2022年02月24日
番外 第一号方形台状墓(旧白山2号墳) 愛知県大口町 13×12m
従来古墳と考えられていましたが、発掘調査の結果、弥生時代後期の方形台状墓であることが確認されました。現在は、「白山ふれあいの森」の中で保存されています。ただ、ふれあいの森の周囲はフェンスで囲まれており、時間外では立ち入ることができません。再訪時は、祝日のため、フェンスの外側からしか絵を撮ることができませんでした。そのため、昔の絵も載せました。「昔の絵の方がいいじゃん」。
宮腰健司さんは、「74 仁所野遺跡」(『愛知県史 資料編2 考古2 弥生』)の中で、「調査の結果、これまで第3号墳が第1号方形周溝墓(略)、第4号墳が第2号方形周溝墓(略)、第2号墳が方形台状墓(略)とされた。(中略)方形台状墓は、基盤を削り出して、南北約13m・東西約12mの長方形に作られており、東と西ではそれぞれ幅約2m・深さ約60cm・断面U字形の周溝が検出されている。」(p.162)と述べています。
「おおぐちデジタルミュージアム」の「町の文化財」の「仁所野遺跡」の項目で、「仁所野遺跡は、白山神社(下小口一丁目)の境内地であり、境内には7基の古墳があって白山古墳群と称され、昭和35年6月8日大口町指定文化財第1号となった。しかし、野外施設(白山ふれあいの森)の着工に伴い調査が行われ、その結果、弥生時代の墓制である方形周溝墓が発見され、弥生時代から古墳時代にかけての複合遺跡であることが確認された。よって昭和60年に仁所野遺跡として、改めて文化財の指定をされた。」と記されています。
上記のように、「仁所野遺跡」として、大口町の史跡に指定されています。
全景。西から。
2022年1月撮影。
石柱。
全景。
以上2013年6月撮影。
宮腰健司さんは、「74 仁所野遺跡」(『愛知県史 資料編2 考古2 弥生』)の中で、「調査の結果、これまで第3号墳が第1号方形周溝墓(略)、第4号墳が第2号方形周溝墓(略)、第2号墳が方形台状墓(略)とされた。(中略)方形台状墓は、基盤を削り出して、南北約13m・東西約12mの長方形に作られており、東と西ではそれぞれ幅約2m・深さ約60cm・断面U字形の周溝が検出されている。」(p.162)と述べています。
「おおぐちデジタルミュージアム」の「町の文化財」の「仁所野遺跡」の項目で、「仁所野遺跡は、白山神社(下小口一丁目)の境内地であり、境内には7基の古墳があって白山古墳群と称され、昭和35年6月8日大口町指定文化財第1号となった。しかし、野外施設(白山ふれあいの森)の着工に伴い調査が行われ、その結果、弥生時代の墓制である方形周溝墓が発見され、弥生時代から古墳時代にかけての複合遺跡であることが確認された。よって昭和60年に仁所野遺跡として、改めて文化財の指定をされた。」と記されています。
上記のように、「仁所野遺跡」として、大口町の史跡に指定されています。
全景。西から。
石柱。
全景。
Posted by じこま at
08:08
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