2024年05月06日
番外 長野県の古墳③ー2 中郷神社古墳(東)(仮称) 長野市 円墳 径10m
この古墳は、前回の円墳の東側にあり、道路に面しています。この古墳も、正式名称が不明でしたので、「中郷神社古墳(東)(仮称)」としました。ただし、この古墳の場所が、中郷神社の境内地か否かわからなかったので、下記の「古墳マップ」のように、「中郷古墳(東)」の方が良いかもしれません。
長野市文化財データベースの「中郷神社前方後円墳」の項目で、「また、後円部の東南に、それを囲むようにして三基の陪塚(ばいちょう)が存在したというが、いまは径7mと10mの円丘が見られるだけである。」と記されています。
また、HP.「古墳マップ」の「中郷古墳(東)」の項目で、「紹介文 中郷神社前方後円墳の陪塚。2基が現存している。直径10m。」と記されています。
墳丘の一部。
やや全景。
全景。 以上2024年4月撮影。
長野市文化財データベースの「中郷神社前方後円墳」の項目で、「また、後円部の東南に、それを囲むようにして三基の陪塚(ばいちょう)が存在したというが、いまは径7mと10mの円丘が見られるだけである。」と記されています。
また、HP.「古墳マップ」の「中郷古墳(東)」の項目で、「紹介文 中郷神社前方後円墳の陪塚。2基が現存している。直径10m。」と記されています。
墳丘の一部。
やや全景。
全景。 以上2024年4月撮影。
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2024年05月04日
番外 長野県の古墳③ー1 中郷神社古墳(西)(仮称) 長野市 円墳 径7m
前回の中郷神社前方後円墳の後円部に近接している円墳です。8年ほど前に、中郷神社前方後円墳を訪問した時、この古墳はスルーしていました。「小さくても、大切にしりん」。
この古墳の正式名称が不明でしたので、「中郷神社古墳(西)(仮称)」としました。
長野市文化財データベースの「中郷神社前方後円墳」の項目で、「また、後円部の東南に、それを囲むようにして三基の陪塚(ばいちょう)が存在したというが、いまは径7mと10mの円丘が見られるだけである。」と記されています。
また、HP.「古墳マップ」の「中郷古墳(西)」の項目で、「紹介文 中郷神社前方後円墳の陪塚で、前方後円墳の南東に位置する。陪塚は2基が現存し、こちらがより小さい。直径7m。」と記されています。
全景。
全景。 以上2024年4月撮影。
この古墳の正式名称が不明でしたので、「中郷神社古墳(西)(仮称)」としました。
長野市文化財データベースの「中郷神社前方後円墳」の項目で、「また、後円部の東南に、それを囲むようにして三基の陪塚(ばいちょう)が存在したというが、いまは径7mと10mの円丘が見られるだけである。」と記されています。
また、HP.「古墳マップ」の「中郷古墳(西)」の項目で、「紹介文 中郷神社前方後円墳の陪塚で、前方後円墳の南東に位置する。陪塚は2基が現存し、こちらがより小さい。直径7m。」と記されています。
全景。
全景。 以上2024年4月撮影。
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2024年05月02日
番外 長野県の古墳③追加 中郷神社前方後円墳 長野市 53m
この古墳は、2023年8月24日のブログで、「番外 長野県の古墳③」として掲載していました。8年ぶりの再訪でしたが、古墳の状態にほとんど変化はありませんでした。
長野市文化財データベースの「中郷神社前方後円墳」の項目で、「中郷(なかごう)神社境内の北西部にあるこの前方後円墳は、東南にゆるく傾斜する舌状台地上に築かれている。北方1.5㎞の地点には川柳将軍塚古墳がある。もっとも古い時期の前方後円墳が高い山頂にあるのに対し、この古墳は沖積地近くの低い丘陵上に立地しているのが注目される。 後円部の南側からくびれ部にかけて大きく原状を損なっており、原形を復元すると、全長53m、後円部径30m、同高さ4.5m、前方部幅24m(現状で21m)、同高さ3.5mほどの規模が想定され、前方部を山側の西方に向けている。」と記されています。
古墳は、長野市の史跡に指定されています。
標柱。
長野市教委・中郷神社の説明板。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
後円部墳頂付近の石柱「四宮為平親王御陵」。
後円部端全景。
3つで全景(横から)。後円部。くびれ部。前方部。
全景。右奥が前方部、左が後円部。 以上2024年4月撮影。
長野市文化財データベースの「中郷神社前方後円墳」の項目で、「中郷(なかごう)神社境内の北西部にあるこの前方後円墳は、東南にゆるく傾斜する舌状台地上に築かれている。北方1.5㎞の地点には川柳将軍塚古墳がある。もっとも古い時期の前方後円墳が高い山頂にあるのに対し、この古墳は沖積地近くの低い丘陵上に立地しているのが注目される。 後円部の南側からくびれ部にかけて大きく原状を損なっており、原形を復元すると、全長53m、後円部径30m、同高さ4.5m、前方部幅24m(現状で21m)、同高さ3.5mほどの規模が想定され、前方部を山側の西方に向けている。」と記されています。
古墳は、長野市の史跡に指定されています。
標柱。
長野市教委・中郷神社の説明板。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
後円部墳頂付近の石柱「四宮為平親王御陵」。
後円部端全景。
3つで全景(横から)。後円部。くびれ部。前方部。
全景。右奥が前方部、左が後円部。 以上2024年4月撮影。
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2024年04月30日
番外 長野県の古墳⑨ 越将軍塚古墳 長野市 円墳 径33m
この古墳は、60m級の前方後円墳として、10年以上前に訪問していました。そして、2019年1月18日のブログで、「1099 越(こし)将軍塚古墳 長野県長野市 円墳 径60(33)m」として紹介しています。その時の絵が微妙だった記憶があったので、四之宮将軍山古墳訪問のオマケとして、再訪しました。
前回の塚穴古墳の約80m北東に位置しています。ただし、市域の境界付近にあるので、千曲市の塚穴古墳に対し、この古墳は長野市に属しています。
古墳に辿り着いた時、千曲市役所農林課による赤字の看板を目にして、背筋が凍りました。「この付近にはツキノワグマが出没します。」!!!。「ビビり症」のおっさんは、必要最低限の絵を撮って、口に咥えた笛をピーピー吹きながら、駐車した場所まで急ぎ足で駆け込みました。
墳丘規模などは、上記のブログをご覧ください。「ハアハア」。
古墳近くの案内板+千曲市役所農林課の「!!!」。
古墳近くの稲荷山地区まちづくり推進会議の案内図。
標柱。
長野市教委の説明板。
全景3つ。
「前方後円墳」風の絵。 以上2024年4月撮影。
長野市教委の説明板。
2つで全景。 以上2011年5月撮影。
前回の塚穴古墳の約80m北東に位置しています。ただし、市域の境界付近にあるので、千曲市の塚穴古墳に対し、この古墳は長野市に属しています。
古墳に辿り着いた時、千曲市役所農林課による赤字の看板を目にして、背筋が凍りました。「この付近にはツキノワグマが出没します。」!!!。「ビビり症」のおっさんは、必要最低限の絵を撮って、口に咥えた笛をピーピー吹きながら、駐車した場所まで急ぎ足で駆け込みました。
墳丘規模などは、上記のブログをご覧ください。「ハアハア」。
古墳近くの案内板+千曲市役所農林課の「!!!」。
古墳近くの稲荷山地区まちづくり推進会議の案内図。
標柱。
長野市教委の説明板。
全景3つ。
「前方後円墳」風の絵。 以上2024年4月撮影。
長野市教委の説明板。
2つで全景。 以上2011年5月撮影。
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2024年04月28日
番外 長野県の古墳⑧ 塚穴古墳 千曲市 円墳 径15又は12m
主目的の四之宮将軍山古墳の前座として、最初に訪問したのがこの古墳です。当初は、越将軍塚古墳を考えていましたが、途中にこの古墳があることを知り、訪問しました。
この古墳へは、長野自動車道「小坂トンネル」東側の下を通る狭い一般道を蛇行しながら上り、舗装が途切れた場所で駐車し、徒歩で向かいました。行きはハイキング気分でしたが、帰りは顔を引きつらせながらの訪問でした。「行きはよいよい、帰りは熊居?」。
下記の説明板では、「本古墳は直径約一二m、高さ約四.五mの円墳で、南に開口した横穴式石室を設けた、古墳時代後期(六~七世紀)の築造と考えられる。」と記されています。
ただし、千曲市のHP.の「千曲市文化財一覧」の「塚穴古墳」の項目で、「本古墳は、千曲市稲荷山の北西標高510m の山腹にある古墳で、篠山から東南東に伸びた支脈の突端近くに所在しています。その北側には越将軍塚古墳(長野市、長野県史跡)があります。古墳は山腹に築造した円墳で、墳丘の裾が一部削り取られていますが、大部分は当初の墳丘を残しています。墳丘は直径15mで、高さは谷側から3m、山側から約1mあります。 内部構造は、真南に向けて開口する横穴式石室で、玄室は完存していますが、羨道部の閉塞及び天 井石を失っています。石室の規模は玄室の長さ5m、奥壁幅 2.7m、玄門内側で2.5m、高さ 2.5m、羨道幅 1.7m、高さ1m、長さ 2.7m ありますが、当初は4m 近くあったものと推定されます。(後略)」と記されています。
そのためここでは、両論併記としました。
古墳は、千曲市の史跡に指定されています。
千曲市教委の説明板。
石室入口。
石室内部。
墳頂。
墳丘の一部。南から。
全景。北から。
全景。東から。 以上2024年4月撮影。
この古墳へは、長野自動車道「小坂トンネル」東側の下を通る狭い一般道を蛇行しながら上り、舗装が途切れた場所で駐車し、徒歩で向かいました。行きはハイキング気分でしたが、帰りは顔を引きつらせながらの訪問でした。「行きはよいよい、帰りは熊居?」。
下記の説明板では、「本古墳は直径約一二m、高さ約四.五mの円墳で、南に開口した横穴式石室を設けた、古墳時代後期(六~七世紀)の築造と考えられる。」と記されています。
ただし、千曲市のHP.の「千曲市文化財一覧」の「塚穴古墳」の項目で、「本古墳は、千曲市稲荷山の北西標高510m の山腹にある古墳で、篠山から東南東に伸びた支脈の突端近くに所在しています。その北側には越将軍塚古墳(長野市、長野県史跡)があります。古墳は山腹に築造した円墳で、墳丘の裾が一部削り取られていますが、大部分は当初の墳丘を残しています。墳丘は直径15mで、高さは谷側から3m、山側から約1mあります。 内部構造は、真南に向けて開口する横穴式石室で、玄室は完存していますが、羨道部の閉塞及び天 井石を失っています。石室の規模は玄室の長さ5m、奥壁幅 2.7m、玄門内側で2.5m、高さ 2.5m、羨道幅 1.7m、高さ1m、長さ 2.7m ありますが、当初は4m 近くあったものと推定されます。(後略)」と記されています。
そのためここでは、両論併記としました。
古墳は、千曲市の史跡に指定されています。
千曲市教委の説明板。
石室入口。
石室内部。
墳頂。
墳丘の一部。南から。
全景。北から。
全景。東から。 以上2024年4月撮影。
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2024年04月27日
お知らせ 「番外 愛知県の古墳」シリーズの中断について
昨日、ランキング古墳の四之宮将軍山古墳を取り上げましたが、その際長野県下の古墳をいくつか訪問しました。その記憶が消失する前に、それらの古墳を掲載したいと思います。
そのため、2023年7月から9月にかけて掲載した「番外 長野県の古墳」シリーズの続編という位置付けで、再開したいと思います。
したがって、「番外 愛知県の古墳」シリーズは、一時中断します。ご了承ください。
そのため、2023年7月から9月にかけて掲載した「番外 長野県の古墳」シリーズの続編という位置付けで、再開したいと思います。
したがって、「番外 愛知県の古墳」シリーズは、一時中断します。ご了承ください。
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07:07
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2024年04月26日
補遺[590-7] 四之宮将軍山古墳 長野県長野市 前方後円墳←円墳 80m級←径32m
「番外 愛知県の古墳」の途中ですが、久しぶりにランキング古墳を訪問したので、早速掲載しました。ご了承ください。
長野市教育委員会文化財課 長野市埋蔵文化財センターが令和5年11月8日に公表したプレスリリース「市民が前方後円墳を発見! 長野市篠ノ井の円墳が、実は前方後円墳であったことが判明しました。」で、「一般市民の方々からの連絡により、これまで直径 32mの円墳と認識されていた長野市篠ノ井塩崎の将軍山古墳が、実は全長 80m級の前方後円墳である可能性がきわめて高いことが確認されました。」と記されていました。
このプレスリリースを見て心が躍りましたが、冬季の長野の路面凍結・積雪が怖く、また冬眠から覚めた熊も怖くて訪問時期に躊躇していました。その間、「長野市 行政地図情報」を参考にして場所の特定に勤しんでいました。当初、将軍山古墳は■マークでしたが、途中から前方後円墳マークに変更され訪問時は助かりました。「やるじゃん、長野市」。
将軍山古墳へは、かつて訪問したことのある中郷神社前方後円墳(中郷古墳)から県道395線に行き、鳥坂峠付近から未舗装の細道に入りました。畠の広がる斜面を上り、その先にようやく墳丘(後円部)が見えてきました。後円部墳頂には、祠が祀られていました。前方部は、後円部と比べて低平で一部削平されたためか、デコボコしていました。おっさんの素人目には、前期古墳という印象でした。
約1.4km北東に川柳将軍塚古墳(ランキング367位)が位置しています。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部から前方部を見る。
後円部墳頂。
後円部(横から)。南西から。
4つで全景(横から)。前方部端。前方部。くびれ部。後円部。東方から。
遠景。右が後円部、左が前方部。南西から。 以上2024年4月撮影。
長野市教育委員会文化財課 長野市埋蔵文化財センターが令和5年11月8日に公表したプレスリリース「市民が前方後円墳を発見! 長野市篠ノ井の円墳が、実は前方後円墳であったことが判明しました。」で、「一般市民の方々からの連絡により、これまで直径 32mの円墳と認識されていた長野市篠ノ井塩崎の将軍山古墳が、実は全長 80m級の前方後円墳である可能性がきわめて高いことが確認されました。」と記されていました。
このプレスリリースを見て心が躍りましたが、冬季の長野の路面凍結・積雪が怖く、また冬眠から覚めた熊も怖くて訪問時期に躊躇していました。その間、「長野市 行政地図情報」を参考にして場所の特定に勤しんでいました。当初、将軍山古墳は■マークでしたが、途中から前方後円墳マークに変更され訪問時は助かりました。「やるじゃん、長野市」。
将軍山古墳へは、かつて訪問したことのある中郷神社前方後円墳(中郷古墳)から県道395線に行き、鳥坂峠付近から未舗装の細道に入りました。畠の広がる斜面を上り、その先にようやく墳丘(後円部)が見えてきました。後円部墳頂には、祠が祀られていました。前方部は、後円部と比べて低平で一部削平されたためか、デコボコしていました。おっさんの素人目には、前期古墳という印象でした。
約1.4km北東に川柳将軍塚古墳(ランキング367位)が位置しています。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部から前方部を見る。
後円部墳頂。
後円部(横から)。南西から。
4つで全景(横から)。前方部端。前方部。くびれ部。後円部。東方から。
遠景。右が後円部、左が前方部。南西から。 以上2024年4月撮影。
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2024年04月24日
番外 愛知県の古墳⑭ー8 旗頭山尾根22号墳~24号墳[旗頭山尾根古墳群] 豊川市 円墳 径6~8m
愛知県史跡「旗頭山尾根古墳群」の豊川市エリアで、尾根頂上付近に立地している古墳群です。尾根頂上の24号墳から東側は、採石場があり断崖となっており、遠方には吉祥山を望むことができました。4月4日のブログで掲載した旗頭山尾根第26号墳は、この断崖付近に位置していたと思われます。また、頂上南側の尾根上には、消滅古墳や未指定古墳が位置しています。
HP.「マップあいち」の「愛知県文化財マップ 埋蔵文化財記念物」では、「包蔵地名:旗頭山尾根22号墳(中略)包蔵地内容:円墳(積石塚、径6.4m、高1.0m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根23号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径6.9m、高0.8m)。石室(全長1.5m、巾0.8m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根24号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径7.5m、高1.1m)。石室(全長2.7m、巾1.1m)。」と記されています。
上記のように、23号墳と24号墳には、石室を確認することができました。
余談ですが、22号墳と23号墳の間には、三角点が設置されていました。確か、豊橋市と豊川市の市境付近に位置する勝山1号墳の後方部墳頂にも三角点があったと思います。
22号墳(径6.4m)。
標柱。
全景。
全景。
22号墳と23号墳の間の三角点。
三角点付近から下方を見る。
23号墳(径6.9m)。
標柱。
石室。
全景。
全景。
24号墳(径7.5m)。
標柱。
石室。
全景。
全景。
全景。
尾根頂上から採石場・吉祥山を望む。西から。
尾根頂上から未指定エリアを見る。北から。 以上2024年4月撮影。
HP.「マップあいち」の「愛知県文化財マップ 埋蔵文化財記念物」では、「包蔵地名:旗頭山尾根22号墳(中略)包蔵地内容:円墳(積石塚、径6.4m、高1.0m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根23号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径6.9m、高0.8m)。石室(全長1.5m、巾0.8m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根24号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径7.5m、高1.1m)。石室(全長2.7m、巾1.1m)。」と記されています。
上記のように、23号墳と24号墳には、石室を確認することができました。
余談ですが、22号墳と23号墳の間には、三角点が設置されていました。確か、豊橋市と豊川市の市境付近に位置する勝山1号墳の後方部墳頂にも三角点があったと思います。
22号墳(径6.4m)。
標柱。
全景。
全景。
22号墳と23号墳の間の三角点。
三角点付近から下方を見る。
23号墳(径6.9m)。
標柱。
石室。
全景。
全景。
24号墳(径7.5m)。
標柱。
石室。
全景。
全景。
全景。
尾根頂上から採石場・吉祥山を望む。西から。
尾根頂上から未指定エリアを見る。北から。 以上2024年4月撮影。
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2024年04月22日
番外 愛知県の古墳⑭ー7 旗頭山尾根19号墳~21号墳[旗頭山尾根古墳群] 豊川市 双円墳・円墳 径7~10m
今回の古墳は、豊川市域の尾根上部に位置している古墳群です。前回も書きましたが、古墳が群集する尾根中腹から尾根上部にはしばらく古墳の空白域があります。また、ここからの古墳は、今までの「半積石塚」ではなく、「積石塚」古墳であることが特徴的です。
さらに、下記のように19号墳のみが、2つの円墳が組み合わさった双円墳という特殊な墳形をしています。
HP.「マップあいち」の「愛知県文化財マップ 埋蔵文化財記念物」では、「包蔵地名:旗頭山尾根19号墳(中略)包蔵地内容:双円墳(積石塚、径10.0mおよび8.0m、高1.6m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根20号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径7.6m、高0.4m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根21号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径6.8m、高1.6m。」と記されています。
余談ですが、19号墳は双円墳という特殊な墳形をしています。双円墳といえば、大阪府河南町の金山古墳が著名です。このブログでも、2018年5月18日に「478 金山古墳」、2019年10月27日に「追加478 金山古墳」として掲載しています。
19号墳(双円墳、径10+8m)。
南側標柱。
西墳丘。
全景。手前が東墳丘、奥が西墳丘。 以上2015年3月撮影。
南側標柱。
標柱。
西墳丘。
全景。手前が東墳丘、奥が西墳丘。
全景。右が東墳丘、左が西墳丘。南から。 以上2024年4月撮影。
20号墳(径7.6m)。
標柱。
墳頂。
全景。
全景。
21号墳(6.8m)。
標柱。
全景。
全景。 以上2024年4月撮影。
さらに、下記のように19号墳のみが、2つの円墳が組み合わさった双円墳という特殊な墳形をしています。
HP.「マップあいち」の「愛知県文化財マップ 埋蔵文化財記念物」では、「包蔵地名:旗頭山尾根19号墳(中略)包蔵地内容:双円墳(積石塚、径10.0mおよび8.0m、高1.6m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根20号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径7.6m、高0.4m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根21号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(積石塚、径6.8m、高1.6m。」と記されています。
余談ですが、19号墳は双円墳という特殊な墳形をしています。双円墳といえば、大阪府河南町の金山古墳が著名です。このブログでも、2018年5月18日に「478 金山古墳」、2019年10月27日に「追加478 金山古墳」として掲載しています。
19号墳(双円墳、径10+8m)。
南側標柱。
西墳丘。
全景。手前が東墳丘、奥が西墳丘。 以上2015年3月撮影。
南側標柱。
標柱。
西墳丘。
全景。手前が東墳丘、奥が西墳丘。
全景。右が東墳丘、左が西墳丘。南から。 以上2024年4月撮影。
20号墳(径7.6m)。
標柱。
墳頂。
全景。
全景。
21号墳(6.8m)。
標柱。
全景。
全景。 以上2024年4月撮影。
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2024年04月20日
番外 愛知県の古墳⑭ー6 旗頭山尾根15号墳~17号墳[旗頭山尾根古墳群] 豊川市 円墳 径8~11m
今回の古墳も豊川市域の尾根中腹に群集している円墳群です。ここから尾根上部にはしばらく古墳の空白域があります。また、ここまでの古墳は、下記のように石と土を混ぜて墳丘を築く「半積石塚」古墳であることが特徴的です。
HP.「マップあいち」の「愛知県文化財マップ 埋蔵文化財記念物」では、「包蔵地名:旗頭山尾根15号墳(中略)包蔵地内容:円墳(半積石塚、径11.0m、高0.9m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根16号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(半積石塚、径8.3m、高1.0m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根17号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(半積石塚、径8.2m、高1.1m。」と記されています。
15号墳(径11m)。
標柱。
全景。
全景。
16号墳(径8.3m)。
標柱。
全景。
全景。
17号墳(径8.2m)。
標柱。
墳頂。
全景。
全景
中腹付近から尾根頂上を見る。
以上2024年4月撮影。
HP.「マップあいち」の「愛知県文化財マップ 埋蔵文化財記念物」では、「包蔵地名:旗頭山尾根15号墳(中略)包蔵地内容:円墳(半積石塚、径11.0m、高0.9m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根16号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(半積石塚、径8.3m、高1.0m)。」、「包蔵地名:旗頭山尾根17号墳(中略)包蔵地内容:円墳、(半積石塚、径8.2m、高1.1m。」と記されています。
15号墳(径11m)。
標柱。
全景。
全景。
16号墳(径8.3m)。
標柱。
全景。
全景。
17号墳(径8.2m)。
標柱。
墳頂。
全景。
全景
中腹付近から尾根頂上を見る。
以上2024年4月撮影。
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