2022年09月14日
番外 群馬県の古墳⑥ 山上古墳 高崎市 円墳 径15m
被葬者と追葬者がほぼ特定できる非常にレアな古墳です。古墳の西側に建立された「山上碑」の存在がその根拠となっています。
高崎市のHP.「山上碑及び古墳」の項目の「山上[やまのうえ]古墳」で、「山上古墳は、山上碑の東隣にある直径15mの円墳です。中心には南に開いた横穴式石室(奥行き7.4m)があり、地元産の凝灰岩[ぎょうかいがん]の切石を組み、仕上げてあります。こうした切石積み石室は、飛鳥時代(7世紀)につくられたもので、碑に近接することから黒売刀自の墓所と推定されます。 ただし、本古墳は7世紀前半から中頃のもので、山上碑が建てられた時期(681年)よりも数十年古いと考えられます。このことから、もともとは黒売刀自の親の墓として造られ、後に黒売刀自が追葬[ついそう]されたのでしょう。」と記されています。
古墳は、山上碑とともに「山上碑及び古墳」という名称で、国の特別史跡に指定されています。
高崎市教委の説明板。
石室入口。
ほぼ全景。南から。
以上2016年11月撮影。
石室入口。
ほぼ全景。
古墳と「山上碑」の覆屋。
「山上碑」。正面。側面。
以上2011年10月撮影。
高崎市のHP.「山上碑及び古墳」の項目の「山上[やまのうえ]古墳」で、「山上古墳は、山上碑の東隣にある直径15mの円墳です。中心には南に開いた横穴式石室(奥行き7.4m)があり、地元産の凝灰岩[ぎょうかいがん]の切石を組み、仕上げてあります。こうした切石積み石室は、飛鳥時代(7世紀)につくられたもので、碑に近接することから黒売刀自の墓所と推定されます。 ただし、本古墳は7世紀前半から中頃のもので、山上碑が建てられた時期(681年)よりも数十年古いと考えられます。このことから、もともとは黒売刀自の親の墓として造られ、後に黒売刀自が追葬[ついそう]されたのでしょう。」と記されています。
古墳は、山上碑とともに「山上碑及び古墳」という名称で、国の特別史跡に指定されています。
高崎市教委の説明板。
石室入口。
ほぼ全景。南から。
石室入口。
ほぼ全景。
古墳と「山上碑」の覆屋。
「山上碑」。正面。側面。
Posted by じこま at 07:07│Comments(0)