2022年05月11日

補遺[728-1] 東山塚(とうさんづか)古墳 茨城県常総市 72m

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「東山塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:72m 特記事項【その他】築堤により削平、消滅。」と記されている古墳です。
 上記のデータベースを見ていなければ、全くその存在を知らなかった古墳です。データベースの地図による位置情報を参考にして訪問しました。消滅古墳なので、掲載した絵が古墳の跡地か否か自信はありません。ただし、前方部跡の脇に祠を見つけ、古墳の墳頂にこのような祠が建立されている場合があるので可能性ありと思いました。ちょうど、犬の散歩中のご婦人が通りがかったので、思い切って訪ねてみると、古墳があったかわからないが、祠は、倒れていたものを地元の方が立てられたということでした。築堤の土取りで、古墳に建立されていた祠が放置され、それを見かねた地元の志ある方が、立て直したという妄想が広がってしまいました。
 余談ですが、古墳の遠景を撮った場所から後ろを振り返ってみると、鬼怒川越に筑波山が見えました。かつて、富士山が眺望できる場所に古墳が築造されるという妄想的仮説を書いたことがあります。前回の水守桜塚古墳でも書きましたが、このエリアでは、筑波山がその役割を果たしているという思いを強くしました。


 後円部跡中央?。右側?。j左側?。

 前方部跡右側?。左側?。


 前方部跡から後円部跡?。


 後円部墳頂跡?。


 前方部跡の脇にあった祠。


 遠景。


 遠景の反対方向にある、鬼怒川越に筑波山を望む。
        以上2022年4月撮影。  


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2022年05月09日

補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m

 前回の桜塚古墳(筑西市)の編集過程で、ランキング古墳であることに気づいた古墳です。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「北条桜塚古墳(小和田1号墳)」の項目では、「墳丘 前方後方 墳長:30m 後円(ママ)部:径(ママ)22m 特記事項【その他】前方部は墓地により削平。」と記されていました。
 ただし、ブログ「怠け者の散歩道」の「つくば市:水守桜塚古墳」(2019年06月30日)では、「この古墳は、発掘調査が行われたほか、精密な測量調査が実施された結果、墳長約59.6メートルの前方後円墳であると判断されるようになったとのことだ。」と書かれていました。コレを目にして、「go to 桜塚」の思いを強くしました。
 このブログで紹介されていた滝沢誠・齊木誠・福田誠・久米美夏・ブライ・フリバル・ペトラ共著「つくば市水守桜塚古墳2013年度発掘調査概要」(『筑波大学 先史学・考古学研究 第26号』所収)では、「2012年度の調査の結果,墳丘長30m前後の前方後方墳と推定されてきた桜塚古墳は、墳丘長約 59mの前方後円墳と考えられるようになった。今回の調査は,そうした理解をさらに裏づけるために実施した(中略)墳丘規模については,後円部後端を平面的に検出できなかったものの,各トレンチの調査成果により後円部の東西径は約38mに復元することができる。これは,前年度の復元案をほぼ追認するものであり,今回の調査結果から桜塚古墳は墳丘長59.6mの前方後円墳と判断することが可能になった。」(p.97)と記されています。
 当初、古墳の場所を特定できず、つくば市水守にある香取神社の社叢の中と思っていましたが、約150m北北西の台地北端に位置することが確認できました。ただし、東・西・北側からの侵入は困難そうでしたので、神社の西側の鉄塔を目印として、そこから小道を北上しました。前方部端付近は墓地となっており、この部分を古墳の一部とカウントしなかったので、墳長30m規模と推定されたことがよくわかりました。後円部は、よく残っており、想像以上の大きさがありました。
 余談ですが、古墳のある台地の西側から車を走らせましたが、途中で筑波山の大きな姿をとらえることができました。古墳の被葬者も、この山とともに眠っていると妄想してしまいました。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂。


 3つで全景。後円部端から。後円部中央から。くびれ部から前方部。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。


 遠景。中央左の森が古墳。南西から。

 上記場所から見る筑波山。
          以上2022年4月撮影。  


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2022年05月07日

番外 茨城県の古墳⑭ 桜塚(稲荷森)古墳 筑西市 推定50m 

 下記のように、前方部は消滅し、現状では円墳状態の古墳です。この古墳についての訪問記憶はほとんど、というより全く残っていませんが、南南東約250mに位置する茶焙山古墳(ランキング746位)訪問の際に訪れたと思います。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「関本桜塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:推定復元50m 後円部:径30m 高:3.5m 特記事項【その他】後円部は稲荷神社の境内にあり、一部削平。前方部はほとんど確認できない。」と記されています。
 余談ですが、つくば市の同名の桜塚古墳(水守〈北条〉桜塚古墳)が、約60m規模の古墳であることが確認されたそうです。4月上旬に訪問しましたので、次回掲載したいと思います。


 梨想の会の説明板。


 後円部。

 前方部跡。


 後円部墳頂の社殿。


 前方部跡から後円部。
        以上2015年5月撮影。  


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2022年05月05日

番外 茨城県の古墳⑬ 船玉古墳 筑西市 方墳 辺35m 

 筑西市のHP.の「船玉古墳(ふなだまこふん)」の項目で、「鬼怒川の左岸の河岸段丘上に立地し、一辺約35m、高さ約4mの方墳で横穴式石室があります。 横穴式石室は、羨道(せんどう)部、前室(ぜんしつ)、玄室(げんしつ)からなり、羨道部から玄室までの全長は約11.5mです。石材は、雲母片岩の板石で、県下でも最大規模の巨石が用いられています。 当古墳は、古くから石室が開口しており、また、玄室の奥壁と西壁とに壁画が描かれていることから、明治時代には鳥居龍蔵らによって調査・報告もなされています。赤や白の顔料でもって、靱(ゆぎ)と思われる武具や円文、舟などが描かれていたといわれていますが、永い間の開口とともに、その内容は不明となってしまいました。」と記されています。
 茨城県の史跡に指定されています。


 石碑。

 筑西市教委の説明板。


 墳頂。

 石室入口。


 全景。南から。
        以上2015年5月撮影。  


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2022年05月03日

番外 茨城県の古墳⑫ 十万原古墳群第4号墳? 水戸市 円墳 径約25m

 2019年5月18日のブログで紹介した「十万原古墳(ランキング1281位)」を訪問した時に見つけた古墳です。訪問時、確かな位置情報もなく深い林の中をさまよった記憶が残っています。この古墳については、「近くの円墳か」というメモしか残っていませんでした。
 昇寛さんの『埼群古墳館別館』の「水戸市十万原古墳群」(2021/06/03)の項目で、4号墳の画像があり、これに似ていると思い「十万原古墳群4号墳?」としました。
 上記『別館』では、「4号墳。円墳で径約25m、高さ2m。1号墳の北西で旧日光街道の北側山林内にある。群中では1号墳に次ぐ規模。」と記されています。


 やや全景。


 やや全景。
        以上2015年6月撮影。  


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2022年05月01日

番外 茨城県の古墳⑪ー3 牛伏古墳群第6号墳 水戸市 30m 

 この古墳も、「くれふしの里古墳公園」内に整備・保存されています。記憶が曖昧ですが、確か前方部から後円部を見て、右側くびれ部付近に植栽で囲われた墓石が建てられていたと思います。
 前方後円形をした標識に、「全長:30m 後円部径:25m」の「帆立貝形前方後円墳」と記されています。 


 標識。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。
        以上2015年6月撮影。

 標識。


 2つで全景(横から)。後円部。

 2つで全景(横から)。前方部。
         以上2012年4月撮影。  


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