2022年12月21日
番外 千葉県の古墳⑥ー3 公津原3号墳(瓢塚古墳)[公津原古墳群瓢塚支群] 成田市 現存52m
この古墳は、前回の公津原1号墳と同じく、公津原古墳群瓢塚支群に属しており、支群中規模最大で、唯一の前方後円墳です。
当初、「番外 千葉県の古墳⑥ー2」として書いていくつもりでしたが、標識では、「全長 65m 高さ 3m」と記されていたので、「補遺[948-8]」と書き改めました。
ところが、ぺんさんのブログ「ぺんの古墳探訪記」の「瓢塚古墳‐公津原1号墳‐2号墳【千葉県成田市】」(2020/01/24)の項目で、「規模について、現地の看板では「全長65m、高さ3m」と記載されていますが、成田市史では「全長35m、後円部径20m、高さ6m、前方部幅15m、高さ4m」とされており、資料によって大きくバラついています。」と記されており、再検討を余儀なくされました。
ランキングの参考にさせてもらったHP.『古墳探訪』(残念ながら、現在見ることができません。)では、65mの古墳としては掲載されていませんでした。また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「郷部瓢塚古墳(瓢塚5号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:現存52m 後円部:径30m 前方部:長現存21m 特記事項【周濠】相似形。【その他】他に円墳4基で群を構成。県史跡(公津原古墳群)」と記されていました。
後者の「瓢塚5号墳」=前者の「瓢塚古墳」=標識の「公津原3号墳(瓢塚古墳)」と理解して、後者の「墳長:現存52m」説を採りました。そのため、結果的にタイトルは、「番外 千葉県の古墳⑥ー2」としました。「あな、ややこしや」。
標識。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

後円部墳頂。
前方部から後円部。
ほぼ全景。手前が前方部、左奥が後円部。
全景。手前が前方部、右奥が後円部。

やや全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南東から。「木の枝が邪魔じゃん」。
以上2015年6月撮影。
当初、「番外 千葉県の古墳⑥ー2」として書いていくつもりでしたが、標識では、「全長 65m 高さ 3m」と記されていたので、「補遺[948-8]」と書き改めました。
ところが、ぺんさんのブログ「ぺんの古墳探訪記」の「瓢塚古墳‐公津原1号墳‐2号墳【千葉県成田市】」(2020/01/24)の項目で、「規模について、現地の看板では「全長65m、高さ3m」と記載されていますが、成田市史では「全長35m、後円部径20m、高さ6m、前方部幅15m、高さ4m」とされており、資料によって大きくバラついています。」と記されており、再検討を余儀なくされました。
ランキングの参考にさせてもらったHP.『古墳探訪』(残念ながら、現在見ることができません。)では、65mの古墳としては掲載されていませんでした。また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「郷部瓢塚古墳(瓢塚5号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:現存52m 後円部:径30m 前方部:長現存21m 特記事項【周濠】相似形。【その他】他に円墳4基で群を構成。県史跡(公津原古墳群)」と記されていました。
後者の「瓢塚5号墳」=前者の「瓢塚古墳」=標識の「公津原3号墳(瓢塚古墳)」と理解して、後者の「墳長:現存52m」説を採りました。そのため、結果的にタイトルは、「番外 千葉県の古墳⑥ー2」としました。「あな、ややこしや」。
標識。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部墳頂。
前方部から後円部。
ほぼ全景。手前が前方部、左奥が後円部。
全景。手前が前方部、右奥が後円部。
やや全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南東から。「木の枝が邪魔じゃん」。
Posted by じこま at
07:07
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