2025年05月11日

番外 石川県の古墳⑮ー2 国分尼塚2号墳[国分尼塚古墳群] 七尾市 前方後方墳 33m

 前回の1号墳の北側に隣接する前方後方墳です。古墳は、南北400m・東西270mの台地の東縁辺に位置しています。台地の中央付近には、鉄塔が建っており目印となっています。
 前回や今年1月15日のブログ「番外 石川県の古墳⑧ 院内勅使塚古墳」でも書きましたが、今までの訪問で古墳を見つけることができず、今回15年ぶりにリベンジを果たすことができました。「メデタシ、メデタシ」。

 奈良女子大学の「全国古墳データベース」の「国分尼塚2号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 墳長:33m 後円(ママ)部:径(ママ)1辺18m 高(空濠底から)現状3.5~3m 前方部:幅11m 高1~2m」と記されています。


 後方部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。

 後方部墳頂。


 全景(横から)。右が後方部、左が前方部。西から。

 遠景。右が1号墳、左が2号墳。西から。


 七尾ラジオ中継局の鉄塔。
        以上2025年4月撮影。

   


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2025年05月09日

番外 石川県の古墳⑮ー1 国分尼塚1号墳[国分尼塚古墳群] 七尾市 前方後方墳 53m

 2019年4月5日のブログ「1240-1 矢田高森古墳のおまけの「国分尼塚古墳群」」で、古墳と思い込みたかった絵を掲載していました。やはり、過去(2010年と14年)の訪問では、誤った古墳の絵しか撮っていませんでした。
 そのため、今回はグーグルマップの位置情報を活用して、なんとか古墳にたどり着くことができました。「3度目の正直」で、やっと胸のつかえが取れました。今まで、西の方角を北と勘違いしていたことが失敗の原因でした。「勘に頼ってばかりではダメだらー」。

 奈良女子大学の「全国古墳データベース」の「国分尼塚1号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 墳長:52.5m 後円(ママ)部:径(ママ)1辺28m 高(空濠底から)2.7~3.8m 前方部:幅20m 高1.8~3m」と記されています。


 後方部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。
        
 後方部墳頂。


 全景(横から)。右が後方部、左が前方部。西から。
        以上2025年4月撮影。  


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2025年05月07日

追加1098 兜山古墳 福井県鯖江市 円墳 径70m←60m

 この古墳は2014年5月に訪問し、2019年1月18日のブログで、「1098 兜山古墳」として掲載していました。
 ただし、当時の墳丘は社叢に覆われ、60m規模の円墳とされていました。その後の発掘調査で、幅17m前後の周溝を有する直径70mの円墳であることが確認され、墳丘整備によって現在の姿となりました。そのため、新たな絵を撮ろうと思い再訪しました。

 鯖江市のHP.の「兜山古墳」の項目で、「兜山古墳の墳丘規模は、直径約70m、掘割底から墳頂部までの高さは北西側で約6m、東側で9m以上にもなり、円墳としては北陸地方最大級のものである。昭和59年と平成3年・13年に墳丘裾部の発掘調査が実施され、墳丘の周囲に幅約17mの周溝が巡っていることが明らかとなっており、周溝によって区画された墓域は実に直径90mを超える規模となる。また、二段築成であることは表面観察で容易に確認できるものの、葺石や埴輪は確認されていない。さらに、埋葬施設や副葬品については未調査のため不明であり、先の発掘調査でも古墳の築造年代を示すような遺物は出土していないが、5世紀代には全国的に大型円墳が造られていることから、本墳も5世紀代と推定されている。」と記されています。
 古墳は、福井県の史跡から1977年に国の史跡に指定変更されています。


                     石柱。

 説明板。4つ。 


 墳頂の社殿。


 2つで全景。


 やや全景。2つ。
 以上2025年4月撮影。  


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2025年05月07日

 お知らせ。

 「番外 福井県の古墳」は、これで終了します。今年4月上旬に、福井県・石川県・富山県の古墳を訪問しましたので、しばらく北陸地方の古墳を掲載します。  


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2025年05月05日

番外 福井県の古墳⑮ 丸山塚古墳[天徳寺古墳群] 若狭町 円墳 径50m 

 下記のように「消滅古墳」です。跡地には、「丸山古墳跡」と記された石碑が、「墳丘」のような盛土の上に設置されています。また、その周囲には巨石が並べられています。石室の石材の一部なのでしょうか。
 
 若狭町歴史文化館の「若狭町古墳マップ」の「11 丸山塚古墳」の項目で、「十善の森古墳の北250mの位置に、丸山塚古墳と呼ばれる直径50mの巨大な円墳がありました。葺石、埴輪を持ちませんが、巨大な石材を使った横穴式石室が築かれていました。しかしながら、昭和28年にこの地方を襲った大水害の復旧のために、墳丘もろとも崩されてしまいました。石室は、玄室長6m、羨道長11mの巨大なものでした。副葬品としては、鏡、飾大刀、馬具、鉄刀、甲、水晶製三輪玉、須恵器などが発見されました。」と記されています。
 古墳は、「丸山古墳」という名称で、若狭町の史跡に指定されています。
 この丸山塚古墳とともに、天徳寺古墳群を構成す十善の森古墳(ランキング872位)は、2018年10月13日のブログで掲載しています。


 標柱。

 石碑。


 跡地。南から。
         以上2010年8月撮影。

 跡地。南から。
        2015年3月撮影。  


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2025年05月03日

番外 福井県の古墳⑭ー3 向山3号墳[向山古墳群] 若狭町 円墳 径不詳m 

 前々回の1号墳の前方部の東側に隣接する円墳です。古墳の規模に関するデータを見つけることができなかったので、「径不詳」としました。


 墳頂。中央奥に1号墳の前方部端。東から。


 やや全景。
        以上2015年3月撮影。  


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2025年05月02日

番外 福井県の古墳⑭ー2 向山2号墳[向山古墳群] 若狭町 円墳 径不詳m 

 前回の1号墳の後円部の西側に隣接する円墳です。古墳の規模に関するデータを見つけることができなかったので、「径不詳」としました。


 墳頂。西から。


 2つで全景。右側。左側。東から。
        以上2015年3月撮影。  


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2025年05月01日

番外 福井県の古墳⑭ー1 向山1号墳[向山古墳群] 若狭町 49m 

 向山1号墳は、向山古墳群の中で主墳的な存在の前方後円墳です。ただし、10年ほど前の訪問で、他の古墳の印象が強く残っているためか、記憶が残っていません。他の古墳とは、約3km北に位置する城山古墳(2018年11月2日のブログで、「925 城山古墳」として掲載)のことですが、ここでは触れません。
 若狭町歴史文化館の「若狭町古墳マップ」の「5 向山1号墳」の項目で、「向山1号墳は、脇袋古墳群の西1.5kmの尾根上に、5世紀中ごろに造られた全長48.6mの前方後円墳です。(中略)前方部に武器埋納施設、後円部に本州最古の横穴式石室があります。円筒・形象埴輪のほか、豊富な武器・武具・馬具・装身具類等が福井県指定有形文化財となっています。」と記されています。

 余談ですが、この古墳が「本州最古の横穴式石室」を有するとは、このブログを書くまでは知りませんでした。横穴式石室は、福岡県福岡市の老司古墳(ランキング630位)や鋤崎古墳(ランキング1037位)が初期のタイプとして知られていますが、この向山1号墳が九州北部の影響下で築造された可能性が高いと思われます。また、この古墳から出土した「金製垂飾付耳飾」は朝鮮半島産と考えられており、被葬者の交流の広域性が想定されます。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 後円部墳頂。


 遠景。南から。
        以上2015年3月撮影。  


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