証がないため、ここでは下記のHP.を参照に岐阜県で最大の円墳としました。
岐阜県のHP.の「衣裳塚古墳[いしょうづかこふん]」の項目で、「衣装(ママ)塚古墳は、各務原台地の東端部、一輪山古墳と坊の塚古墳との中間に位置する。 直径52m、高さ7mの円墳で、墳頂部平坦地は直径12.73mである。隣接する寺院の削平状況から本古墳が円墳ではなく、前方後円墳ではないかという説もある。 墳丘の東部及び南部は一部開墾されて畑地となっているが、発掘された形跡もなく原形をよくとどめている。築造時期については、4世紀末から5世紀前半と考えられている。(後略)」と記されています。
「衣裳塚古墳」という名称で、岐阜県の史跡に指定されています。また、約350m南西に岐阜県で2番目に規模の大きな坊の塚古墳(ランキング152位)があります。
おっさん註① 衣裳塚古墳が近接した坊の塚古墳と同一の設計図で築造された前方後円墳であると仮定 坊の塚古墳の全長:後円部の直径=衣裳塚古墳の全長:後円部の直径となるので、120m:72m=X:52m X=86.666m≒87m
おっさん註② 衣裳塚古墳の墳形について、各務原市埋蔵文化財調査センターの担当者に問い合わせたところ、古墳西側の空安寺には前方部の痕跡は確認されず、墳丘南側でも確認できなかったそうです。註①の計算は徒労だったようです。
各務原市教委の説明板。
説明板と標柱。
墳頂の石塔等。
墳丘の一部。
やや全景。南から。
やや全景。西から。 以上2016年10月撮影。
標柱。
3つで全景。中央。右側。左側。
墳頂。
全景。南から。 以上2011年8月撮影。
Posted by じこま at 07:07│Comments(0)