2025年03月22日
追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超
前回の高山古墳の約700m北に位置し、高山古墳訪問の途中で再訪した超大型古墳です。この島の山古墳は、前にも書きました(2018年2月11日に「41 島の山古墳」として掲載)が、前方部の粘土槨上から多数の腕輪形石製品(車輪石80点・石釧32点・鍬形石21点)が出土したことで著名な古墳です。
再訪時、後円部端中央付近で発掘調査が実施されている様子でした。また、古墳の周囲にはその時々の発掘調査の成果などを記した説明板が12枚設置されており、川西町教委の熱意を感じました。ただし、足のマメに体力・気力を奪われたおっさんは、東側の4枚しか撮っていません。「熱量が足りんダラー」。
川西町教育委員会の「島の山古墳第10次発掘調査について」の「3 まとめ」の中で「墳丘の復元においても大きく前進がありました。今回の発掘調査で検出された埴輪列や墳丘裾の位置を図面に落として復元を試みると、図版9のとおりの復元ラインとなります。この図では島の山古墳の本来の全長は200mを超えることがわかります。」(p.4)と記されています。
古墳は国の史跡に、腕輪形石製品をはじめとする出土品は重要文化財に指定されています。
川西町教委の説明板。①~④。![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0118.JPG)
![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0117.JPG)
![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0116_1.JPG)
![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0114.JPG)
3つで後円部端全景。中央。右側。左側。![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0122.JPG)
![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0123.JPG)
![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0124.JPG)
2つで全景。前方部、東から。くびれ部から後円部、南東から。![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0119.JPG)
![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0120.JPG)
2つで全景。後円部から前方部。前方部端。南から。![追加41 島の山古墳[三宅古墳群] 奈良県川西町 200m超](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0125.JPG)
以上2025年3月撮影。
再訪時、後円部端中央付近で発掘調査が実施されている様子でした。また、古墳の周囲にはその時々の発掘調査の成果などを記した説明板が12枚設置されており、川西町教委の熱意を感じました。ただし、足のマメに体力・気力を奪われたおっさんは、東側の4枚しか撮っていません。「熱量が足りんダラー」。
川西町教育委員会の「島の山古墳第10次発掘調査について」の「3 まとめ」の中で「墳丘の復元においても大きく前進がありました。今回の発掘調査で検出された埴輪列や墳丘裾の位置を図面に落として復元を試みると、図版9のとおりの復元ラインとなります。この図では島の山古墳の本来の全長は200mを超えることがわかります。」(p.4)と記されています。
古墳は国の史跡に、腕輪形石製品をはじめとする出土品は重要文化財に指定されています。
川西町教委の説明板。①~④。
3つで後円部端全景。中央。右側。左側。
2つで全景。前方部、東から。くびれ部から後円部、南東から。
2つで全景。後円部から前方部。前方部端。南から。
Posted by じこま at 07:07│Comments(0)