2024年10月31日

番外 岐阜県の古墳⑭ 熊野古墳 可児市 円墳 径約20m 

 17年以上前に訪問した古墳です。この当時は、大型の前方後円(方)墳しか興味がなく、アリバイ作りのために墳丘よりも石柱・標柱や説明板を撮っていたので、こんな絵しかありません。  
 岐阜県のHP.の「熊野古墳[くまのこふん]」の項目で、「熊野古墳は、可児川と久々利川に挟まれて東西に伸びた丘陵の西端平地に位置している。円墳の墳丘の封土は、上半がほとんど流出し、横穴式石室の上部が大きく露呈している。 円墳の直径は約20m、高さは3.6mくらいであったと推測されている。玄室の長さは4m、幅1.8mであり、羨道の長さは4.25m、幅1.35mである。天井石は縦4.35m、横2.75mの一枚の巨岩である。この古墳から須恵器が出土したと伝えられる。」と記されています。
 古墳は、岐阜県の史跡に指定されています。


 石柱。


 石室入口。
            以上2007年9月撮影。  


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2024年10月29日

番外 岐阜県の古墳⑬ 高倉山古墳 御嵩町 前方後方墳 42m

 この古墳は、2021年5月22日のブログで「番外 高倉山古墳」として掲載していました。ただし、そのブログで掲載した絵より8年ほど前の絵がありましたので、再掲しました。
 奈良女子大学の「全国古墳データベース」の「高倉山古墳(伏見高倉山古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部1段、後方部1段 墳長:41.5m 後円(ママ)部:径(ママ)1辺24.5m 高4m 前方部:幅13m 長16.5m 高1.2m 特記事項 【備考】前方部前面は地山切断、保存状態はきわめて良好。」と記されています。
 約700m南西に東寺山古墳群(1号墳[2021年5月24日のブログで紹介]・2号墳[2019年5月13日・2021年5月26日のブログで紹介])があります。

 冒頭の旧ブログでも書きましたが、この古墳のある丘陵地の南側には中山道が通っていました。律令時代の東山道やそれ以前の古東山道もこのルートだったとしたら、被葬者は交通の要衝を支配した人物だった可能性があると妄想が広がってしまいました。


 後方部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。


 後方部墳頂。後方部の石碑。


 右が前方部の一部、左が後方部。
        以上2013年6月撮影。  


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2024年10月27日

番外 岐阜県の古墳⑫ 戸狩横穴古墳群 瑞浪市 横穴墓  

 戸狩荒神塚古墳(2019年1月18日のブログで、ランキング1100位として紹介)の訪問時、偶然見つけた古墳群です。おっさんは、横穴墓にはあまり興味がなかったので遠景を撮っただけでした。「差別したらいかんダラー」。
 瑞浪市のHP.の「戸狩横穴群(とがりおうけつぐん)」の項目で、「横穴とは、山や崖の斜面に高さ2メートル程度、奥行き数m程度の規模で掘られた埋葬用の穴で、横穴墓とも呼ばれます。岐阜県では瑞浪市や可児市などにおいて多数の横穴が確認されており、瑞浪市内では、過去に破壊されてしまったものを含めると、これまでに約60基の横穴が確認されており、そのうち30基余りが現存しています。 それらの横穴は、瑞浪市西部の明世地区から中央部の土岐地区の土岐川沿いを中心として、1基ないし数基で築かれていますが、いずれも当地方で「サバ」と呼ばれる砂岩層に掘られています。 戸狩横穴群はその中でも最大級の横穴群で、発掘調査が行われていないため詳細は明らかでありませんが、6世紀後半から7世紀にかけて築かれたものとみられます。13基の横穴が密集して確認されており、横穴の中には一部が崩落しているものもありますが、1~3号横穴は比較的見学が容易です。 なお、本横穴群の西側約100メートルには、岐阜県内最大規模の円墳であり東濃地方唯一の中期古墳でもある戸狩荒神塚古墳(岐阜県指定史跡)が所在しています。」と記されています。
 「戸狩横穴群」という名称で、岐阜県の史跡に指定されています。


 石柱。

 岐阜県教委・瑞浪市教委の説明板。


 遠景。
        以上2015年3月撮影。  


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2024年10月25日

番外 岐阜県の古墳⑪ 東山田2号墳[東山田古墳群] 大垣市 円墳 径不詳 

 東山田古墳(2018年7月18日のブログで、「[668-3] 東山田古墳」として掲載)訪問の際、古墳らしき絵を撮ったものです。
 HP.『大和國古墳墓取調室』の「東山田古墳群」の項目で、2号墳とする画像と下記の石材の絵が類似していたので、2号墳としました。ただし、規模については確認できませんでした。

 余談ですが、大垣は揖斐川の支流杭瀬川と律令時代の東山道が交差する交通の要衝の地に位置しています。弥生時代後期から古墳時代前期を中心とする荒尾南遺跡から大型船が描かれた絵画土器が出土しており、岐阜県で規模最大の昼飯大塚古墳(ランキング71位)も東山道に隣接しています。また、美濃国分寺(国分寺から約2.5km南西の垂井町に美濃国府あり)もこの地にあり、大垣エリアは弥生時代から古代まで美濃の中心地であったと言っても過言ではないと思います。脱線しますが、業界大手の西濃運輸の本社は大垣にあり、大垣共立銀行は地方銀行としては6都府県に店舗展開しており(おっさんの住む豊橋にも複数支店があるじゃん)、現在でも運輸・金融面で影響力があるエリアです。  


 やや全景。


 石室の石材。
        以上2016年5月撮影。  


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2024年10月23日

番外 岐阜県の古墳⑩ 車塚古墳 大垣市 方墳(円墳) 20m以上 

 前々回の大塚1号墳の約200m南に所在する古墳です。「昼飯車塚児童公園」内で保存されています。ただし、現状では墳丘の封土がなく石室がむき出しの「石舞台古墳」状態です。  
 「まとめ 車塚古墳は第1トレンチで確認された墳丘残存状況から、①墳丘規模が 20m 以上の大型古墳であることが判明しました。また②周囲に周壕をめぐらせていたこともわかりました。その幅は2.5 m以上です。この他、石室前面に③小型の石材を側面に積んだ前庭部が確認されました。 古墳の形については限られた調査区からは決定できませんでした。円形(円墳)もしくは方形(方墳)と考えられますが、周壕の状況等からは④方墳の可能性が考えられます。 今回の調査では出土遺物からは古墳の時期は決定することはできませんでしたが、⑤石室の大きさや形から7世紀の初め頃と考えられ、過去に出土したとされる馬具とも矛盾しないものです。」(大垣市教育委員会「2008年11月22日(土) 車塚古墳 現地説明会資料」)と述べられています。
 古墳は、大垣市の史跡に指定されています。


 大垣市教委の説明板。


 石室と墳丘残存部。南から。


 石室と墳丘残存部。東から。
        以上2016年5月撮影。  


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2024年10月21日

番外 岐阜県の古墳⑨ー2 大塚2号墳[大塚古墳群] 大垣市 円墳 径16m

 前回の1号墳から約30m東に位置していた円墳です。2023年8月撮影のグーグルマップでは、住宅建設によって墳丘が削られ更地になった様子が伺えます。1号墳のように、公園化されないと消えゆく運命だったのでしょうか。
 下記の説明板では、「大塚1号墳は、古墳時代中期の古墳で、大塚古墳群(総数5基・内3基は消滅)に属します。東方約30mの大塚2号墳(径15.9m)と合わせて、通称「二ツ塚古墳」と呼ばれています。」と記されていました。


 大垣市教委の説明板。


 全景。北から。


 全景。北西から。
        以上2016年5月撮影。  


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2024年10月19日

番外 岐阜県の古墳⑨ー1 大塚1号墳[大塚古墳群] 大垣市 方墳 辺20m以上 

 この古墳は、岐阜県で規模最大の昼飯大塚古墳(ランキング71位)から約150m西に所在する方墳です。「昼飯第2公園」内に保存されています。
 下記の説明板で、「本来の墳丘は公園の西と南へ広がり、一辺が20m以上の大きさであったと推定されます。」と記されています。そのため、築造当初は、現状よりひと回り大きな規模であったことが確認されています。


 大垣市教委の説明板。


 ほぼ全景。北から。


 全景。北から。
        以上2016年5月撮影。  


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2024年10月17日

番外 岐阜県の古墳⑧ 西中尾古墳群 大垣市 円墳  

 前回の八幡山古墳から、奥の山側に進んでいくと、下記の説明板がありました。説明板によると38基の古墳があるようですが、おっさんは、1基の円墳と2基の古墳の石材の絵を撮っただけでした。
 HP.『大和國古墳墓取調室』の「西中尾古墳群」の項目では、訪問順に1号墳から19号墳まで説明文とともに画像がありました。その画像を参考に、おっさんの撮った絵が何号墳か確認して掲載しました。そのため、「○号墳(仮)」としました。


 説明板。


 5号墳(仮)か?


 2号墳(仮)の石材。


 11号墳(仮)の石材。
        以上2016年5月撮影。  


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2024年10月15日

番外 岐阜県の古墳⑦ 八幡山古墳 大垣市 41m 

 古墳の後円部墳頂に社殿が建立され、前方部端も社殿に上る階段が造られています。
 奈良女子大学の『全国古墳データベース』の「八幡山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:1段、後円部:2段 墳長:41m 後円部:径径(おっさん註 ママ)25m 高4.5m 前方部:幅17m 長16m 高3.5m」と記されています。
 約300m南西に遊塚古墳跡(ランキング566位)、約1km南東に岐阜県最大の規模を誇る昼飯大塚古墳(ランキング71位)があります。


 説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部。


 前方部から後円部。

 やや全景(横から)。右が後円部、左が前方部。
        以上2016年5月撮影。


 後円部墳頂。

 前方部から後円部。

 葺石か?


 2つで全景。後円部。前方部。
        以上2012年2月撮影。  


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2024年10月13日

番外 岐阜県の古墳⑥ 小丸山古墳 山県市 約30m 

 今から10年以上前なので、訪問した記憶がない古墳です。下記の絵とともに「小丸山 山県市」というメモが残っているだけでした。
 額田大玉さんの「古墳とかアレ」の「小丸山古墳」の項目で、「全長30m弱の前方後円墳? 後円部を東(南東)に向けています。」と記されています。ただし、HP.『大和國古墳墓取調室』の「小丸山古墳」の項目では、「円墳ということ以外、説明板などがまったくないので不明です。」と記されていました。一応、前者を参考にしましたが、おっさんにとっては、墳形や規模が不確かな「こまる」古墳でした。


 後円部?右側。左側。


 前方部?右側。左側。


 後円部?墳頂。


 前方部?墳丘上の杭。
        以上2012年10月撮影。  


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