2025年03月26日
再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m
この古墳は、2018年3月12日のブログ、そして同年同月20日にも「追加・補遺」として掲載しています。
以前のブログでも書きましたが、おっさんが最初に訪問した2010年1月には墳丘内に立ち入ることができました。ただし、2015年4月の再訪時には、「動物霊園予定地」という看板が立てられ周囲はフェンスで囲まれて、古墳に近づくことはできませんでした。古墳は、2018年2月に国指定史跡となり、同年3月の訪問時は墳丘に上ることができましたが、笹藪ばかりでまともな絵が撮れなかったので、リベンジのつもりで今回訪問しました。
天理市のHP.の「西乗鞍古墳」の項目で、「西乗鞍古墳(にしのりくらこふん)は杣之内町(そまのうちちょう)に所在し、東方の東乗鞍古墳や西北方の小墓古墳とともに一群を形成しています。杣之内古墳群では西山古墳に次いで2番目の大きさです。 墳丘は前方部を南に向けた前方後円墳で、全長約118mあります。この墳丘の周辺には、周囲より一段高い幅広い基壇状の平坦地が墳丘を一周するように広がっており、その規模は南北約165mに達します。埋葬施設は明らかになっていませんが、横穴式石室である可能性が想定されています。 これまでの測量調査・発掘調査により、墳丘が上下二段の斜面で造られている可能性が高いこと、周濠と外堤が埋没して現在の広大な平坦地が生まれていること、外堤のさらに外側にも掘割がめぐっていたらしいことなどが確認されています。円筒埴輪・形象埴輪・土師器・須恵器などが出土しており、5世紀末ごろに築造された古墳と考えられています。 西乗鞍古墳は同時期の古墳としては大王墓に次ぐ規模を誇っており、王権を支えた有力豪族の首長墳にふさわしい規模を有しています。」と記されています。
古墳は「杣之内古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
天理市教委の新しい説明板。![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0160.JPG)
説明板の下の「航空レーザー測量画像」。![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0162.JPG)
後円部中央。右側。左側。![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0165.JPG)
![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0166.JPG)
![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0167.JPG)
前方部右側。左側。![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0168.JPG)
![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0169.JPG)
前方部から後円部。![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0170.JPG)
後円部墳頂。![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0164.JPG)
2つで全景。前方部端全景。右手前が前方部、左奥が後円部。![再追加170 西乗鞍古墳[杣之内古墳群] 奈良県天理市 118m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/DSC_0172.JPG)
以上2025年3月撮影。
以前のブログでも書きましたが、おっさんが最初に訪問した2010年1月には墳丘内に立ち入ることができました。ただし、2015年4月の再訪時には、「動物霊園予定地」という看板が立てられ周囲はフェンスで囲まれて、古墳に近づくことはできませんでした。古墳は、2018年2月に国指定史跡となり、同年3月の訪問時は墳丘に上ることができましたが、笹藪ばかりでまともな絵が撮れなかったので、リベンジのつもりで今回訪問しました。
天理市のHP.の「西乗鞍古墳」の項目で、「西乗鞍古墳(にしのりくらこふん)は杣之内町(そまのうちちょう)に所在し、東方の東乗鞍古墳や西北方の小墓古墳とともに一群を形成しています。杣之内古墳群では西山古墳に次いで2番目の大きさです。 墳丘は前方部を南に向けた前方後円墳で、全長約118mあります。この墳丘の周辺には、周囲より一段高い幅広い基壇状の平坦地が墳丘を一周するように広がっており、その規模は南北約165mに達します。埋葬施設は明らかになっていませんが、横穴式石室である可能性が想定されています。 これまでの測量調査・発掘調査により、墳丘が上下二段の斜面で造られている可能性が高いこと、周濠と外堤が埋没して現在の広大な平坦地が生まれていること、外堤のさらに外側にも掘割がめぐっていたらしいことなどが確認されています。円筒埴輪・形象埴輪・土師器・須恵器などが出土しており、5世紀末ごろに築造された古墳と考えられています。 西乗鞍古墳は同時期の古墳としては大王墓に次ぐ規模を誇っており、王権を支えた有力豪族の首長墳にふさわしい規模を有しています。」と記されています。
古墳は「杣之内古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
天理市教委の新しい説明板。
説明板の下の「航空レーザー測量画像」。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部墳頂。
2つで全景。前方部端全景。右手前が前方部、左奥が後円部。
Posted by じこま at 07:07│Comments(0)