2024年11月10日
補遺[1072] 広瀬亀塚古墳 岐阜県高山市 円墳 径61~70(38)m
消滅古墳です。古墳は、現在の国府小学校の運動場内にありましたが、大正時代に拡張工事のため破壊されたそうです。運動場には、古墳の説明板が設置されています。しかし、正確な場所が不明なまま訪問したので、校舎近辺の遠景の絵を撮っただけでした。
奈良女子大学の「全国古墳データベース」の「広瀬亀塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:円墳 規模:径38m」と記されています。
ただし、下記のように全長60m以上の大型古墳であったとする意見もあります。「中期後葉には地籍図から復元できる全長六一メートルの造り出し円墳の飛騨市(おっさん註 高山市の誤り)亀塚古墳がある。」(中井正幸「六 東海 【東海西部】」p.333、広瀬和男・和田晴吾編『講座日本の考古学7 古墳時代上』所収)。また、運動場内に設置された説明板にも、「1.古墳の形は円墳で、直径は約70m・高さ約9mであった。」と記されています。
後者の復元数値が正しいとすれば、当然ランキング古墳となります。ここでは、「61mの造り出し付円墳」と考えて、「番外」とせず「補遺」としました。
約850m北東に、三日町大塚古墳(ランキング317位)があります。
余談ですが、高山市国府町には、三日町大塚古墳、こう峠口古墳、そしてこの広瀬亀塚古墳と全長60m以上のランキング古墳が3基もあった可能性があります。また、国衙跡は確認されていないようですが、小学校名に「国府」とあるように、この地には「飛騨国」の国府があったようです。古墳時代から律令時代にかけて、この地が政治の中心地であったと思われます。
遠景。中央の建物が小学校の校舎。
遠景。
遠景。 以上2010年10月撮影。
奈良女子大学の「全国古墳データベース」の「広瀬亀塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:円墳 規模:径38m」と記されています。
ただし、下記のように全長60m以上の大型古墳であったとする意見もあります。「中期後葉には地籍図から復元できる全長六一メートルの造り出し円墳の飛騨市(おっさん註 高山市の誤り)亀塚古墳がある。」(中井正幸「六 東海 【東海西部】」p.333、広瀬和男・和田晴吾編『講座日本の考古学7 古墳時代上』所収)。また、運動場内に設置された説明板にも、「1.古墳の形は円墳で、直径は約70m・高さ約9mであった。」と記されています。
後者の復元数値が正しいとすれば、当然ランキング古墳となります。ここでは、「61mの造り出し付円墳」と考えて、「番外」とせず「補遺」としました。
約850m北東に、三日町大塚古墳(ランキング317位)があります。
余談ですが、高山市国府町には、三日町大塚古墳、こう峠口古墳、そしてこの広瀬亀塚古墳と全長60m以上のランキング古墳が3基もあった可能性があります。また、国衙跡は確認されていないようですが、小学校名に「国府」とあるように、この地には「飛騨国」の国府があったようです。古墳時代から律令時代にかけて、この地が政治の中心地であったと思われます。
遠景。中央の建物が小学校の校舎。
遠景。
遠景。 以上2010年10月撮影。
Posted by じこま at 07:07│Comments(0)