2022年05月09日
補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m
前回の桜塚古墳(筑西市)の編集過程で、ランキング古墳であることに気づいた古墳です。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「北条桜塚古墳(小和田1号墳)」の項目では、「墳丘 前方後方 墳長:30m 後円(ママ)部:径(ママ)22m 特記事項【その他】前方部は墓地により削平。」と記されていました。
ただし、ブログ「怠け者の散歩道」の「つくば市:水守桜塚古墳」(2019年06月30日)では、「この古墳は、発掘調査が行われたほか、精密な測量調査が実施された結果、墳長約59.6メートルの前方後円墳であると判断されるようになったとのことだ。」と書かれていました。コレを目にして、「go to 桜塚」の思いを強くしました。
このブログで紹介されていた滝沢誠・齊木誠・福田誠・久米美夏・ブライ・フリバル・ペトラ共著「つくば市水守桜塚古墳2013年度発掘調査概要」(『筑波大学 先史学・考古学研究 第26号』所収)では、「2012年度の調査の結果,墳丘長30m前後の前方後方墳と推定されてきた桜塚古墳は、墳丘長約 59mの前方後円墳と考えられるようになった。今回の調査は,そうした理解をさらに裏づけるために実施した(中略)墳丘規模については,後円部後端を平面的に検出できなかったものの,各トレンチの調査成果により後円部の東西径は約38mに復元することができる。これは,前年度の復元案をほぼ追認するものであり,今回の調査結果から桜塚古墳は墳丘長59.6mの前方後円墳と判断することが可能になった。」(p.97)と記されています。
当初、古墳の場所を特定できず、つくば市水守にある香取神社の社叢の中と思っていましたが、約150m北北西の台地北端に位置することが確認できました。ただし、東・西・北側からの侵入は困難そうでしたので、神社の西側の鉄塔を目印として、そこから小道を北上しました。前方部端付近は墓地となっており、この部分を古墳の一部とカウントしなかったので、墳長30m規模と推定されたことがよくわかりました。後円部は、よく残っており、想像以上の大きさがありました。
余談ですが、古墳のある台地の西側から車を走らせましたが、途中で筑波山の大きな姿をとらえることができました。古墳の被葬者も、この山とともに眠っていると妄想してしまいました。
後円部中央。右側。左側。![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1128.JPG)
![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1129.JPG)
![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1130.JPG)
前方部右側。左側。![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1131.JPG)
![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1132.JPG)
前方部から後円部。前方部左隅から後円部。![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1134.JPG)
![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1135.JPG)
後円部墳頂。![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1133.JPG)
3つで全景。後円部端から。後円部中央から。くびれ部から前方部。![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1139.JPG)
![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1140.JPG)
![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1141.JPG)
全景。手前が前方部、奥が後円部。![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1146.JPG)
遠景。中央左の森が古墳。南西から。![補遺[1227-28] 水守(北条)桜塚古墳 茨城県つくば市 60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/KIMG1126.JPG)
上記場所から見る筑波山。
以上2022年4月撮影。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「北条桜塚古墳(小和田1号墳)」の項目では、「墳丘 前方後方 墳長:30m 後円(ママ)部:径(ママ)22m 特記事項【その他】前方部は墓地により削平。」と記されていました。
ただし、ブログ「怠け者の散歩道」の「つくば市:水守桜塚古墳」(2019年06月30日)では、「この古墳は、発掘調査が行われたほか、精密な測量調査が実施された結果、墳長約59.6メートルの前方後円墳であると判断されるようになったとのことだ。」と書かれていました。コレを目にして、「go to 桜塚」の思いを強くしました。
このブログで紹介されていた滝沢誠・齊木誠・福田誠・久米美夏・ブライ・フリバル・ペトラ共著「つくば市水守桜塚古墳2013年度発掘調査概要」(『筑波大学 先史学・考古学研究 第26号』所収)では、「2012年度の調査の結果,墳丘長30m前後の前方後方墳と推定されてきた桜塚古墳は、墳丘長約 59mの前方後円墳と考えられるようになった。今回の調査は,そうした理解をさらに裏づけるために実施した(中略)墳丘規模については,後円部後端を平面的に検出できなかったものの,各トレンチの調査成果により後円部の東西径は約38mに復元することができる。これは,前年度の復元案をほぼ追認するものであり,今回の調査結果から桜塚古墳は墳丘長59.6mの前方後円墳と判断することが可能になった。」(p.97)と記されています。
当初、古墳の場所を特定できず、つくば市水守にある香取神社の社叢の中と思っていましたが、約150m北北西の台地北端に位置することが確認できました。ただし、東・西・北側からの侵入は困難そうでしたので、神社の西側の鉄塔を目印として、そこから小道を北上しました。前方部端付近は墓地となっており、この部分を古墳の一部とカウントしなかったので、墳長30m規模と推定されたことがよくわかりました。後円部は、よく残っており、想像以上の大きさがありました。
余談ですが、古墳のある台地の西側から車を走らせましたが、途中で筑波山の大きな姿をとらえることができました。古墳の被葬者も、この山とともに眠っていると妄想してしまいました。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
3つで全景。後円部端から。後円部中央から。くびれ部から前方部。
全景。手前が前方部、奥が後円部。
遠景。中央左の森が古墳。南西から。
上記場所から見る筑波山。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)