2021年04月14日

番外 三ノ耕地遺跡1~3号墓 埼玉県吉見町 前方後方形周溝墓3基 25~49m

 10年近く前、吉見百穴(2020年11月30日のブログに掲載)近辺を走っていた時に、偶然説明板を見つけ絵を撮ったものです。現在のように、消滅古墳の場所を特定しようとする狂気じみた行為を行っていないので、これだけしか絵はありません。
 青木弘さんは、「研究報告1 古墳」の「表1 埼玉の前期古墳」の中で、「古墳名 三ノ耕地遺跡1号墓、墳形 前方後方形周溝墓、墳長 48.8」・「古墳名 三ノ耕地遺跡2号墓、墳形 前方後方形周溝墓、墳長 30」・「古墳名 三ノ耕地遺跡3号墓、墳形 前方後方形周溝墓、墳長 25」と記しています。(『見えてきた‼ 古墳時代の幕開け ー東松山市反町遺跡を中心にー』所収 p.22)
 下記の説明板では、「古墳時代前期(4世紀初頭頃)の特異な墳形をもつ前方後方形墳墓3基が方形周溝墓群と並んで見つかりました。北側から順に1~3号墳で全長は1号墳:69m、2号墳:約40m、3号墳:約27mです。」と記されています。説明板は、周溝部分の長さも含めて全長としているようです。さらに、これらの墳墓群を古墳時代初頭の前方後方墳と見るか、弥生時代後期後半の前方後方形周溝墓(墳丘墓)と考えるか意見が分かれるところです。ここでは、青木さんも「三ノ耕地遺跡○号墳」とせずに、「○号墓」としているように、弥生時代終末期として取り上げました。「古墳時代早期でもいいじゃん」。
 また、墳墓群の「4世紀初頭」という年代観も、現在の年代観とズレがあるようですが、説明板が立てられた平成13年では致し方ないことかもしれません。  


 吉見町教委の説明板。


 説明板の一部拡大。
             以上2012年10月撮影。
  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)