2022年09月30日

番外 群馬県の古墳➉ー3 15号墳・61号墳[山名古墳群] 高崎市 帆立貝形前方後円墳25m・円墳 径12m

 前回と同じく、山名伊勢塚古墳を訪問した際に撮ったものです。その時は意識していませんでしたが、15号墳は、古墳群中で唯一の帆立貝形前方後円墳でした。
 HP.「~古墳の森探検日誌~」の「群馬県高崎市の古墳一覧」で、「墳名 山名第15号墳、所在 山名、指定 帆立貝式、形状 全長25m、埋葬施設 横穴式石室、その他 八幡村35号」、「墳名 山名第61号墳、所在 山名、指定 円、形状 直径12m、埋葬施設 横穴式石室」と記されています。
 「山名古墳群」を構成する古墳として、高崎市の史跡に指定されています。


 15号墳(中央右)・61号墳(中央左)。
         以上2016年11月撮影。  


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2022年09月28日

番外 群馬県の古墳➉ー2 9号墳・10号墳[山名古墳群] 高崎市 円墳 径18・約25m

 山名伊勢塚古墳を訪問した際に、あまり意識せずに撮ったものです。そのため、遠方の絵しかありません。「小規模の古墳も差別せずに撮りん」。
 HP.「~古墳の森探検日誌~」の「群馬県高崎市の古墳一覧」で、「墳名 山名第9号墳、所在 山名、指定 円、形状直径18m、埋葬施設 横穴式石室、その他 八幡村44号」、「墳名 山名10号墳、 所在 山名、指定 円、形状 直径約25m、埋葬施設 横穴式石室、その他 八幡村42号」と記されています。 
 「山名古墳群」を構成する古墳として、高崎市の史跡に指定されています。


 9号墳(中央左)・10号墳(中央)。
         以上2016年11月撮影。  


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2022年09月26日

番外 群馬県の古墳➉ー1 5号墳[山名古墳群] 高崎市 円墳 径35m

 この古墳は、前回紹介した山名伊勢塚古墳と同じく山名古墳群に属する古墳です。古墳群の中で、最も大きな円墳です。
 HP.「~古墳の森探検日誌~」の「群馬県高崎市の古墳一覧」で、「墳名 山名第5号墳、所在 山名、指定 円、形状 直径35m、埋葬施設 不明」と記されています。
 「山名古墳群」を構成する古墳のひとつとして、高崎市の史跡に指定されています。


 標柱。高崎市教委の説明板。


 全景。西から。


 全景。南東から。
         以上2016年11月撮影。  


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2022年09月24日

補遺[948-7] 山名伊勢塚古墳 群馬県高崎市 65m

 この古墳は、三回訪問しています。最初に訪問した2011年は、山名稲荷塚古墳(ランキング244位)と思い込んで。二回目は、稲荷塚古墳を訪問した「おまけ」として。三回目は、墳長60m以上の古墳と意識して。そのため、ひょっとしたら既に掲載済の古墳かもしれませんが、確認しきれませんでした。「もっと、頑張りん」。
 高崎市のHP.の「山名古墳群」の項目で、「山名古墳群は6世紀中頃~7世紀前半(古墳時代後期から終末期)につくられた古墳群です。平成13~18年度にかけて古墳群の発掘調査が実施され、史跡地内に前方後円墳である山名伊勢塚古墳のほか、帆立貝形古墳1基、円墳14基、形態不明1基の合計17基の古墳があることがわかりました。  山名伊勢塚古墳は2段築成の前方後円墳で、墳丘全長が65メートルあることが確認されました。出土遺物等から、6世紀後半に造られたと考えられています。また、石室は近隣の岩野谷丘陵(観音山丘陵)から産出する凝灰岩を使用した削石積横穴式石室であることもわかりました。」と記されています。
 「山名古墳群」を構成する古墳のひとつとして、高崎市の史跡に指定されています。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 後円部墳頂。

 後円部端全景。東から。


 全景。右奥が後円部、左手前が前方部。南西から。

 全景。右が前方部、左が後円部。北から。
         以上2016年11月撮影。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。


 全景。
         以上2012年10月撮影。  


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2022年09月22日

番外 群馬県の古墳⑨ 剣崎長瀞西古墳 高崎市 円墳(帆立貝形前方後円墳) 径30m

 この古墳は高崎市立西部小学校の北側の空き地に保存されています。また、古墳の西側には、高崎市水道局若田浄水場があります。前にも書きましたが、この古墳もおっさんが定義する「浄水場古墳」と言えそうです。集落を見下ろす高台に設置されることが多い浄水場は、台地縁辺に築造される古墳の立地条件と共通点があるからです。例えば、茨城県鹿嶋市の宮中野古墳群や千葉県香取市の城山古墳群などのように。
 説明板では、「墳形:円墳または帆立貝式古墳 墳丘規模:墳丘葺石最下段で径約30m 周堀底葺石最下段で径約67m 高さ現状で約5m 周堀幅2.5~3m」と書かれています。
 また、古墳の東側に隣接する剣崎長瀞西遺跡からは同時期の円墳や積石塚、馬の埋葬墓、「韓式系土器」(朝鮮半島からの渡来人がもたらした、またはその地で作られた土器)が出土していることから、古墳の被葬者が渡来人の可能性が指摘されています。
 若狭徹さんは、『東国から読み解く古墳時代』の中で、長瀞西古墳の被葬者像について、「長瀞西遺跡の積石塚は、中型円墳や小型円墳に従属しており、渡来人は、長瀞西古墳などの円墳に葬られた地元倭人に管掌されていたと考えられる。ただし、長瀞西古墳クラスの被葬者は中間管理層であって、最終的には南一キロにある大型前方後円墳の平塚古墳(一〇五メートル)の被葬者に束ねられていたと考えられよう」(p.69)と述べています。
 約700m南に、八幡観音塚古墳(ランキング345位)があります。時期は異なりますが、観音塚古墳から出土した副葬品も、朝鮮半島の百済と関係があるとされています。また、その南に平塚古墳(ランキング264位)や八幡二子塚古墳(ランキング881位)があり、八幡古墳群を構成しています。
 余談ですが、おっさんは、「帆立貝式古墳」ではなく「帆立貝形前方後円墳」という表記をしています。理由は、近藤義郎編『前方後円墳集成』を参考にしているからです。詳細は、澤田秀実さんの「文庫版編集にあたって」(近藤義郎著『(文庫版)前方後円墳の時代』所収、pp.509~510)に述べられています。
 余談の余談ですが、上記近藤さんの著作も名著(おっさんにとっては難解で、積読状態でしたが・・・)ですが、2020年に発行された文庫版も校訂作業をおこなった担当者の涙ぐましい努力に敬意を表するものです。亡くなられた近藤さんも、後輩研究者の校訂作業や「解説」に納得されているのではないかと妄想してしまいました。


 高崎市教委・水道局の説明板。


 全景。西から。


 全景。南西から。


 全景。東から。
         以上2014年12月撮影。
  


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2022年09月20日

番外 群馬県高崎市の「上野三碑」 

 古墳ではありませんが、脱線して「上野三碑」を紹介します。ご了承ください
 前々々回の山上古墳で掲載した山上碑の絵が古かったので、再訪時の新しい絵を掲載します。
 また、前回・前々回掲載した移築古墳のある公園内に多胡碑がありました。
 そして、おまけとして、金井沢碑の絵も掲載します。
 三基の石碑は、7世紀後半から8世紀前半に建立され、いずれも国の特別史跡に指定されています。また、2017年にユネスコ「世界の記憶」にも登録されています。


 山上碑

  市教委の説明板2つ。

  石碑。

  市教委の碑文解説。

  覆屋。


 多胡碑

  市教委の説明板。文部省・県教委・市教委の説明板。

  石碑。正面。側面。

  覆屋。


 金井沢碑。

  市教委の説明板2つ。

  石碑。

  市教委の碑文解説。

  覆屋。
         以上2016年11月撮影。  


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2022年09月18日

番外 群馬県の古墳⑧ 片山1号古墳 高崎市 円墳 径33m

 この古墳も「吉井いしぶみの里公園」内に粘土槨が移築・復元されています。前回の南高原1号古墳の北西に隣接しています。
 説明板によると、「本古墳は、墳径32.6mを測り、周囲に巡る堀跡を含めると直径約50mを測る円墳となります。」と記されています。
 古墳の西側に、「多胡碑記念館」というガイダンス施設が設立されており、「上野三碑」のレプリカなどが展示されています。もちろん、公園内にある実物の「多胡碑」も、覆屋で保護された状態で見学が可能です。


 説明板。


 やや全景。
        以上2016年11月撮影。  


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2022年09月16日

番外 群馬県の古墳⑦ 南高原1号古墳 高崎市 円墳 径17m

 この古墳は、「吉井いしぶみの里公園」内に移築・復元されています。説明板によると、この古墳は、1938年に群馬県によって発行された『上毛古墳綜覧』に「多胡村115号」という名称で掲載されていたそうです。
 説明板では、「本古墳は墳径17mを測る円墳で、低い基壇を有する二段築成を呈しています。」と記されています。
 この公園に隣接して、多胡碑が位置しています。前回の山上古墳に隣接する山上碑などとともに「上毛三碑」として著名な石碑です。

 説明板。


 石室入口。


 全景。西から。


 全景。北西から。
        以上2016年11月撮影。  


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2022年09月14日

番外 群馬県の古墳⑥ 山上古墳 高崎市 円墳 径15m

 被葬者と追葬者がほぼ特定できる非常にレアな古墳です。古墳の西側に建立された「山上碑」の存在がその根拠となっています。
 高崎市のHP.「山上碑及び古墳」の項目の「山上[やまのうえ]古墳」で、「山上古墳は、山上碑の東隣にある直径15mの円墳です。中心には南に開いた横穴式石室(奥行き7.4m)があり、地元産の凝灰岩[ぎょうかいがん]の切石を組み、仕上げてあります。こうした切石積み石室は、飛鳥時代(7世紀)につくられたもので、碑に近接することから黒売刀自の墓所と推定されます。 ただし、本古墳は7世紀前半から中頃のもので、山上碑が建てられた時期(681年)よりも数十年古いと考えられます。このことから、もともとは黒売刀自の親の墓として造られ、後に黒売刀自が追葬[ついそう]されたのでしょう。」と記されています。
 古墳は、山上碑とともに「山上碑及び古墳」という名称で、国の特別史跡に指定されています。


 高崎市教委の説明板。


 石室入口。


 ほぼ全景。南から。
        以上2016年11月撮影。

 石室入口。


 ほぼ全景。


 古墳と「山上碑」の覆屋。


 「山上碑」。正面。側面。
 
             以上2011年10月撮影。  


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2022年09月12日

番外 群馬県の古墳⑤ー3 C号墳[慈眼寺古墳群]  高崎市 円墳 径20m

 この古墳の脇にもお堂が建立されています。しかし、前回のB号墳のように墳頂に設置されていないので、「○○堂古墳」という俗称はないようです。
 ブログ「木かげの散歩道」の「慈眼寺所在1号・所在2号・所在3号古墳[古墳]」の項目で、「名称 慈眼寺C号墳、下滝町境内17-1所在3号墳 (中略) 墳形 円墳 大きさ 径20m、高さ3m」と記されています。


 全景。
        2014年12月撮影。  


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