2022年04月25日

番外 宮城県の古墳⑭ 名生舘官衙遺跡 大崎市

 名生舘官衙遺跡は、奈良から平安時代にかけて存在した官衙(役所)遺跡です。そのうち、城内地区には、役所の中心施設である政庁が置かれていたそうで、国の史跡に指定されています。前項の氷室B古墳は、約1km南西に位置しています。
 この遺跡は、古墳ではありませんが、この地には古墳時代中期の竪穴住居跡が23軒確認されているそうです。また、住居跡から続縄文文化を特徴づける黒曜石も出土し、古墳文化と続縄文文化の結節点を示す場所であるそうです。
 岩手県奥州市の中半入遺跡からも同様の黒曜石が出土しており、この遺跡に居住した人々は最北の地に築かれた前方後円墳として著名な角塚古墳(2019年5月30日のブログ「1292-1 念南寺古墳のおまけの「角塚(つのづか)古墳」に掲載)を築いた可能性が指摘されています。
 大崎市教育委員会 文化財課の方からいただいた資料「名生舘官衙遺跡」(『古川市史 第6巻 資料Ⅰ 考古』所収、p.214)では、「遺跡(おっさん註 名生舘官衙遺跡のこと)の南西1kmに古墳時代前期の集落である高幌遺跡がある。」と述べられています。おっさんは、同時代・同地域の氷室B古墳を築造した集団の集落が高幌遺跡であるという妄想が広がってしまいました。
 余談ですが、角塚古墳のある岩手県奥州市が古墳文化最北の地というイメージが強いですが、この古墳は「一発屋」みたいな例外的存在であるそうです。継続的な古墳文化北端の地としては、むしろ大崎平野のある宮城県大崎市や加美町・色麻町が該当するようです。最南端の前方後円墳である花牟礼古墳(ランキング737位)が築造されている鹿児島県肝付町の塚崎古墳群も、継続性が見られる点で大崎平野と共通点があると思いました。


   追記

 河野一隆さんは、「このうち特筆されるのが、中期後半に宮城県湯の倉産出の黒曜石製石器の広汎な流通である。岩手県角塚古墳と中半入遺跡、宮城県念南寺古墳と名生舘遺跡・壇の越遺跡など、続縄文土器や多量の黒曜石製石器を出土する遺跡が、規格的な前方後円墳の築造地区周辺で知られている。」(「古墳時代における境界」p.133、岸本直文編『史跡で読む日本の歴史2 古墳の時代』所収)と述べています。


 大崎市教委の説明板。


 城内地区全景。


 古墳時代の集落跡付近。
        以上2022年3月撮影。  


Posted by じこま at 07:08Comments(0)